シャイ・ハルード (バンド)

シャイ・ハルード(Shai Hulud)はアメリカ合衆国メタルコアバンドである。 バンド名の由来はフランク・ハーバート原作の小説、『デューン』に登場する怪物の名前から。 大半の作詞・作曲はマット・フォックス(ギター)およびマシュー・フレッチャー(ベース)が担当している。

シャイ・ハルード
Shai Hulud
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
フロリダ州ポンパノビーチ
ジャンル メタルコア
ハードコア・パンク
メロディック・ハードコア
プログレッシヴ・メタル
活動期間 1995年 - 現在
レーベル メタル・ブレイド・レコーズ, Revelation, Crisis, Trustkill, Undecided, Century Media, Bridge 9
共同作業者 ニュー・ファウンド・グローリー, Zombie Apocalypse, Strongarm, The Black Atlantic, Rorschach, Kiss It Goodbye, Damien Done, As Friends Rust, Drowningman, Silent Drive
メンバー ジャスティン・クラウス
マット・フォックス
トーマス・コレロ
マシュー・フレッチャー
デイヴ・ジョイヤル
エリック・イングリッシュ
旧メンバー ダミアン・モイヤル
チャド・ギルバート
ガート・ヴァン・デル・ヴェルデ
エリック・デロン
マット・ラン・マッツァーリ
マック・マナーハム
オリヴァー・チャッポイ
マット・キャニング
デーン・メトカーフ
ライアン・バーンズ
グレゴリー・トーマス
チャズ・キシック
ティム・オレリー
トニー・デルモネゴ
デイヴ・シルバー
ジャレッド・アレン
スティーヴ・マクジンスキー
ジャスティン・シェップ
ネイサン・グラック
ニック・マルドネイド
ジェイソン・レダーマン
スティーヴ・クライサス
アンドリュー・ゴームリー
スパイキー・ゴールドバック
トニー・ティンタリ
ブライアン・ゴー
シェーン・シューク
マイク・ジャスティン
アーロン・グッドリッチ
マット・コヴィー

来歴 編集

結成~デビューまで 編集

1995年にマット・フォックス、デイヴ・シルバー、ダミアン・モイヤル、ジェイソン・レダーマン、オリヴァー・チャッポイの5人で結成。 しかしジェイソンとの間に確執が生まれ彼が脱退したため、次のドラマーを探すことになる。 その後、マットと顔見知りであった元ストロングアームのスティーヴ・クライサスが加入。 メンバーの揃ったバンドは6曲入りのデモを作成。 そのデモがアンブロークンのベーシストロブ・モランの目に留まり、彼の手引きでリヴェレイション・レコードと契約を果たす。 会社はバンドのデモを気に入っていたが、バンド名が覚えにくいという理由で改名を提案していた。 1996年ハロウィンに最初のライブを行うものの、リスナーは50人に満たなかった。

ボーカルのダミアン・モイヤルがリヴェレイション・レコードとの契約時に脱退すると、バンドは当時まだ14歳だったチャド・ギルバートを新メンバーに迎えた。 1996年の秋にバンドは新たなレコードの製作に入り、翌年の1997年2月に3曲入りのデビューEP『A Profound Hatred Of Man』をリリースする。 当初5000枚のコピーが作成されたが、"Shai Halud"などのスペルミスが目立ったという。

1stアルバム発表~ニューヨークへの移転 編集

同年、チャドはニュー・ファウンド・グローリーとしての活動に傾きがちになり、バンドに早くも暗雲が立ち込み始める。 そんな状況の下、バンドは8月から次の作品のレコーディングに取り掛かり始める。 9月にレコーディングが終了し、11月に1stフルアルバム『Hearts Once Nourished with Hope and Compassion』をリリースする。 翌年1998年にはシャドウズ・フォールカンニバル・コープスらと共に全米を廻るツアーを行った。 さらに11月にはニューヨークインディシジョンと共にスプリット・アルバム『The Fall of Every Man』をリリース。

しかし、バンドの名声が上がるにつれて何人かのメンバーがモチベーションの低下を訴え始める。 1998年、オリヴァー・チャッポイはバンドを去る決意をする。翌年の1999年1月に後任としてマシュー・フレッチャーが加入。 彼は1997年にシャイ・ハルードのライブを見に行っていた。

