ケン・ノートン・ジュニア

ケン・ノートン・ジュニア(Ken Norton Jr.、1966年9月29日 - )はイリノイ州ジャクソンビル出身の元アメリカンフットボール選手、現コーチ。現役時代のポジションはラインバッカー。父親はボクシングヘビー級世界チャンピオンとなったケン・ノートン。スーパーボウルで3年連続優勝を味わった最初の選手である。好プレーを見せた後にはゴールポストや空中にパンチをするアクションを行った。

ケン・ノートン・ジュニア
Ken Norton Jr.
UCLAブルーインズ
ラインバッカーコーチ
ポジション ラインバッカー
生年月日 (1966-09-29) 1966年9月29日(57歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州ジャクソンビル
身長: 6' 2" =約188cm
体重: 254 lb =約115.2kg
経歴
大学 UCLA
NFLドラフト 1988年 / 2巡目全体41位
初出場年 1988年
初出場チーム ダラス・カウボーイズ
所属歴
選手歴
1988-1993 ダラス・カウボーイズ
1994-2000 サンフランシスコ・49ers
コーチ歴
2004-2009 南カリフォルニア大学
2010-2014 シアトル・シーホークス
2015-2017 オークランド・レイダース
2018 サンフランシスコ・フォーティナイナーズ
2018-2021 シアトル・シーホークス
2022- UCLAブルーインズ
受賞歴・記録
スーパーボウル制覇(3回)
第27回(1992年)第28回(1993年)第29回(1994年)
オールプロ選出(2回)
1993年、1995年
プロボウル選出(3回)
1993年、1995年、1997年
スーパーボウル制覇(コーチとして)
第48回(2013年)
NFL 通算成績
QBサック 12.5回
ファンブルフォース 12回
ファンブルリカバー 13回
インターセプト 5回
タッチダウン 2回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

経歴 編集

プロ入りまで 編集

ロサンゼルスの高校時代、彼はランニングバックとしてプレーし3年次には1回あたり8.8ヤードを走った。1984年にUCLAに入学した彼はラインバッカーにコンバートされた。彼の大学在学中の4年間チームは毎年ボウルゲームで勝利をおさめた。1985年チームはパシフィック・テン・カンファレンス優勝を果たした。彼は1986年に106タックル、1987年に125タックルと2年連続チームトップのタックルを記録、4年間で大学歴代6位の339タックルをあげた。1987年にはオールアメリカンにも選出されディック・バトカス賞の最終候補にもなった。1998年にUCLAの殿堂入りを果たしている。

NFL 編集

1988年NFLドラフト2巡目でダラス・カウボーイズに指名されて入団した。この年彼は親指を骨折しシーズンの大半を故障者リストで過ごした。1989年にはジェシー・ソロモンとウィークサイドラインバッカーのポジションで併用された。1990年、ソロモンがホールドアウトした末にタンパベイ・バッカニアーズに放出されたためスターターとなった。ひざの負傷で最後の2試合を欠場した。1991年ひざの手術をした彼はストロングサイドラインバッカー、ミドルラインバッカーとして起用された。

1992年守備の中心となった彼はチームトップの120タックルをあげて1990年代になってから初めてとなるチームのスーパーボウル制覇に貢献した。サンフランシスコ・フォーティナイナーズとのNFCチャンピオンシップゲームではスティーブ・ヤングのパスをインターセプトした[1]第27回スーパーボウルでは第2Qにバッファロー・ビルズのQBジム・ケリーを退場に追い込んだ。またビルズの第3ダウンゴール(カウボーイズ1ヤード地点からのプレー)でのケネス・デービスのランを止めた。ビルズは第4ダウンギャンブルを行いトーマス・エベレットがインターセプトをあげた。また第4Qにタッチダウンをあげている。この年チームは守備でNFL1位の成績を残したがプロボウルには誰一人選ばれなかった。

