ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ

ポルトガルのサッカー選手

ペペ (Pepe) こと、ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラKépler Laveran Lima Ferreira, 1983年2月26日 - )は、ブラジルアラゴアス州マセイオ出身のサッカー選手FCポルト所属。ポジションはディフェンダー

ぺぺ
名前
本名 ケープレル・ラヴェラン・リマ・フェレイラ
Képler Laveran Lima Ferreira
ラテン文字 Pepe
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1983-02-26) 1983年2月26日(41歳)
出身地 ブラジルの旗 マセイオ
身長 188cm[1]
体重 81kg
選手情報
在籍チーム ポルトガルの旗 FCポルト
ポジション DF (CB)
背番号 3
利き足 右足
ユース
1995-2001 ブラジルの旗 コリンチャンス-AL
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 ポルトガルの旗 マリティモB 14 (1)
2002-2004 ポルトガルの旗 マリティモ 63 (3)
2004-2007 ポルトガルの旗 ポルト 64 (6)
2007-2017 スペインの旗 レアル・マドリード 229 (13)
2017-2018 トルコの旗 ベシクタシュ 33 (5)
2019- ポルトガルの旗 ポルト 110 (6)
代表歴2
2007- ポルトガルの旗 ポルトガル 132 (8)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年8月9日現在。
2. 2022年12月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

2007年にポルトガルへ帰化し、ポルトガル代表としてUEFA欧州選手権に3度、FIFAワールドカップにも4度出場している。欧州選手権では、3大会全てで優秀選手に選ばれている。高いテクニックとポジショニングセンス、速さと強さを兼ね備える[2]

クラブ経歴 編集

CSマリティモ、FCポルト時代 編集

地元のクラブであるSCコリンチャンス・アラゴアーノのユースで育つ。18歳の時にポルトガルCSマリティモと契約。2002-03シーズンにトップチームに昇格。アナトリー・ブイショヴェツ監督の信頼を得て複数のポジションで起用された。翌2003-04シーズンの開幕前にはスポルティング・クルーベ・デ・ポルトゥガルへの移籍が浮上し、2週間に渡りスポルティングの練習に参加した。しかし、両チームが合意に至らなかったため、もう1シーズンの間、マリティモでプレーした。

2004年夏、100万ユーロとトネルら3選手とのトレードでFCポルトへ移籍。契約条項にはペペの将来の移籍の際には移籍金の20%をマリティモが受け取るという条件も含まれた。移籍初年度こそ出場機会に恵まれなかったが、コー・アドリアーンセが監督に就任した2年目以降はチームの主力に成長。攻撃的な3-4-3システムにおける守備の要としてプレーし、スーペル・リーガ連覇とタッサ・デ・ポルトガル優勝に貢献した。

レアル・マドリード時代 編集

2007年7月10日、移籍金3000万ユーロでレアル・マドリードに移籍し5年契約を結び[3]、自身のアイドルの一人であるロベルト・カルロスが現役時代にレアル・マドリードで付けていたものである背番号3番が与えられた[4]。当時は選手としてほぼ無名であり、高額な移籍金に批判が集中した[5]。しかし移籍1年目からセンターバックとしてイタリア代表ファビオ・カンナヴァーロらと最終ラインを形成し、スペイン代表セルヒオ・ラモスが右サイドバックとしてプレーすることを可能にした。

2009年4月21日のヘタフェCF戦で競り合った際に倒れたハビエル・カスケーロの脚と背中を蹴り、一発退場処分を受ける。同僚のイケル・カシージャスからも「クレイジーだ」と批判された[6]このプレーで、ペペは10試合の出場停止処分を科された。これにより、シーズンの残り6試合に加え、翌シーズンの最初の4試合も出場できないこととなった[7]。処分後、ペペは「なぜあんなことをやったのか覚えていない。今は人生で最もつらい時期だ。必要があれば引退も考えている」と語った[8]

2009-10シーズンは出場停止が明けた10月のセビージャFC戦で復帰し、グティフリーキックからレアル・マドリード移籍後初得点も挙げた。しかし、12月に行われたバレンシアCFとの試合で右膝の前十字靭帯を断裂[9]。全治半年と診断され、残りのシーズンを棒に振った。

 
マドリードダービーにてセルヒオ・アグエロをマークするペペ (2010年)

怪我から復帰した2010-11シーズンは、代表でも共にプレーしている新加入のリカルド・カルヴァーリョとセンターバックのコンビを組み、安定したディフェンスを見せた[10]

