ゴジラ (バンド)

日本のロックバンド

ゴジラGodzilla1972年 結成 - 同年 自然消滅)は、かつて存在した日本ロックバンドである。

ゴジラ
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴 慶應義塾大学 中退(近田)
上智大学 中退(メリル)
ジャンル ロック
活動期間 1972年
レーベル キングレコード
共同作業者 加藤ヒロシ
メンバー 近田春夫 キーボード
アラン・メリル ベースギター
金沢ジュンヴォーカルドラムス

略歴・概要 編集

1972年(昭和47年)春に結成された。メンバーは、渡辺プロダクションを退社、ソロでのセカンドアルバム『Merrill 1』(同年1月)リリース後のアラン・メリル、元エモーション近田春夫金沢ジュン(金沢純一)であった。近田と金沢は、『Merrill 1』のライヴ・アクトでバッキングメンバーであった[1]

アランの回想によれば、同年夏、長野県軽井沢町アゼリアクラブで1か月出演したという[1]。また、映画『小さな恋のメロディ』(1971年)の日本公開時のプロモーションとして、全国で上映の前座演奏ツアーを行った[1]とのことだが、同映画の日本公開は前年1971年(昭和46年)6月26日である[2]

ゴジラには、ベース奏者がいなかったが、ライブでは、近田が左手でレイ・マンザレクばりにローズ・ピアノを弾き、レコーディングでは、アランがベースを弾き多重録音をしたという[1]

4曲のオリジナル楽曲を持っていたが、デモ音源に留まり、商業リリースはされなかった。ゴジラのクレジットとともに残された音源は、キングレコードの企画ものアルバムにセッションバンドとして参加した『ROCK IMPULSE! ゴーゴー大パーティー』での加藤ヒロシとの洋楽カヴァーであった[1]。加藤とは、翌1973年にもおなじくキングレコードからリリースされた、神崎みゆきのファーストアルバム『神崎みゆき ファースト・アルバム』に近田と金沢が「加藤ヒロシとそのグループ」名義で演奏に参加することになる。

同年、近田はハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)を結成したり、内田裕也1815ロックンロールバンドに参加したり、アランがかまやつひろしのバックバンド(ウォッカ・コリンズの原型)に参加したりで、多忙となり、その一方、レコードデビューも決まらなかったりで、ゴジラは半年ほどの活動をもって自然消滅した[1]

ディスコグラフィ 編集

アルバム 編集

  1. ROCK IMPULSE! ゴーゴー大パーティー (2枚組、1972年キングレコード
    • Record 1 - 上田力とザ・キャラバン ※割愛
    • Record 2 - ゴジラとイエロージプシー
      • アラン・メリル (ギター・ベース)、近田春夫 (キーボード)、金沢純一 (ドラムス・ヴォーカル)
      • 加藤ヒロシ (イエロージプシー、編曲・ギター・ヴォーカル)
    Side C:
    1. ハイウェイ・スター HIGHWAY STAR - ディープ・パープルマシン・ヘッド』(1972年
    2. タンブリング・ダイス TUMBLING DICE - ローリング・ストーンズメイン・ストリートのならず者』(1972年)
    3. サムデイ・ネバー・カムズ SOMEDAY NEVER COMES - クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルMardi Gras』(1972年)
    4. メタル・グルー METAL GURU - T・レックスMETAL GURU』(1972年)
    5. ロックン・ロール ROCK AND ROLL - ゲイリー・グリッターRock and Roll』(1972年)
    Side D:
    1. ゲット・イット・オン GET IT ON - T・レックス『電気の武者』(1971年)
    2. 恋するあなた NICE TO BE WITH YOU - ザ・ギャラリー(It's So) Nice to Be with You』(1972年)
    3. 暗黒への旅路 TRAVELIN' IN THE DARK - マウンテンNantucket Sleighride』(1971年)
    4. シーモンの涙 SIMONE - イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーFables』(1971年)
    5. トゥルー・ブルー TRUE BLUE

関連事項 編集

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  1. ^ a b c d e f #外部リンクのインタヴュー記事「アラン・メリル」の記述を参照。
  2. ^ 小さな恋のメロディ」の項の記述を参照。

外部リンク 編集