スティーヴ・クライサスが家庭の都合でバンドを脱退すると、立て続けにチャド・ギルバートもニュー・ファウンド・グローリーでの活動に専念するため脱退。 怪しい雲行きのままバンドはヨーロッパツアーを敢行、新たなボーカリストをガート・ヴァン・デル・ヴェルデが担当した。 バンドは帰国後も活動を継続する意向でいたが、そんな中デイヴ・シルバーはすでに帰国に合わせてバンドを去る準備をしていた。 2000年1月、マットの友人であるジャレッド・アレンが後任のベーシストとして参加することになった。 その後、アナザー・ヴィクティムとのスプリット『A Whole New Level of Sickness』およびメタリカのトリビュート『Crush 'Em All Vol. 1』のレコーディングを開始、どちらも同年3月にリリースされた。 レコーディングにはスパイキー・ゴールドバックとバンドを離れていたスティーヴが参加している。 その後バンドは2001年に活動の拠点をニューヨークポキプシーに移している。

2ndアルバム発表~メンバーの変遷 編集

2002年にジャレッドがバンドを去ったため、マシューがギターからベースに転向している。 翌年の2003年5月に2枚目のフルアルバム『That Within Blood Ill-Tempered』をリリース。 このアルバムは、メディアへの露出がほとんどない状態でビルボードのインディー・チャートで39位にランクインを果たしている。 アルバムの製作にあたって、バンドは正式なドラマーを探しており、レコーディングにはトニー・ティンタリが参加した。 アルバムのリリース後、ギタリストのマット・キャニングをメンバーに加え、世界ツアーを敢行した。 しばらくした後、ボーカリストのガート・ヴァン・デル・ヴェルデが脱退し、他バンドやソロプロジェクトへ活動の場を移した。 ギタリストのマット・キャニング、ドラマーのトニー・ティンタリも同様の理由でバンドを去ってしまう。 その後ドラマーのアンドリュー・ゴームリー、また元ボーカリストのチャド・ギルバートがそれぞれサポートとして参加することになった。 多くの人々が解散を噂するなか、バンドは自身のホームページで活動の継続を主張し、さらにバンド名をワームス・オブ・レッド・ブラッドへ改名することになった。 また次なるデモ音源のレコーディングのためのボーカリストの募集を始めた。 2005年には未発表音源やライブ音源などを収録した『A Comprehensive Retrospective: Or How I Learned to Stop Worrying and Release Bad and Useless Recordings』をリリースした。

3rdアルバム発表~来日ツアー 編集

2006年早々、バンドはエリック・デロンをドラムボーカルに迎え、3曲入りのデモを作成した(前ボーカルのガートもフィーチャリングで参加)。 また、3月には、前々から騒がれていた改名提案を取り消し、引き続きシャイ・ハルードとして活動することを報告した。 6月、バンドは名門レーベルのメタル・ブレイド・レコーズへ移籍する。 その後、移籍後初のアルバムとなる3rdフル『Misanthropy Pure』を5月にリリース。 ビルボードチャートではインディー・アルバム部門で35位にランクインし、前作に引き続きチャート入りを果たした。 メンバーの穴埋めには元アンアースのマイク・ジャスティンやチャズ・キシックらが参加した。 また前ボーカルのガートが2009年の来日ツアーのために復帰し、パークウェイ・ドライヴCrystal Lakeと共に全国を周った。 さらに前ボーカルチャドの所属するニュー・ファウンド・グローリーとのスプリット『Not Without a Heart Once Nourished by Sticks and Stones Within Blood Ill-Tempered Misanthropy Pure Gold Can Stay』を、 お互いのライブ会場で500枚のみの限定販売を行った。

4thアルバム発表~現在 編集

2011年2月2日から19日にかけて、17日間に及ぶ全米ツアーを敢行した。 さらにニュー・ファウンド・グローリーで活動していた前ボーカリストのチャドを迎えての新作アルバムの製作を開始する。 そして2年後の2013年2月に4thフルアルバム『Reach Beyond the Sun』をリリースし、現在に至る。

ディスコグラフィー 編集