これまでの実績を評価し、クラブは契約期間の延長交渉に入るが、年俸を巡って交渉が難航[11]。一時はマンチェスター・ユナイテッドFCインテルが獲得に興味を持っていると報じられたほか[12]ガゼッタ・デロ・スポルトはレアル・マドリードがユヴェントスFCジョルジョ・キエッリーニに関心を持っていると報じた[13]。最終的にはセンターバックの選手として世界で6番目に高額な年俸400万ユーロで2015年まで契約を延長した[14]

2011年4月に行われたエル・クラシコ4連戦では守備的MFとしてプレー。16日のリーグ戦、20日のコパ・デル・レイ決勝ではリオネル・メッシを徹底マークし、効果的な働きをみせた[15]。続くUEFAチャンピオンズリーグ準決勝1stレグでも着実に攻撃の芽を摘むが、後半にダニエウ・アウヴェスへのファールで退場処分を受け、その後の2失点によりチームは敗退。試合後、この判定は物議を醸した[16][17][18]

2013-14シーズンは、キャリアで初めてとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成、センターバックでコンビを組んだラモスとともに大会優秀選手に選ばれた。同シーズンはESMから欧州年間ベストイレブンにも選出された。

2017年、2年の契約延長を望んでいたペペに対し、レアル・マドリードは1年の契約延長を提示したため契約延長交渉が難航。マンチェスター・シティFCパリ・サンジェルマンFCなど複数のビッグクラブのほか、マヌエル・ペレグリーニが率いる中国リーグ河北華夏への移籍が噂された[19]。2017年6月6日、自身のインスタグラムにおいて、2016-17シーズンをもって10年間在籍したレアル・マドリードを退団することを発表した。

ベシクタシュJK時代 編集

唯一2年契約でオファーを出したベシクタシュJKへフリー移籍。背番号は5番に決まり、年俸は950万ユーロとされている[20]。8月13日のアンタルヤスポル戦でトルコリーグデビュー。

2018年12月、ベシクタシュの財政難によりペペを含めた数人の選手の給与支払いが不可能となったことから契約解除が成立。ペペはクラブの維持、ユニフォーム、調理スタッフのために高額の現金が入った封筒を置き土産にした[21]

FCポルト復帰時代 編集

2019年1月8日、古巣のFCポルトと2021年6月までの2年半契約を結んだ[22]ダニーロ・ペレイラ移籍後はキャプテンを務める。

代表経歴 編集

 
ポルトガル代表でのペペ (2017年)

2007年夏にポルトガル国籍を取得、9月8日のポーランド戦、並びに9月12日のセルビア戦でポルトガル代表に初選出された。EURO 2008ではポルトガル代表メンバーに選出され、初戦のトルコ戦で見事初ゴールを決めた。ポルトガル代表はベスト8に終わるも、ペペ自身は大会選定の優秀選手に選ばれるなど活躍を見せた。

2010 FIFAワールドカップでは、監督のカルロス・ケイロスにより守備的ミッドフィールダーとして起用された。

EURO 2012ではブルーノ・アルヴェスとともにCBを務め、全5試合にフル出場。準々決勝のチェコ戦、準決勝のスペイン戦では無失点に抑え、自身も大会通算でわずか2回のファールしか与えず[23]デンマーク戦では先制点を挙げるなど高いパフォーマンスをみせ、2大会連続で大会選定の優秀選手に選ばれた。

2014 FIFAワールドカップでは、6月17日に行われたグループリーグ初戦のドイツ戦でトーマス・ミュラーに対する頭突き行為でレッドカードを食らい、一発退場となってしまった。

EURO 2016にも出場。負傷のため準決勝のウェールズ戦には欠場したが[24]、決勝のフランス戦ではフル出場しマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[25]。チームは優勝を果たし、自身も3大会連続で大会ベストイレブンに選出された[26]

