ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル

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ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」(The Continuing Story of Bungalow Bill)は、ビートルズの楽曲である。1968年に発売された9作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ザ・ビートルズ』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、実質的にはジョン・レノンによって書かれた楽曲。同じくレノン作の「アイム・ソー・タイアード」とセッションが行われた1968年10月8日にレコーディングが行われた。曲の半ば頃には後にレノンの妻となるオノ・ヨーコによるボーカル・パートが入る。1フレーズのみながら、ビートルズの作品で唯一の女声リード・ボーカルのパートが存在する楽曲である。

ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル
ビートルズ楽曲
収録アルバムザ・ビートルズ
英語名The Continuing Story of Bungalow Bill
リリース1968年11月22日
録音
ジャンルフォークロック
時間3分18秒
レーベルアップル・レコード
作詞者レノン=マッカートニー
作曲者レノン=マッカートニー
プロデュースジョージ・マーティン
ザ・ビートルズ 収録曲
ワイルド・ハニー・パイ
(DISC 1 A-5)
ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル
(DISC 1 A-6)
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(DISC 1 A-7)

背景・曲の構成 編集

1968年春にビートルズはインドのリシケーシュを訪れ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのもとで超越瞑想の修行を行っていた。リシケーシュの僧院には、ビートルズの他にも年代問わずさまざまな人々が滞在していて、その中には、1960年代にマハリシのパブリシストを務めていたナンシー・クック・デ・ヘレラとその息子であるリチャード・クックIII世もいた[1]。本作の歌詞は、バンガロー・ビルが象と母親を連れて虎狩に行くという物語調になっているが、これはクック親子が象に乗って虎狩に行くというエピソードに基づいている[1]。レノンはクック親子を軽蔑的に見ていて、二人への反感は「He's the all American bullet-headed saxon mother's son(彼はどこから見てもアメリカ人、頑固なサクソン系の母親の息子)」「If looks could kill it would have been us instead of him(もし外見だけで殺せるとしたら、代わりに私たちがやられていたでしょう)」といった皮肉めいた歌詞に表されている[2]

本作についてレノンは、1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで「マハリシの瞑想キャンプで、短い休暇を取って哀れな虎を2、3頭撃ち殺した男が、神と共に部落に帰ってくるというストーリーで書いた。ジャングル・ジムというキャラクターがいて、僕はそれをバッファロー・ビルとくっつけた」と語っている[3][1]ポール・マッカートニーは、本作について「今も僕のお気に入りの一つ。それは今の僕のスタンスとすごく共通するところがあるからだ。この曲のメッセージは「本当にあの虎を撃つ必要があったのか?お前は立派な男ではないのか?お前は勇敢な男ではないのか?」というところ。ジョンはそれを、すごくうまく表現していると思う」と評している[4][1]

インドから帰国後の5月に、イーシャーにあるジョージ・ハリスンの自宅でアルバム『ザ・ビートルズ』のセッションに向けたデモ音源の制作時に、本作も採り上げられた。このデモ音源は、2018年に発売された『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム) 〈スーパー・デラックス・エディション〉』に収録された[5]

楽曲は、メロトロンのサンプル音源によるスパニッシュ・ギターのイントロの後に、「Hey, Bungalow Bill / What did you kill, Bungalow Bill?(ヘイ、バンガロー・ビル、何を殺したんだい、バンガロー・ビル?)」という歌いだしで始まる。なお、メロディ・パートの後ろで聞こえるマンドリンの音やエンディングの「Hey, Bungalow Bill / What did you kill, Bungalow Bill?(ヘイ、バンガロー・ビル、何を殺したんだい、バンガロー・ビル?)」の3回目のリフレインから加わってくるトロンボーンの音もメロトロンで弾いたものとなっている[6]。冒頭のリフレインを繰り返しながらフェード・アウトし、拍手の後にレノンの「Eh up![注釈 1]」という掛け声が入って終了し、曲間を置かずに次曲「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」へと移行する[1]

レコーディング 編集

「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」のレコーディングは、1968年10月8日にEMIレコーディング・スタジオのスタジオ2で「アイム・ソー・タイアード」も仕上げた後に行われた[1]。ベーシック・トラックが3回録音[注釈 2]され、最終テイクとなるテイク3がマスターとして採用された[1]。サビでは、オノがバンガロー・ビルの母親に扮して「Not when he looked so fierce(あんなに獰猛そうなときは別よ)」というフレーズでリード・ボーカルを務めている[1]

トラック5とトラック6にマッカートニーがベースのパートを追加し、トラック5にレノンの「All the children sing(さあ子供達、歌うんだ)」という呼びかけを含む追加のボーカルを加えた[1]。トラック7にクリス・トーマスメロトロンが録音され、トーマスはヴァース部分ではマンドリンに設定し、サビではトロンボーンに設定して演奏している[1]。なお、イントロのスパニッシュ・ギターは、メロトロンに備えられている楽節のテープから7秒分の演奏を再生する機能を使用したもの[1]。残ったトラック3とトラック8に手拍子と拍手、レノンの「Eh up!」という挨拶、そしてギターがオーバー・ダビングされた[1]

リリース・評価 編集

「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」は、1968年11月22日にアップル・レコードから発売されたオリジナル・アルバム『ザ・ビートルズ』のA面6曲目に収録された。ビートルズの解散から8年後の1980年に発売された『リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス』にも収録されている。

音楽評論家のイアン・マクドナルド英語版は著書『Revolution in the Head』で、本作について「陳腐な熱弁に陥っている曲」と評している[7]。2018年に『インデペンデント』誌のジェイコブ・ストルワーシーは、アルバム『ザ・ビートルズ』収録曲を対象としたランキングで、本作を24位に挙げた[8]

クレジット 編集

※出典[7][1]

ビートルズ
外部ミュージシャン

カバー・バージョン 編集

  • フィッシュ - 1994年10月31日にニューヨークで開催されたアルバム『ザ・ビートルズ』に収録の全曲をカバーするライブで演奏。このライブでの演奏は、2002年に発売された4枚組のライブ・アルバム『LIVE PHISH 13 10.31.94』で音源化された[9]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ リバプール訛の英語で「よう、元気か」という意を持つ[1]
  2. ^ 2018年に発売された『ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム) 〈スーパー・デラックス・エディション〉』のCD6には、テイク2が収録された[1]

出典 編集

参考文献 編集

  • Cabrera, Enrique (2009年). “Only Some Northern Songs in The Beatles”. 2018年9月30日閲覧。
  • ハウレット, ケヴィン (2018). ザ・ビートルズ (ホワイト・アルバム) 〈スーパー・デラックス・エディション〉 (ブックレット). ビートルズ. アップル・レコード.
  • MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head: The Beatles' Records and the Sixties (2nd rev. ed.). London: Pimlico (Rand). ISBN 1-844-13828-3 
  • Miles, Barry (1997). Paul McCartney: Many Years from Now. New York, NY: Henry Holt. ISBN 0-8050-5249-6 

外部リンク 編集