ジェイ・シェレンJay Schellen1960年5月20日 - )は、ハードロック・バンド、ハリケーンのメンバーとして最もよく知られているアメリカのドラマーである。シェレンはまた、エイジア[1]ワールド・トレイドサーカアンルーリー・チャイルドイエスなど、他の多くのヘビーロック・バンドやプログレッシブ・ロック・バンドとも協力してきた。

ジェイ・シェレン
Jay Schellen
基本情報
出生名 Jay Schellenbaum
生誕 (1960-05-20) 1960年5月20日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューメキシコ州アルバカーキ
ジャンル ヘヴィメタル
プログレッシブ・ロック
ハードロック
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラム
活動期間 1979年 -
共同作業者 ハリケーン
エイジア
コンスピラシー
サーカ
ワールド・トレイド
アンルーリー・チャイルド
エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペイン
サークル・オブ・サイレンス
ストーン・フューリー
GPS
イエス
公式サイト www.jayschellen.com

略歴 編集

1979年、10代のジェイ・シェレンは、オハイオ・プレイヤーズをサポートするR&Bレジェンド、アル・ウィルソン(シングル「Show and Tell」で知られる)と一緒にビッグ・ステージのツアーに参加した。1981年にロサンゼルスに居を移した後、ジェイはLAセッション・シーンに入り込み、元イエスのギタリストであったピーター・バンクスのバンドとローカルなステージで、ZZトップのサポートとしてダニー・ジョンソン・アンド・ザ・バンディッツとナショナル・アリーナで演奏した。1982年、シェレンはイギリスのポップ・バンド、バッドフィンガーに招かれ、トミー・エヴァンズ、ジョーイ・モーランド、グレン・シャーバ、イエスのキーボーディストのトニー・ケイといったメンバーに加わった。

1984年、シェレンはストーン・フューリーに参加し、歌手のレニー・ウルフとギタリストのブルース・ゴウディと協力した。1985年から1991年まで、彼はメロディック・ロック・グループのハリケーンに参加した。ハリケーンは、『TAKE WHAT YOU WANT』『オーバー・ジ・エッジ』『スレイヴ・トゥ・ザ・スリル』という3枚のアルバムをリリースし、3回のワールド・ツアーを行い、MTVビデオのトップ10に2曲を送り出した。1993年、シェレンはゴウディと合流し、新たなメロディック・ロック・プロジェクトであるアンルーリー・チャイルドに参加、セルフタイトルのCDをリリースした。シェレンは1995年にもゴウディと再び仕事をし、セカンド・アルバム『ユーフォリア』のために、ビリー・シャーウッド(後にイエス)率いるワールド・トレイドに参加した。シェレンとシャーウッドは、1995年にマグナ・カルタ・レコード・レーベルでリリースされた2つのトリビュート・アルバムに参加したワールド・トレイドからの唯2人のメンバーだった。

1994年から1997年にかけて、シェレンは歌手のデヴィッド・リース(元アクセプト、元バンガロー・クワイア)、ギタリストのラリー・ファーカス(元ヴェンジャンス・ライジング、元ダイ・ハッピー)、ベーシストのグレッグ・チェイソン(元バッドランズ)とサークル・オブ・サイレンスを結成した。1997年、シェレンは評価の高いドラム・メソッドの本『Rocking Independence』を出版している。1998年、彼は元ハリケーンのバンドメイトであるケリー・ハンセンと共に、ギタリストであるスチュアート・スミスのアルバム『ヘヴン・アンド・アース』で演奏した。1998年-1999年には、ゴウディとハンセンとの2枚目のアンルーリー・チャイルドのアルバムを見出だした。1999年、シェレンはシャーウッドのデビュー・ソロ・アルバム『The Big Peace』で演奏し、翌年、彼はイエスのベーシストであるクリス・スクワイアとともにシャーウッドのプロジェクト、コンスピラシーにてレコーディングを行った。2003年、シェレンはコンスピラシーに再度参加し、アルバム『The Unknown』をレコーディング、2004年にレコーディングされて2006年にリリースされたスタジオでのライブDVDがそれに続いた。シェレンは、2008年にプログレッシブ・グループのサーカに参加する(アラン・ホワイトと交代し)など、他の多くのプロジェクトでシャーウッドと協力してきている。サーカには、キーボードにトニー・ケイ、ギターにジミー・ホーンが再び加わった。彼らは2009年1月にアルバム『ヘッド・クオーター(サーカ・セカンド・アルバム)』をリリースした。また、バンドの初期段階でYOSOと働き、再びシャーウッドとケイと働いた。2010年、ジェイはシャーウッド、ジミー・ホーン、ケイに再び加わり、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるレーザー博物館で開催された、伝説のロックンロールDJ、ジム・ラッドとのコラボレーションで「Headsets」を演奏した。

