ジェームズ・ヒンチクリフ

ジェームズ・ヒンチクリフ (James Hinchcliffe, 1986年12月5日 - ) は、カナダのレーシングドライバー。2011年よりインディカー・シリーズに参戦している。

ジェームズ・ヒンチクリフ
James Hinchcliffe
2011年のインディ500で
基本情報
国籍 カナダの旗 カナダ
生年月日 (1986-12-05) 1986年12月5日(37歳)
出身地 オンタリオ州オークビル
インディカー・シリーズでの経歴
所属 アンドレッティ・スタインブレナー・オートスポーツ
車番 29
過去所属 アンドレッティ・モータースポーツ
シュミット・ピーターソン・モータースポーツ
出走回数 109
優勝回数 5
ポールポジション 1
ファステストラップ 2
過去参加シリーズ
2009-10
2006-2008
2006-07
2005
2004
ファイアストン・インディ・ライツ
アトランティック・チャンピオンシップ
A1グランプリ
スター・マツダ・シリーズ
フォーミュラ・BMW USA
受賞
2010
2011
グレッグ・ムーア レガシー・アウォード
インディカー ルーキー・オブ・ザ・イヤー
トニー・レナ ライジングスター・アウォード

経歴 編集

初期 編集

ゴーカートレースの後、ヒンチクリフは2003年にオープンホイールに参戦、ブリヂストンレーシングアカデミーF2000シリーズで3位となる。翌年はフォーミュラ・BMW USAに参戦、3勝を挙げた。2005年はスター・マツダ・シリーズに参戦、3勝を挙げてランキング3位となる。2006年、アトランティック・チャンピオンシップにステップアップ、フォーサイス・レーシングに加わる。ポートランドで優勝し他に表彰台に2度上るが、シーズンランキングは10位であった。

A1グランプリ 編集

その後A1チーム・カナダに加わりA1グランプリに参戦、ザントフォールトのスプリントレースで8位、メインレースで13位となり、チェコではスプリントレースで2位に入賞したが、メインレースでは周回の大半をトップで走行したものの、アレックス・ユーンと接触し5位となった。続く北京ではスプリントで4位、メインでは優勝の可能性があったもののピット戦略の誤りで10位に終わった。2戦を欠場しニュージーランドではスプリント、メイン共に6位であった。

その後は再びシエラ・シエラ・エンタープライゼズからチャンプカー・アトランティックに参戦、優勝は無かったもののシーズンを4位で終えた。このシーズン中、彼はチャンプカー・ワールド・シリーズのテレビ中継でコメンテーターを務めた。2008年はフォーサイス・レーシングに戻り第2戦のラグナ・セカで優勝、再びランキング4位となる。

インディ・ライツ 編集

2009年インディ・ライツに参戦、サム・シュミット・モータースポーツに加わる。シーズンではポールポジションも優勝も無かったがランキング5位となった。2010年チーム・ムーア・レーシングと契約する。ヒンチクリフは3勝を挙げそのほか5度の表彰台を得、フランス人ルーキーでサム・シュミットのジャン=カール・ヴェルネイに次ぐランキング2位となった。

彼はまた2010年のインディ500では、インディアナポリス・モータースピードウェイ・ラジオネットワークのレギュラードライバーアナリストのディヴィー・ハミルトンがレースに出場したためその代役としてドライバーアナリストを務めた。

インディカー・シリーズ 編集

 
2012年のインディ500、予選後のヒンチクリフ

2011年4月、ヒンチクリフはニューマン・ハース・レーシングと契約し、インディジャパンを除く2011年のインディカー・シリーズに参戦することが発表された。第2戦のバーバー・モータースポーツ・パークでデビューを果たしたが、スピンしたE.J.ヴィソと接触、完走することはできなかった。続くロングビーチでは4位に入賞し、第4戦のサンパウロでは9位に入賞した。

初めての出場となった2011年のインディ500では13位からスタート、序盤から上位を走行したが、101ラップ目にクラッシュし、29位でレースを終えた。

インディ500に続いて、テキサスでのファイアストン・ツイン275sに出場、しかしながら両レースとも苦戦、20位および19位という結果であった。続くミルウォーキー・マイルでは6位に入賞する[1]。シーズンのその後はコンスタントに完走し、パンサー・レーシングJ.R.ヒルデブランドを押さえてルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。しかしながら、シーズン終了後ニューマン・ハースはヒンチクリフとの契約を更新しないと発表した。その後、チーム自身も参戦から撤退した。

