ストゥージズ[注 1]The Stooges)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド

ザ・ストゥージズ
ポーランド・カトヴィツェ公演(2012年8月)
基本情報
別名
  • サイケデリック・ストゥージズ
  • イギー&ザ・ストゥージズ
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシガン州アナーバー
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト Iggy and the Stooges - The Official Iggy and the Stooges Site
メンバー
旧メンバー

1960年代末のガレージロックを代表するグループの一つ。フロントマン イギー・ポップの過激なパフォーマンスが特徴で、後のパンク/ニュー・ウェイヴに大きな影響を与えた。

2010年ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第78位。

来歴 編集

デビューからセカンド・アルバムまで(1967年 - 1970年) 編集

1967年、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストのロン・アシュトン(Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟、そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが[6]、後にザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味。

1969年、元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドジョン・ケイルのプロデュースにより、デビュー・アルバム『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』を発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じエレクトラ・レコードに所属するMC5と並んでガレージ・ロックオリジナル・パンク)の代表的存在と目される。

フロントマンのイギーは、客の注目を惹くためステージダイブをしたり[7]ピーナッツバターを体中に塗ったり、ステージに散りばめたガラスの破片の上を転がったりするなど[8]、身体を張ったパフォーマンスを展開した。

1970年には、セカンド・アルバム『ファン・ハウス』を発表。同作では新たにサックスを加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、アルコール中毒になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーはヘロインに溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。

ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉(1971年 - 1974年) 編集

 
創設者イギー・ポップ(Vo)1973年

1971年、イギーはデヴィッド・ボウイに出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初はギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)に新たなリズム隊を加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した[9]

1973年、『ロー・パワー』(旧邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義でコロムビア・レコードから発表。ボウイがミキシングを担当した。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。ボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。

1974年2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージズは解散した。

解散後の動向 編集

解散中の1975年、イギーはジェームズとともにレコーディングを行い、1977年に共同名義のイギー・ポップ&ジェームズ・ウィリアムソンとしてアルバム『キル・シティ』を発表[10]。また、ロン・アシュトンは、3代目ベーシストのジミー・レッカ、元MC5のドラマーであるデニス・トンプソンらとザ・ニュー・オーダーを結成し、アルバムを発表した[11]

1977年、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。

1997年、イギーがミックスをやり直した『ロー・パワー』を新たにリリースした。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、イギー自身が「どの曲も音が全部振り切れるくらいボリュームを上げて、すごく激しいミックスになった」と語る仕上がりになっている[12]

再結成 - メンバーの死去 - 活動停止(2003年 - 2016年) 編集

 
USAシカゴ公演(2007年)

2003年、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、29年ぶりに再結成。後に、スティーヴも参加。

2007年、34年ぶりのアルバム『ザ・ウィヤードネス』を発表。

2009年1月6日、ロン・アシュトンが死去(数日前に心臓発作で斃れたものと推定された)[13]

2010年、『ロックの殿堂』入りを果たす。授賞式でのプレゼンターはグリーン・デイビリー・ジョー・アームストロングが務めた。

2011年、スコットが脳卒中で倒れ離脱、代わりにイギーのソロ作品に共演経験のあるトビー・ダミットが参加。

2013年4月、6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表。亡くなったロンに代わり、ジェームズ・ウィリアムソンが約40年ぶりに復帰[14]

2014年3月16日、スコット・アシュトンが死去[15]

2015年10月11日、スティーヴ・マッケイが死去[16]

2016年にジェームズは、もはやバンドは機能していないことを明かし、解散宣言のない事実上の活動停止を公表。イギー自身はソロ活動にシフト。

2017年、ストゥージズのドキュメンタリー映画『ギミー・デンジャー』が公開[17]

メンバー 編集

最終ラインナップ 編集

  • イギー・ポップ(Iggy Pop) - ボーカル(1967年 - 1974年、2003年 - 2016年)
  • ジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson) - ギター(1970年 - 1974年、2009年 - 2016年)
  • マイク・ワット(Mike Watt) - ベース(2003年 - 2016年)
  • トビー・ダミット(Toby Dammit) – ドラムス(2011年 - 2016年)

旧メンバー 編集

  • ロン・アシュトン(Ron Asheton) - リードギター(1967年 - 1971年、2003年 - 2009年)、ベース(1972年 - 1974年)※2009年死去
  • スコット・アシュトン(Scott Asheton) - ドラムス(1967年 - 1974年、2003年 - 2011年)※2014年死去
  • デイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander) - ベース(1967年 - 1970年)※1975年死去
  • ビリー・チータム(Bill Cheatham) - ギター(1970年)※1990年代死去
  • ジーク・ゼトナー(Zeke Zettner) - ベース(1970年)※1973年死去
  • スティーヴ・マッケイ(Steve Mackay) - サックス(1970年、2003年 - 2015年)※2015年死去
  • ジミー・レッカ(Jimmy Recca) - ベース(1971年)
  • ワーレン・クレイン(Tornado Turner) – ギター(1973年)
  • ボブ・シェフ(Bob Sheff) – キーボード(1973年)
  • スコット・サーストン(Scott Thurston) – キーボード(1973年 - 1974年)