2018 FIFAワールドカップでも本大会メンバーに選出され、決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦で一時同点となるゴールを決めたが、試合には敗れベスト16に終わった。

2022 FIFAワールドカップでは、グループリーグ途中から怪我人が出たことでスタメン起用されると、決勝トーナメント1回戦のスイス戦で決勝ゴールを奪って16年振りのベスト8進出を決めた[27]

なお、祖国のブラジル代表としては各ユース世代を含めて試合への出場経験はない。

エピソード 編集

  • 尊敬するディフェンダーはフェルナンド・イエロアントニオ・カルロスリカルド・ゴメス[2]
  • スパイクを買う余裕すらない貧しい家庭に育つが、彼が14歳の頃父親にアンブロの「スペシアーリ」を買ってもらって以来、今に至るまでずっと履き続けている。本人曰く、「今でも新品を手にすると、親父に初めて買ってもらった時のようにワクワクする」とのことで、「これからも絶対に手放せない」と語っている[28]
  • 2009年4月21日のヘタフェCF[29]、2011年9月18日のレバンテUD[30]、2012年1月18日のFCバルセロナ[31]など、暴力行為をピッチ上で頻繁に繰り返すことが問題視されている。しかしキャリア晩年は改善傾向にあり、クリーンな守備を見せることも多い[32]

個人成績 編集

クラブ リーグ シーズン 背番号 リーグ戦 カップ戦 欧州カップ戦 その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CSマリティモ スーペル・リーガ 2001-02 4 0 0 0 0 0 0 0 4 0
2002-03 29 2 0 0 - - 0 0 29 2
2003-04 30 1 1 0 - - 0 0 31 1
通算 63 3 1 0 0 0 0 0 64 3
FCポルト 2004-05 7 15 1 1 0 5 0 1 0 22 1
2005-06 14 24 1 4 0 5 2 0 0 33 3
2006-07 25 4 0 0 8 0 1 0 34 4
レアル・マドリード プリメーラ・ディビシオン 2007-08 3 19 0 1 0 3 0 2 0 25 0
2008-09 26 0 0 0 5 0 1 0 32 0
2009-10 10 1 1 0 6 0 0 0 17 1
2010-11 26 1 4 0 8 0 0 0 38 1
2011-12 29 1 5 0 9 0 2 0 45 1
2012-13 28 1 2 0 11 1 1 0 42 2
2013-14 30 4 7 1 11 0 0 0 48 5
2014-15 27 2 1 0 6 0 4 0 38 2
2015-16 21 1 1 0 9 0 0 0 31 1
2016-17 13 2 2 0 3 0 0 0 18 2
通算 229 13 24 1 71 1 10 0 334 15
ベシクタシュJK スュペル・リグ 2017-18 5 23 2 5 0 6 0 1 0 35 2
2018-19 10 3 0 0 7 2 0 0 17 5
通算 33 5 5 0 13 2 1 0 52 7
FCポルト スーペル・リーガ 2018-19 33 13 2 3 0 3 0 2 0 21 2
2019-20 3 25 1 2 0 9 0 1 0 37 1
2020-21 27 2 4 0 6 0 3 0 40 2
2021-22 21 1 3 0 9 0 0 0 33 1
2022-23 24 0 5 0 4 0 3 0 36 0
通算 174 12 22 0 48 2 12 0 257 14
総通算 499 33 52 1 133 5 22 0 706 39

代表歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集


ポルトガル代表国際Aマッチ
出場得点
2007 1 0
2008 12 1
2009 11 1
2010 6 0
2011 7 0
2012 12 1
2013 8 0
2014 8 0
2015 3 0
2016 13 1
2017 11 1
2018 11 2
2019 5 0
2020 5 0
2021 10 0
2022 10 1
2023 1 0
通算 134 8

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 2008年6月7日  ジュネーヴスタッド・ドゥ・ジュネーヴ   トルコ 1-0 2-0 UEFA EURO 2008
2 2009年9月9日  ブダペストプシュカーシュ・フェレンツ・シュタディオン   ハンガリー 0-1 0-1 2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選
3 2012年6月13日  リヴィウアリーナ・リヴィウ   デンマーク 1-1 2-3 UEFA EURO 2012
4 2016年9月1日  ポルトエスタディオ・ド・ドラゴン   ジブラルタル 5-0 5-0 親善試合
5 2017年7月2日  モスクワスパルタク・スタジアム   メキシコ 2-1 2-1
(延長戦)
FIFAコンフェデレーションズカップ2017 3位決定戦
6 2018年6月30日  ソチフィシュト・オリンピックスタジアム   ウルグアイ 1-1 1-2 2018 FIFAワールドカップ
7 2018年9月6日  ファロエスタディオ・アルガルヴェ   クロアチア 1-1 1-1 親善試合
8 2022年12月6日  カタールルサイル・アイコニック・スタジアム   スイス 2-0 6-1 2022 FIFAワールドカップ