2012年、ダニカ・パトリックNASCARに本格転向、さらに彼女に代わり契約していたダン・ウェルドンが事故死したため、ヒンチクリフがゴーダディの27番車をドライブすることとなった。これは同じカナダ人ドライバーのジル・ヴィルヌーヴジャック・ヴィルヌーヴと同じ車番であった[2]。この年は開幕戦でレース前に長髪のカツラを被って昨年まで同じデザインのスーツに身を包んでいたダニカに扮するドッキリを仕掛けたり(2週間前のメディアデーでファンや記者から「ヘイ、ダニカ」とからかわれたことへの復讐という)[3]、後述の公式動画への出演などレース以外でもファンの注目を浴びている。

2013年、開幕戦セントピーターズバーグで初勝利。このシーズンは3勝を挙げる。

2015年はノラ・モータースポーツ・パークでの第2戦でシーズン初勝利を挙げる。しかしインディ500では予選翌日のプラクティスで、サスペンショントラブルから時速220マイルを超えるスピードでクラッシュ、この際鉄製のウィッシュボーンがモノコックを貫通してヒンチクリフの右脚を貫き、左太股の上部の骨盤手前にまで達してしまう。このクラッシュでヒンチクリフは出血多量の重傷を負うがセーフティクルーの迅速な処置と集中治療室での治療により一命を取り留めた。しかしこの怪我のためこのシーズンの残り全戦の欠場を余儀なくされた。

2016年にはコースに復帰し、インディ500ではポールポジションを獲得、しかし決勝では7位に終わり、シーズンも未勝利に終わった。

2018年のインディ500ではよもやのバンプアウト(予選敗退)を喫してしまう。

その他 編集

  • 2012年からインディカー・シリーズに導入されたシャシーの名称「DW12」は、ヒンチクリフが提案したものである。
  • IndyCarの公式動画「INDYCAR with James Hinchcliffe」に出演している。
  • GoDaddyがスポンサーとなっている。

記録 編集

A1グランプリ 編集

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 DC ポイント
2006年-07年 A1チーム・カナダ NED
SPR

8
NED
FEA

13
CZE
SPR

2
CZE
FEA

5
CHN
SPR

4
CHN
FEA

10
MYS
SPR
MYS
FEA
IDN
SPR
IDN
FEA
NZL
SPR

6
NZL
FEA

6
AUS
SPR

13
AUS
FEA

Ret
RSA
SPR

13
RSA
FEA

Ret
MEX
SPR

13
MEX
FEA

15
CHN
SPR
CHN
FEA
GBR
SPR
GBR
FEA
11位 33
2007年-08年 NED
SPR

19
NED
FEA

18
CZE
SPR

12
CZE
FEA

11
MYS
SPR

MYS
FEA

ZHU
SPR

ZHU
FEA

NZL
SPR

NZL
FEA

AUS
SPR

AUS
FEA

RSA
SPR

RSA
FEA

MEX
SPR

MEX
FEA

SHA
SPR

SHA
FEA

GBR
SPR

15
GBR
FEA

17
9位 75

アメリカン・オープンホイール 編集

(key)

アトランティック・チャンピオンシップ 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2006年 フォーサイス・レーシング LBH
3
HOU
4
MTY
16
POR
1
CLE1
17
CLE2
19
TOR
6
EDM
Ret
SJO
Ret
DEN
7
MTL
3
ROA
Ret
10位 160
2007年 シエラ・シエラ・エンタープライゼズ LVG
4
LBH
7
HOU
3
POR1
2
POR2
2
CLE
6
MTT
3
TOR
Ret
EDM1
3
EDM2
9
SJO
Ret
ROA
14
4位 224
2008年 フォーサイス・レーシング LBH
10
LS
1
MTT
4
EDM1
3
EDM2
3
ROA1
5
ROA2
8
TRR
Ret
NJ
16
UTA
10
ATL
3
4位 196