2004年、シェレンとシャーウッドは、エイジアのアルバム『サイレント・ネイション』で、ジェフ・ダウンズ(元イエスのキーボード奏者)とのプリプロダクションに取り組んだ。2005年8月、シェレンはクリス・スレイドに代わってエイジアのドラマーとなった。グループは広範囲にわたってヨーロッパをツアーし、ライブ・レコーディングをリリースした。しかしながら、2006年にダウンズはオリジナル・メンバーであるエイジアの4人で再結成するためにそれまでのラインナップから脱退すると、残されたシェレンと他の2人のエイジア・メンバーであるシンガーのジョン・ペインとギタリストのガスリー・ゴーヴァンは、新バンド、GPS(バンド名はゴーヴァン、ペイン、シェレンの頭文字)を結成した。GPSはデビュー・アルバム『ウィンドウ・トウ・ザ・ソウル』をリリースした。2008年、エイジア・フィーチャリング・ジョン・ペインが、ペイン、ゴーヴァン、キーボード奏者のエリク・ノーランダー、ドラムのシェレンとで結成された。アルバムは、デュークス・オブ・ジ・オリエントという新しい名前でリリースされた。この頃、アンルーリー・チャイルドも再結成している。

2013年9月から、彼はラスベガスの制作によるジュークボックス・ミュージカルの『Raiding the Rock Vault』で、当初はエイジアのバンド仲間であるジョン・ペインと一緒に演奏していた。

2016年、シェレンはその年の北米ツアーにおいて、イエスのドラマーであるアラン・ホワイトが背中の手術から回復するまでの間、一時的に代役を務め、回復してからも2017年2月までホワイトと一緒に演奏し続けた。2017年11月からは、関節の細菌感染と闘っているホワイトをサポートするために、2人目のゲスト・ドラマーとして演奏した。

2022年5月、ホワイトの死去でイエスのドラマーが不在となっていたが、サポートを続けていたシェレンが2023年2月、正式メンバーとして加入した。

シェレンは、dwドラム、Remoドラムヘッド、およびジルジャン・シンバルとスティックを使って演奏している。

ディスコグラフィ 編集

ハリケーン 編集

  • 『TAKE WHAT YOU WANT』 - Take What You Want (1985年)
  • 『オーバー・ジ・エッジ』 - Over the Edge (1988年)
  • 『スレイヴ・トゥ・ザ・スリル』 - Slave to the Thrill (1990年)
  • 『リキフリー』 - Liquifury (2001年)

アンルーリー・チャイルド 編集

  • 『アンルーリー・チャイルド』 - Unruly Child (1992年)
  • 『ウェイティング・フォー・ザ・サン』 - Waiting For The Sun (1998年)
  • 『UCIII』 - UCIII (2003年)
  • 『ワールズ・コライド』 - Worlds Collide (2010年)
  • 『キャント・ゴー・ホーム』 - Can't Go Home (2017年)
  • Unhinged Live From Milan (2018年) ※ライブ

その他の参加アルバム 編集

脚注 編集

外部リンク 編集