ザ・ドッグ・パウンドTha Dogg Pound)はアメリカヒップホップグループ。別名D.P.G.(Dogg Pound Gangstaz)又は、D.P.G.C.(Dogg Pound Gangsta Crips)。狭義にはダズ・ディリンジャークラプトからなるデュオ、広義にはスヌープ・ドッグやそのほかの準メンバーたちを含んだロングビーチ出身のアーティストのチームである。

ザ・ドッグ・パウンド
(Tha Dogg Pound)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ジャンル ヒップホップ
活動期間 1991-
レーベル デス・ロウ・レコーズInterscopeKochDPG Recordz
共同作業者 スヌープ・ドッグ
メンバー クラプト
ダズ・ディリンジャー

来歴 編集

1990年代前半(デス・ロウ・レコーズ初期時代) 編集

ドクター・ドレーのもとデス・ロウ・レコーズが設立されたとき、所属ラッパー、スヌープ・ドッグの従兄弟であるダズ・ディリンジャーと友人のクラプトによって結成された、スヌープ・ドッグの舎弟軍団的な位置づけのユニットである。1992年にリリースされたドクター・ドレーのアルバムにフィーチャリングされたのを皮切りに、デス・ロウ・レコーズ関連作品にたびたび登場し、1995年には初アルバム『ドッグ・フード』 (Dogg Food) をリリース。同アルバムは米国でダブル・プラチナ・アルバムとなる商業的成功をおさめた。

1990年代後半(デス・ロウ・レコーズ後期時代) 編集

ドクター・ドレーやスヌープ・ドッグ、2パック、そしてこのドッグ・パウンドと、次々とマルチ・プラチナ・アルバムをリリースして絶頂期にあったデス・ロウ・レコーズも、内部はシュグ・ナイトによる暴力的な体質に支配されており、1996年の2パックの暗殺死、ドクター・ドレーの離脱、1997年のスヌープ・ドッグの離脱と、1990年代後半には凋落の一途をたどった。ザ・ドッグ・パウンドの主力メンバーであるクラプトも1998年にはデス・ロウを離脱、ソロ・アルバム『Kuruption!』をリリースした。一方、片割れのダズ・ディリンジャーはデス・ロウ・レコーズのメイン・プロデューサ、そして副社長としてこの時代のデス・ロウをほぼ一人で支え、同社によるコンピレーション・アルバムをプロデュースし、1998年には『Retaliation, Revenge & Get Back 』をリリースした。1999年にはクラプトは早くも2枚目のソロ・アルバム『Tha Streetz Iz a Mutha 』をリリース、また多くの客演をこなすようになっていた。

D.P.G. Recordz設立 編集

1999年、ついにダズ・ディリンジャーもデス・ロウの体質に耐えられなくなり離脱、独自のレーベルD.P.G. Recordzを設立した。ダズは残された音源をまとめ、ソロ・アルバム『R.A.W』をリリースした。そして2001年、デス・ロウの束縛から解放されたダズとクラプトは再びユニットを再生、ユニットとしては2枚目となるアルバム『Dillinger & Young Gotti』をリリースした(ザ・ドッグ・パウンド名義は依然デス・ロウとの契約上使用できないことになっていたため、D.P.G.名義でのリリースであった)。デス・ロウ・レコーズはこれに対抗して、デス・ロウ内に残っていた音源を集めたアルバム『2002』をザ・ドッグ・パウンド名義でリリースした。クラプトは3枚目のソロ・アルバム『Space Boogie: Smoke Oddessey 』をリリース、新生D.P.G.が始動し始めた。

分裂 編集

2002年、ドッグ・パウンドの片割れクラプトが突如として再びデス・ロウに加入した。残されたダズ・ディリンジャーは盟友スヌープ・ドッグやスーパフライらと組んでクラプト、およびデス・ロウの社長シュグ・ナイトを激しく非難した。ダズはソロ・アルバム『This Is The Life I Lead』、『I Got Love In These Streetz EP』(ともに2002年)、『DPGC: U Know What I'm Throwin' Up』(2003年)を相次いでリリース、その収録曲中でデス・ロウ・レコーズ関係者を激しく罵った。2004年にはソロ・アルバム『I Got Love In These Streetz - The Album』をリリースすると共に、残されたD.P.G.の音源を集め、ドッグ・パウンドの終わりと銘打ったアルバム『The Last of Tha Pound』をリリースした。一方、この間クラプトはメディアへの露出も少なく、また正規リリースもできない不遇の日々が続いた。

再結集 編集

2005年、クラプトは結局満足な活動成果を得ることなく、デス・ロウでの3年の契約期限を終了、離脱した(このときにソロ・アルバム『Against Tha Grain』がリリースされている)。クラプトはダズとの和解も果たし、ユニットは再結成された。同年、再結成を記念してユニットとしては通算5枚目となるアルバム『Dillinger & Young Gotti II: Tha Saga Continuez...』をD.P.G.名義でリリースした。ダズはソロ・アルバム『Tha Dogg Pound Gangsta LP 』もリリースし、ドッグ・パウンドの不毛な時代に終止符を打った。2006年にはドッグ・パウンド名義そのものも使用できるようになり、またKoch Recordsと契約、ドッグ・パウンド名義でアルバム『Cali Iz Active』をリリースした。同アルバムはスヌープ・ドッグの全面的なバックアップを受けている。2007年にはユニットとして通算7枚目となるアルバム『Dogg Chit』をリリースした。この間にダズのソロ・アルバム『Gangsta Crunk』(2005年)、『So So Gangsta 』(2006年)、『Gangsta Party』(2007年)、およびクラプトのソロ・アルバム『Same Day, Different Shit』(2006年)をリリース、1991年の結成から15年を超えてもなお非常に活発なグループである。

メンバー 編集

準メンバー 編集

ディスコグラフィー 編集

クラプトのソロ 編集

  • Kuruption!(1998年)
    • 米国での売り上げ:319,519 枚
  • Tha Streetz Iz a Mutha (1999年)
    • 米国での売り上げ:507,893 枚
  • Space Boogie: Smoke Oddessey (2001年)
    • 米国での売り上げ:348,272 枚
  • Originals (2004年)
  • Against Tha Grain(2005年)
    • 米国での売り上げ:21,967 枚
  • Same Day, Different Shit (2006年)

ダズ・ディリンジャーのソロ 編集

  • Retaliation, Revenge & Get Back (1998年)
  • R.A.W (2001年)
  • This Is The Life I Lead (2003年)
    • RIAA certification:85,793 枚
  • I Got Love In These Streetz EP (2003年)
  • DPGC: U Know What I'm Throwin' Up (2004年)
  • I Got Love In These Streetz - The Album (2004年)
  • Tha Dogg Pound Gangsta LP (2005年)
  • Gangsta Crunk (2006年)
  • So So Gangsta (2007年)
  • Gangsta Party (2008年 予定)
  • Only On The Left Side (2008年)
  • Throw a Stack at 'em (2008年 予定)

参考文献 編集

  • ソーレン・ベイカー『ギャングスター・ラップの歴史 スクーリー・Dからケンドリック・ラマーまで』塚田桂子訳・解説、DU BOOKS、2019年9月。