ジャック・ギオー(Jacques Guiaud 、1810年5月17日 - 1876年4月24日)はフランスの画家である。風景画や、ジュール・デディエ(Jules Didier)と共作で1870年のパリ包囲戦中のパリの情景を描いた作品を残した。

ジャック・ギオー
Jacques Guiaud
誕生日 1810年5月17日
出生地 フランスの旗 フランス,シャンベリ
死没年 1876年4月24日
死没地 フランスの旗 フランス,パリ
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略歴 編集

フランス南部、サヴォワ県シャンベリで生まれた。父親は俳優で、父親の公演中のシャンベリで生まれた。風景画家のルイ・エティエンヌ・ワトレや歴史画家のレオン・コニエに学び、「バルビゾン派」の画家、ジュール・デュプレの影響も受けた。

7月王政の時代の1834年にベルサイユ宮殿の装飾画を描く依頼を受け、国王ルイ・フィリップに作品を買い上げられた。1831年からサロン・ド・パリに毎年出展し何度か入選をした。1836年にイタリアを旅するなど国外を何度も旅した。7月王政が倒れる少し前の1847年にニースに住むようになり、ニースでは多くの画家を教えた。スイスやベルギー、デンマークやドーバー海峡沿いのフランスのいろいろな街で作品を描き、コートダジュールを休暇で訪れる国外の富裕な人々に作品は買い上げられた。顧客の一人にはスウェーデン王女ソフィア・ヴィルヘルミナらもいた。

1860年にパリに戻り、フォンテーヌブロー宮殿の改修に伴う装飾画を描く画家の1人に選ばれ、風景を描いた。パリでは「 ル・トゥール・デュ・モンド」や「 Journal des Artistes 」、「イリュストラシオン」といった雑誌、新聞のために版画の仕事や、書籍の挿絵も描いた。1820年から1878年にかけて出版され、テーラー男爵(Isidore Taylor) が執筆・編集し、多くの画家が版画を制作したた大著「Voyages pittoresques et romantiques dans l'ancienne France(古きフランスのピトレスクでロマンティックな旅)」の版画制作者の一人になった。

1871年にパリの画商、画材商のビナン(Alfred Binant:1822-1904)がパリ包囲戦の記録を絵画で残すために13人の画家に、合計36枚の絵画の制作を依頼し、1871年にパリで展示した。この「La suite Binant」 (Scènes de la vie civile et militaire) と呼ばれる作品群にギオーもジュール・デディエ(Jules Didier)と共作で、多くの作品を制作した[1]。パリのカルナヴァレ博物館に一部の作品が残されている[2].。

作品 編集

脚注 編集

  1. ^ « 36 épisodes du siège de Paris : l'énigme de la suite Binant », In: Le Bulletin de l'antiquaire, du brocanteur et des galeries, n° 698, janvier 2020, pp. 16-18.
  2. ^ http://peintres.nicehistorique.org/pge/pge_biographie.php?rubrique=biographies&id=4

参考文献 編集

  • Monographie, ouvrage collectif, Jacques Guiaud : peintre d'histoire, paysagiste, aquarelliste du pays niçois 1810-1876, 450 pages, Nice, Édition Academia Nissarda, 2018 (ISBN 9782919156030).