1993年には二頭筋が断裂したままプレーを続けチームトップの159タックルをあげてスーパーボウル連覇に貢献した。この年初めてプロボウルにも選ばれている。

NFLのフリーエージェントサラリーキャップが導入された元年となった1994年カウボーイズはドラフトで選手を獲得する方針を採り、彼やダレン・スミスディクソン・エドワーズロバート・ジョーンズランドール・ゴドフリーらと高額契約を結ばずノートンは5年間800万ドルでサンフランシスコ・フォーティナイナーズと契約した[2]。この年の9月5日、開幕週のオークランド・レイダース戦で彼とブライアント・ヤングのタックルを受けた相手RBのナポレオン・マッカラムはひざが不自然な形に折れ曲がる大怪我を負い選手生命を失った[3]。この年ナイナーズでもスーパーボウル優勝を味わった彼はスーパーボウルで3年連続優勝メンバーとなった最初の選手になった[4]。1995年のセントルイス・ラムズ戦でNFLのラインバッカーとして初めて2インターセプトリターンタッチダウンをあげた[5]。この年自身2度目のプロボウル及びオールプロに選ばれている。2001年、サラリーキャップに悩むナイナーズから解雇された[6]

2000年までの13シーズンで通算12サック、5インターセプト、13ファンブルリカバーなどの成績を残して現役を引退した。

現役引退後 編集

現役引退後テレビやラジオでの解説やロサンゼルスにあるハミルトン高校でのコーチを務めた後、2004年、ピート・キャロルヘッドコーチが率いるUSCにラインバッカーコーチとして就任、ローファー・タップブライアン・クッシングクレイ・マシューズらを育てた。2008年1月、UCLAの新ヘッドコーチよりアシスタントヘッドコーチとしてのオファーがあったがこれを断り、2009年1月7日より守備担当のアシスタントヘッドコーチに就任した。彼の指導のもと、優れたラインバッカーが育ちローズボウルのMVPを3年連続チームのディフェンス選手が獲得している。

2010年1月11日、シアトル・シーホークスのヘッドコーチとなったキャロルのもとでこれまで果たした役割を担っていくことを発表した[7]

シーホークスには、2014年シーズンまで在籍し、2015年2月、オークランド・レイダースのディフェンスコーディネーターに就任した[8]

2018年1月8日にアシスタント・ヘッドコーチに就任したが、[9]その翌週にシーホークスのディフェンシブ・コーディネーターに就任した。しかしシーホークスでの4シーズン目となった2021年シーズン、シーホークスはディフェンス喪失ヤードでNFLの全体28位、パスディフェンスでの喪失ヤードで全体31位に沈み、このシーズン限りで解任された[10]

2022年2月に母校UCLAのフットボールチームのコーチに就任した[11]

脚注 編集

  1. ^ アメリカズゲーム 〜スーパーボウルチャンピオンズ〜 第27回スーパーボウル
  2. ^ 禁断の移籍? ライバルチームへ鞍替えした選手たち”. NFL JAPAN (2011年8月9日). 2011年10月5日閲覧。
  3. ^ Former Raider lucky he still has two legs”. reviewjournal.com (1997年11月23日). 2010年12月1日閲覧。
  4. ^ A tribute to the hardest hitting man in football: Ken Norton Jr.”. 49ersparadise.com. 2010年12月1日閲覧。
  5. ^ 第7週から7つの偉大な記録、“T・O”史上5人目の快挙”. NFL JAPAN (2010年10月26日). 2010年12月1日閲覧。
  6. ^ 49ers、LBノートンを放出”. NFL JAPAN (2001年). 2010年12月1日閲覧。
  7. ^ Sources: Seattle, Carroll agree on deal”. ESPN (2010年1月11日). 2010年12月1日閲覧。
  8. ^ レイダース、新DCにシーホークスLBコーチのノートン氏招へい”. NFL JAPAN (2015年2月7日). 2015年2月9日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ 49ers Hire Ken Norton Jr. as Assistant Head Coach, Announce Other Coaching Changes”. 2020年4月16日閲覧。
  10. ^ “シーホークスが4シーズン在籍したDCノートンを解雇”. NFL JAPAN. (2022年1月19日). https://nfljapan.com/headlines/73134 2022年3月19日閲覧。 
  11. ^ Williams, Charean (2022年2月24日). “Report: Ken Norton Jr. returning to UCLA to become linebackers coach”. profootballtalk.nbcsports.com (NBC Sports). https://profootballtalk.nbcsports.com/2022/02/24/report-ken-norton-jr-returning-to-ucla-to-become-linebackers-coach/ 2022年3月19日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集