タイトル 編集

クラブ 編集

 
メッツェルダーラモスらとリーグ優勝を祝福するペペ (2008年)
FCポルト
レアル・マドリード

代表 編集

ポルトガル代表

個人 編集

脚注 編集

  1. ^ FIFA Qatar World Cup 2022: List of Players: Portugal”. FIFA. p. 22 (2022年11月15日). 2022年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月1日閲覧。
  2. ^ a b DF 3 ペペ - Realmadrid.com
  3. ^ レアル・マドリード ペペ獲得を発表 - AFP通信 2007年7月11日
  4. ^ レアルDFペペが自身のアイドルとライバルを告白…その選手とは? サッカーキング(2017年3月13日) 2017年7月17日閲覧
  5. ^ ぺぺがレアル・マドリー退団に近づく…移籍先は中国の河北華夏か - Goal.com 2016年12月26日
  6. ^ カシージャスがペペに苦言 - Goal.com 2009年4月23日
  7. ^ レアル・マドリードのペペ 10試合の出場停止処分 - AFP通信 2009年4月25日
  8. ^ Real Madrid's Pepe: I Have No Desire To Return To Football - Goal.com 2009年4月22日
  9. ^ サッカー=レアルのペペ、ひざ負傷で6カ月間欠場へ - Reuters.com 2009年12月15日
  10. ^ レアル移籍で大活躍のカルヴァーリョ チェルシーは後悔? - yahoo!スポーツ 2010年11月9日
  11. ^ ペペ、契約延長が折り合わずに退団も? - Goal.com 2010年10月3日
  12. ^ ペペ、マドリーとの契約延長が進まず - Goal.com 2010年12月8日
  13. ^ Luis Fabiano vuole andarseneIl Real punta Chiellini e Maicon - gazzetta.it 2011年2月16日
  14. ^ レアル・マドリーのペペ、2015年までの契約延長で合意 - スポーツナビ 2011年3月22日
  15. ^ クラシコ4連戦第1戦、現地紙の報道は? - Goal.com 2011年4月17日
  16. ^ 映像ではペペはアウベスに触れていない - Realmadrid.com 2011年4月29日
  17. ^ 世界の報道:ペペのレッドカードは不当 - Realmadrid.com 2011年4月29日
  18. ^ シャビ:「ペペ退場は正しい判定だった」 - Goal.com 2011年4月28日
  19. ^ レアル退団濃厚のペペ、移籍先はシティかPSGか - SANSPO.COM 2017年4月4日
  20. ^ ペペ、ベジクタシュ移籍が決定!年俸12億円でレアルDFがトルコの強豪に加入 - SANSPO.COM 2017年7月5日
  21. ^ 日本行きの可能性は? ポルトガル代表DFぺぺ、現金を“置き土産”にベジクタシュ退団 - football-zone 2018年12月18日
  22. ^ PEPE REGRESSA AO FC PORTO - FC Porto 2019年1月8日
  23. ^ 全50人の選手を発表! Goal.com 50 - 20位 ペペ - Goal.com
  24. ^ ポルトガル代表DFペペ、別メニュー調整続く…決勝の出場は不透明 サッカーキング(2016年7月9日) 2016年7月13日閲覧
  25. ^ 負傷したC・ロナのために…完封に貢献のDFペペ「優勝にふさわしい」 サッカーキング(2016年7月11日) 2016年7月13日閲覧
  26. ^ UEFA、EURO2016のベストイレブン発表! 優勝チームからCロナなど計4名選出 フットボールチャンネル(2016年7月12日) 2016年7月13日閲覧
  27. ^ ポルトガル、スイスに圧勝6発8強 Cロナウドに代わり先発抜てきラモスがハットの活躍”. 日刊スポーツ. 2022年12月7日閲覧。
  28. ^ ワールドサッカーダイジェスト』第300号より。
  29. ^ ペペに10試合の出場停止処分 - UEFA.com 2009年4月24日
  30. ^ ペペレバンテ戦でまたも暴力行為 ぺぺ、レバンテ戦でまたも暴力行為 - Goal.com 2011年9月20日
  31. ^ シャビペペのピストンは酷かった シャビ:「ペペの“ピストン”は酷かった」 - Goal.com 2012年1月19日
  32. ^ 実はクリーン? ペペ、今季リーガのCBで唯一の警告なし - フットボールチャンネル 2014年12月15日

外部リンク 編集