シハーブッディーン・ウマル

シハーブッディーン・ウマル(Shihab ud Din Umar, 生年不詳 - 1316年)は、インド北部を支配したハルジー朝の第4代君主(在位:1316年)。第3代君主アラー・ウッディーン・ハルジーの末子。

シハーブッディーン・ウマル
ハルジー朝第4代君主
在位 1316年1月 - 4月

死去 1316年
王朝 ハルジー朝
父親 アラー・ウッディーン・ハルジー
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生涯 編集

1316年1月、父アラー・ウッディーン・ハルジーが死ぬと、宦官で実権を握ったマリク・カーフールによって兄たちが幽閉され、まだ幼かったシハーブッディーン・ウマルが傀儡として擁立された。[1]

しかし、2月にマリク・カーフールが 暗殺されると、ウマルは廃されることとなり、兄のクトゥブッディーン・ムバーラク・シャーが擁立された[1]

脚注 編集

  1. ^ a b ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.131

参考文献 編集

  • フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。 

関連項目 編集

先代
アラー・ウッディーン・ハルジー
ハルジー朝の君主
1316年
次代
クトゥブッディーン・ムバーラク・シャー