グッバイヘイロー (Goodbye Halo) はアメリカ合衆国競走馬繁殖牝馬ケンタッキーオークスなどG1競走を7勝している。

グッバイヘイロー
欧字表記 Goodbye Halo
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1985年2月12日[1][2][3]
死没 2014年8月23日(29歳没)[1][2]
Halo
Pound Foolish
母の父 Sir Ivor
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ケンタッキー州
生産者 Dr.William O.Reed[2][3]
馬主 John Ballis
→Campbell, Jr. & Arthur B.Hancock Ⅲ[2][3]
調教師 Jose Martin(アメリカ)
Charles Whittingham(アメリカ)[2][3]
競走成績
生涯成績 24戦11勝[2][3]
獲得賞金 1,706,702ドル[2][3]
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出自 編集

ケンタッキー州の生産者、ウィリアム・リードの生産したサラブレッドの牝馬である。1986年のキーンランドセールに上場され、47,000ドルでジョン・バリスに落札された。その後、後述のデモワゼルステークス優勝後にアーサー・ハンコック3世に750,000ドルで売り渡され、ハンコック3世ものちにアレックス・キャンベル・ジュニアに所有権の半分を譲渡している[2]

戦績 編集

デビュー戦を8馬身差で勝利したが、フリゼットステークスでは勝ち馬から20馬身離された8着と惨敗してしまう。しかし、次走のデモワゼルステークスで10馬身差の圧勝でG1初勝利を飾ると、翌年のラスヴァージネスステークスまで4連勝する。ちなみに、このラスヴァージネスステークスでは、後にケンタッキーダービーを勝ったウイニングカラーズをクビ差の2着に退けている。

サンタアニタオークスでは逆にウイニングカラーズの3着と敗戦し、連勝もストップしてしまうが、続くケンタッキーオークスを制覇した。更にその後もマザーグースステークスコーチングクラブアメリカンオークスとG1競走を連勝するが、アラバマステークスで再び連勝がストップ、続くG2・ラスパルマスハンデキャップも3着に敗れてしまう。

連敗の流れを断ち切れないまま、陣営はブリーダーズカップ・ディスタフに出走する。この競走にはグッバイヘイローに加え、前述のウイニングカラーズ、無敗のまま挑んできたパーソナルエンスンも揃って出走し、非常に豪華な顔ぶれとなった。レース本番では、逃げ切りを図るウイニングカラーズにグッバイヘイローが食らいついている所を、外からパーソナルエンサインが差し切るといった、まさに三強の決着となった。結局グッバイヘイローはウイニングカラーズを捕らえることができず、半馬身差の3着に敗れるが、このレースは今でも伝説のレースとして語り継がれている。

その後も現役を続けるが、11戦して3勝(うちG1競走1勝)。アルゼンチンからアメリカに移籍し頭角を現してきたバヤコアを相手に1勝6敗(うち4戦は2着)と苦渋を舐めさせられることとなり、ブリーダーズカップ・ディスタフではウイニングカラーズともども掲示板外。全盛期の力は発揮できずに引退、繁殖入りした。

年度別競走成績 編集

  • 1987年(4戦3勝) - デモワゼルステークス (G1) 、ハリウッドスターレットステークス (G1)
  • 1988年(11戦5勝) - ラスヴァージネスステークス(G1)、ケンタッキーオークス (G1) 、マザーグースステークス (G1) 、コーチングクラブアメリカンオークス (G1) 、サンタイネスステークス (G3)
  • 1989年(9戦3勝) - ラカナダステークス (G1) 、チュラヴィスタステークス (G2) 、エルエンシノステークス (G3)

繁殖入り後 編集

1990年のキーンランド繁殖牝馬セールに出され、桜井盛夫が210万ドルで落札[4][2]日本に輸入されて浅川吉男協和牧場に繋養された[5]。日本に輸入される際、アメリカの名門競馬雑誌のブラッド・ホース誌に「SAYONARA Goodbye Halo(さよならグッバイヘイロー)」という海外流出を惜しむ特集が組まれた[6]。引退式で日本に輸出される旨が伝えられるとブーイングが起こったとの風説もあるが、日本行きが決まったのは引退レースとなるBCディスタフの二ケ月後のキーンランド1月セールであることもあり疑わしい。