影響 編集

「ローリング・ストーン誌の選ぶオールタイム・ベスト・アルバム500」において、『ファン・ハウス』が191位[18]、『ロー・パワー』が128位[19]にランクイン。特に『イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』は、「オールタイム・ベスト・デビュー・アルバム100」と共に、それぞれ185位[20]と66位[21]にランクイン。

セックス・ピストルズダムドピート・ドハーティスレイヤーデフ・レパードソニック・ユースガンズ・アンド・ローゼズレッド・ホット・チリ・ペッパーズサウンドガーデンレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンなど、後世の名立たるバンドやミュージシャンに影響を与え、彼らにこぞってカヴァーされている。特にジャック・ホワイトは『ファン・ハウス』、ジョン・ライドンカート・コバーンは『ロー・パワー』をベスト・アルバムに挙げている。

ディスコグラフィ 編集

アルバム 編集

  • イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ』 - The Stooges(1969年)
  • ファン・ハウス』 - Fun House(1970年)
  • 『ロー・パワー』 - Raw Power(1973年)※イギー・アンド・ザ・ストゥージズ名義。旧邦題『淫力魔人』
  • 『ザ・ウィヤードネス』 - The Weirdness(2007年)
  • 『レディ・トゥ・ダイ』 - Ready to Die(2013年)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ストゥージス」の表記もある。

出典 編集

  1. ^ a b c Erlewine, Stephen Thomas. “The Stooges Biography, Songs & Albums”. AllMusic. All Media Network. 2021年11月13日閲覧。
  2. ^ Thompson, Graham (2007). American Culture in the 1980s. Edinburgh: Edinburgh University Press. p. 134. ISBN 0-7486-1910-0 
  3. ^ Fekadu, Meskin (2014年3月18日). “Scott Asheton, drummer for pioneering punk band the Stooges, dies at 64”. The Washington Post. 2021年11月13日閲覧。
  4. ^ Tawa, Nicholas E. (2005). Scarecrow Press. p. 179. ISBN 0-8108-5295-0 
  5. ^ Christgau, Robert (1977年10月24日). “Avant-Punk: A Cult Explodes . . . and a Movement Is Born”. Village Voice. http://www.robertchristgau.com/xg/music/avantpunk-77.php 2021年11月13日閲覧。 
  6. ^ ザ・ストゥージズのギタリスト、亡くなる barks 2009年1月7日
  7. ^ イギー・ポップ、トレードマークのステージ・ダイブを語る barks 2013年7月4日
  8. ^ イギー・ポップ、“MTVの『Jackass』に影響を与えたのは俺だ” barks 2001年7月22日
  9. ^ イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る ro69.jp 2014年3月21日
  10. ^ ザ・ストゥージズに黄金期のギタリストが復帰 ro69.jp 2009年9月7日
  11. ^ ストゥージズのロン・アシュトンがMC5のデニス・トンプソンらと組んでいたザ・ニュー・オーダー、1stがボートラ付き再発 amass.jp 2014年7月27日
  12. ^ 淫力魔人(ロー・パワー) Sony Music
  13. ^ ザ・ストゥージズのギタリスト ロン・アシュトンが死亡 イギー・ポップが追悼コメント ro69.jp 2009年1月8日
  14. ^ イギー・アンド・ザ・ストゥージズ、6年ぶりの新作『Ready to Die』を4月30日にリリース ro69.jp 2013年2月26日
  15. ^ ストゥージズのスコット・アシュトン逝去、盟友の死にイギー・ポップ沈痛”. billboard-JAPAN (2014年3月18日). 2018年4月21日閲覧。
  16. ^ ザ・ストゥージズのサックス奏者スティーヴ・マッケイ、死去”. BARKS (2015年10月12日). 2018年4月21日閲覧。
  17. ^ ジャームッシュが綴るザ・ストゥージズの真実、ドキュメンタリー予告編公開”. BARKS (2017年6月21日). 2018年4月21日閲覧。
  18. ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Stooges, 'Fun House' | Rolling Stone
  19. ^ 500 Greatest Albums of All Time: Iggy and the Stooges, 'Raw Power' | Rolling Stone
  20. ^ 500 Greatest Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone
  21. ^ The 100 Best Debut Albums of All Time: The Stooges, 'The Stooges' | Rolling Stone

外部リンク 編集