シクストゥス2世 (ローマ教皇)

シクストゥス2世(Sixtus II、215年 - 258年8月6日)は、ローマ教皇(在位:257年8月31日 - 258年8月6日)。カトリック教会の聖人であり、聖シクストゥス(: St. Xystus)とも表記される[1][2]ローマ皇帝ウァレリアヌスの迫害のため殉教した。カタコンベでの儀式中に4人の助祭と共に捕らえられ、その場で斬首されたと伝えられる[3]

聖シクストゥス2世
第24代 ローマ教皇
Sandro Botticelli - Sixte II
教皇就任 257年8月31日
教皇離任 258年8月6日
先代 ステファヌス1世
次代 ディオニュシウス
個人情報
出生 215年
死去 258年8月6日
ローマ帝国ローマ
その他のシクストゥス
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生涯 編集

 
聖シクストゥスの殉教,14世紀

教皇の書』によればギリシャの生まれだとされるが、おそらく誤っている[4]。彼は異端派の洗礼の問題で途絶えていたアフリカや東方正教会との関係を修復した[3]

258年、ウァレリアヌスによる迫害[注 1]のために、多くの聖職者が殺された。シクストゥス2世はこの迫害による最初の犠牲者の一人であり、8月6日に斬首された。彼は6人の助祭、ヤヌアリウス、ウィンケンティウス、マグヌス、ステファヌス、フェリキシムス、アガピトゥス[注 2]とともに殉教した[4]

通常、司教祭服で教皇冠をかぶり、十字杖・本を持った姿で描かれる。また、聖人伝[6]において、殉教に際しラウレンティウスに教会の財産を貧しい人々に施すことを命じたことから、金入れ・金貨を持っている姿で描かれることもある[7]

彼はキュプリアヌスに擬せられる『Ad Novatianum』の著者と見なされるが、一般的に認められていない。253年から258年にローマで書かれた別の著作物は、一般的に彼のものとされている。

注釈 編集

  1. ^ 司教、長老、助祭は処刑。元老院議員、有力者、ローマの騎士は地位はく奪と財産没収。なおキリスト者をやめなければ斬首の勅令が公布された[5]
  2. ^ フェリキシムス、アガピトゥスの2人の助祭については同日に殉教した。

脚注 編集

  1. ^ 黄金伝説3, p. 144
  2. ^ St. Xystus, or Sixtus II., Pope and Martyr, バトラーによるLives of the Saints.より、シクストゥス2世の頁。
  3. ^ a b 黄金伝説3, p. 146
  4. ^ a b Pope St. Sixtus II,Catholic Encyclopedia
  5. ^ 持田, p. 17
  6. ^ 黄金伝説3, 「一〇八 聖シクストゥス」の章, p. 144-146 など。
  7. ^ 黄金伝説3, p. 147

参考文献 編集

  • ヤコブス・デ・ウォラギネ、前田 敬作(訳)、西井 武(訳)、2006、『黄金伝説3』、平凡社〈平凡社ライブラリー〉 ISBN 978-4582765823
  • 持田 行雄「キプリアヌス神学の歴史的意義」『秋田大学教育学部研究紀要 人文科学・社会科学』1980年、ISSN 03870103 hdl:10295/1134