シヴェーリア公国(シヴェーリアこうこく、ウクライナ語: Сі́верське кня́зівство)は、1097年から1523年にかけてシヴェーリア地方に存在した公国である。ノーウホロド=シーヴェルシクィイ公国Но́вгород-Сі́верське кня́зівство)ともいう。

歴史 編集

最初はキエフ大公国の分国、チェルニーヒウ公国の行政的単位であったが、12世紀に事実上の自治公国となった。都は現在のノーウホロド=シーヴェルシクィイウクライナ)に置かれた。12世紀末にシヴェーリア公国からクルスク公国プティーブリ公国ルィーリシク公国が分立した。リューリク朝オーリホヴィチ家によって支配された。キエフ大公の座を巡る内訌に積極的に参加し、しばしば南方の敵である欽察人と争った。シヴェーリア公家による欽察人との戦争は『イーゴリ遠征物語』において謳われている。1240年にキエフ大公国が滅亡すると、ジョチ・ウルス属国となった。14世紀半ばにリトアニア大公国の支配下に入ったが、公家はリューリク朝からゲディミナス朝に交代した。1503年モスクワ大公国に征服され、1523年に公座の廃止にともなって滅亡した。

参考文献 編集

  • 伊東孝之井内敏夫中井和夫 編『ポーランド・ウクライナ・バルト史』山川出版社東京〈世界各国史; 20〉、1998年。ISBN 4-634-41500-3NDLBibID: 000002751344 
  • 黒川祐次物語ウクライナの歴史 : ヨーロッパ最後の大国中央公論新社、東京〈中公新書; 1655〉、2002年。ISBN 4-121-01655-6NDLBibID: 000003673751 

関連項目 編集

外部リンク 編集