クリーヴランド公爵(クリーヴランドこうしゃく、: Duke of Cleveland)は、イギリス公爵位の一つ。イングランド北部のクリーヴランドにちなむ。第1期はイングランド貴族、第2期は連合王国貴族であった。2期ともに廃絶している。

クリーヴランド公爵(第2期)
Duke of Cleveland

紋章記述

Arms:Quarterly: 1st and 4th, Azure three Sinister Gauntlets Or (Vane); 2nd and 3rd, Quarterly: I and IV, Quarterly France and England; II, Scotland; III, Ireland (being the arms of King Charles II) charged on the centre point with a Baton Sinister Ermine (FitzRoy) Crests:1st: A Dexter Gauntlet proper bossed and rimmed Or brandishing a Sword also proper (Vane); 2nd: On a Chapeau Gules turned up Ermine a Lion passant guardant Or gorged with a Collar compony Ermine and Azure and crowned with a five leaved Ducal Coronet Gold (FitzRoy) Supporters:Dexter: A Lion guardant Or crowned and gorged as in the Crest; Sinister: A Greyhound Argent collared as the dexter
創設時期1833年1月29日
創設者ヴィクトリア
貴族連合王国貴族
初代初代侯ウィリアム・ヴェイン
最終保有者4代公ハリー・ポーレット
付随称号クリーヴランド侯爵
ダーリントン伯爵
バーナード子爵
バーナード男爵英語版
レイビー男爵
現況廃絶
断絶時期1891年8月21日
モットー慌てず臆さず
(Nec Temere Nec Timide)

歴史

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1670年チャールズ2世が自らの愛人であるバーバラ・パーマーに対して叙爵したことに始まる。チャールズ2世は自身とバーバラの間に生まれた私生児チャールズ・フィッツロイが爵位を継承することを特別に認め、1675年に彼をサウサンプトン公爵 (Duke of Southampton)・チチェスター伯爵およびニューベリー男爵に叙爵した。

チャールズ・フィッツロイは1709年に母バーバラの死去によって第2代クリーヴランド公爵となった。その息子ウィリアムはクリーヴランド公爵とサウサンプトン公爵の両方を継承したが息子がおらず、分家のグラフトン公家には爵位の継承が認められなかったため、彼の死去によって爵位は廃絶した。

1833年1月にクリーヴランド公爵位はレイビー男爵位を加えて、第3代ダーリントン伯爵ウィリアム・ヴェインに対して再度創設された[1]。ウィリアム・ヴェインはチャールズ・フィッツロイの曾孫であり、1827年クリーヴランド侯爵 (Marquess of Cleveland) に叙爵されていた。ウィリアム・ヴェインの死後公爵位はその息子達に順に継承されたが、三男ハリー・ポウレットの死去によって再び廃絶した。

フィッツロイ家

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クリーヴランド公爵(第1期:1670年)

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ヴェイン家

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クリーヴランド侯爵(1827年)

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クリーヴランド公爵(第2期:1833年)

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出典

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  1. ^ "No. 19013". The London Gazette (英語). 15 January 1833. p. 97.