インディ・ライツ 編集

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
2009年 サム・シュミット・モータースポーツ STP1
6
STP2
3
LBH
3
KAN
12
INDY
16
MIL
7
IOW
3
WGL
21
TOR
3
EDM
4
KTY
7
MDO
2
SNM
6
CHI
12
HMS
14
5位 395
2010年 チーム・ムーア・レーシング STP
15
ALA
5
LBH
1
INDY
3
IOW
5
WGL
2
TOR
10
EDM
1
MDO
7
SNM
3
CHI
1
KTY
2
HMS
2
2位 471

インディカー・シリーズ 編集

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2011年 ニューマン・ハース・レーシング ダラーラ ホンダ STP
ALA
24
LBH
4
SAO
9
INDY
29
TXS1
20
TXS2
19
MIL
6
IOW
9
TOR
14
EDM
15
MDO
20
NHM
4
SNM
7
BAL
24
MOT
15
KTY
4
LVS
C
12位 302
2012年 アンドレッティ・オートスポーツ ダラーラ・DW12 シボレー STP
4
ALA
6
LBH
3
SAO
6
INDY
6
DET
21
TXS
4
MIL
3
IOW
17
TOR
22
EDM
12
MDO
5
SNM
26
BAL
15
FON
13
8位 358
2013年 STP
1
ALA
26
LBH
26
SAO
1
INDY
21
DET1
15
DET2
19
TXS
9
MIL
5
IOW
1
POC
24
TOR1
8
TOR2
21
MDO
10
SNM
8
BAL
7
HOU1
24
HOU2
3
FON
4
8位 449
2014年 ホンダ STP
19
LBH
21
ALA
7
IMS
20
INDY
28
DET1
6
DET2
5
TXS
14
HOU1
5
HOU2
14
POC
12
IOW
6
TOR1
8
TOR2
18
MDO
3
MIL
19
SNM
12
FON
5
12位 455
2015年 シュミット・ピーターソン・モータースポーツ STP
16
NLA
1
LBH
12
ALA
7
IMS
12
INDY
Wth
DET1 DET2 TXS TOR FON MIL IOW MDO POC SNM 23位 129
2016年 STP
19
PHX
18
LBH
8
ALA
6
IMS
3
INDY
7
DET1
18
DET2
21
RDA
14
IOW
9
TOR
3
MDO
5
POC
10
TXS
2
WGL
18
SNM
12
13位 416
2017年 STP
9
LBH
1
ALA
6
PHX
12
IMS
13
INDY
22
DET1
3
DET2
20
TXS
14
ROA
20
IOW
10
TOR
3
MDO
11
POC
20
GMP
8
WGL
21
SNM
22
13位 376
2018年 STP
4
PHX
6
LBH
9
ALA
3
IMS
7
INDY
DNQ
DET1
11
DET2
16
TXS
4
ROA
10
IOW
1
TOR
4
MDO
14
POC
20
GTW
15
POR
22
SNM
15
10位 391
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
6 3 82 1 4 20 40 0 0
** 表彰台(勝利以外):2位または3位
*** トップ10
(表彰台以外):4位から10位まで

インディ500 編集

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2011年 ダラーラ ホンダ 13 29 ニューマン・ハース・レーシング
2012年 ダラーラ シボレー 2 6 アンドレッティ・オートスポーツ
2013年 ダラーラ シボレー 9 21 アンドレッティ・オートスポーツ
2014年 ダラーラ ホンダ 2 28 アンドレッティ・オートスポーツ
2015年 ダラーラ ホンダ Wth シュミット・ピーターソン・モータースポーツ
2016年 ダラーラ ホンダ 1 7 シュミット・ピーターソン・モータースポーツ
2017年 ダラーラ ホンダ 17 22 シュミット・ピーターソン・モータースポーツ
2018年 ダラーラ ホンダ DNQ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ

参照 編集

  1. ^ Gerhart, Brad. Rough Start for Hinchcliffe in First IndyCar Event, Paddock Talk, April 11, 2011, Retrieved 2011-04-12
  2. ^ http://auto-racing.speedtv.com/article/indycar-hinchcliffe-confirmed-at-andretti-autosport
  3. ^ ニセダニカ - こちらGAORA INDYCAR実況室

外部リンク 編集