その後産駒から高松宮記念の勝ち馬キングヘイローを出した。繁殖牝馬を引退した後も、協和牧場で功労馬として繋養された。

繁殖成績 編集

誕生年 馬名 毛色 厩舎 馬主 戦績・用途
1992年 キョウワグンバイ 鹿毛 ナスルエルアラブ - 浅川吉男 (死亡)
1993年 キョウワハヤブサ 鹿毛 栗東安藤正敏
荒尾・吉永晃
中央18戦0勝
地方11戦2勝
(引退)
1994年 ウチュウニカガヤク 鹿毛 栗東・安藤正敏 不出走
繁殖牝馬(2004年死亡)
1995年 キングヘイロー 鹿毛 ダンシングブレーヴ 栗東・坂口正大 27戦6勝
高松宮記念-GI、中山記念-GII、東京新聞杯-GIII、東京スポーツ杯3歳S-GIII、皐月賞-GI 2着、マイルチャンピオンシップ-GI 2着
種牡馬
1996年 クィーンヘイロー 鹿毛 トウカイテイオー 栗東・高橋成忠 10戦0勝
繁殖牝馬
1997年 キングアカデミー 栗毛 ロイヤルアカデミーII 栗東・佐山優
佐賀・徳吉義己
中央35戦1勝
地方5戦0勝
(引退)
1998年 ツルハチクィーン 栗毛 ラムタラ 栗東・吉岡八郎 3戦0勝
繁殖牝馬
1999年 ツルハチキング 栗毛 フォーティナイナー 栗東・飯田明弘
大井・荒井隆
水沢・遠藤陸夫
名古屋・瀬戸口悟
浅川吉男
→浅川昌彦
→奧浜孝二
→林進
中央27戦3勝
地方64戦4勝
(引退)
2001年 キョウワノキリンジ 鹿毛 コマンダーインチーフ 栗東・武邦彦 浅川昌彦
→林順子
14戦1勝
(引退)
2007年 レイニータ 栗毛 アグネスデジタル 栗東・坂口正大 ローレルレーシング 2戦0勝
繁殖牝馬

血統表 編集

グッバイヘイロー (Goodbye Halo)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ヘイロー系
[§ 2]

Halo
1969 黒鹿毛
父の父
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
父の母
Cosmah
1953 鹿毛
Cosmic Bomb Pharamond
Banish Fear
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator

Pound Foolish
1979 鹿毛
Sir Ivor
1965 栗毛
Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Attica Mr.Trouble
Athenia
母の母
Squander
1974 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Discipline Princequillo
Lady Be Good F-No.8-h
母系(F-No.) (FN:8-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Turn-to 3x4, Princequillo 5x4, Mahmoud 4x5, Pharamond 4x5, Blue Larkspur 5x5 [§ 4]
出典
  1. ^ [7], [8]
  2. ^ [8]
  3. ^ [7], [8]
  4. ^ [7], [8]

参考文献 編集

  • 『競馬名牝読本』宝島社別冊宝島 競馬読本シリーズ〉、1996年。ISBN 4-7966-9427-7 

脚注 編集

  1. ^ a b グッバイヘイロー(USA)”. 血統書サービス. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2021年6月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Avalyn Hunter. “Goodbye Halo (horse)”. American Classic Pedigrees. 2021年6月21日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Goodbye Halo (KY)”. EQUIBASE. 2021年6月21日閲覧。
  4. ^ Free Auction Results Search”. equineline.com. 2021年6月10日閲覧。
  5. ^ 『競馬名牝読本』p.64-65
  6. ^ 『競馬名牝読本』p.60
  7. ^ a b c 血統情報:5代血統表|グッバイヘイロー(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. JBISサーチ(JBIS-Search). 日本軽種馬協会. 2021年6月10日閲覧。
  8. ^ a b c d グッバイヘイローの血統表”. netkeiba.com. 2021年6月10日閲覧。

外部リンク 編集