ジャンヌ・カルマン

人類史上最も長生きをしたとされるフランスの女性

ジャンヌ=ルイーズ・カルマンJeanne-Louise Calment1875年2月21日 - 1997年8月4日)は、人類史上最も長生きをしたとされるフランス人女性

ジャンヌ=ルイーズ・カルマン

Jeanne-Louise Calment
40歳のときのジャンヌ
生誕 1875年2月21日
フランスの旗 フランス共和国アルル
死没 1997年8月4日
フランスの旗 フランス・アルル
死因 老衰
住居 フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
国籍 フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
民族 フランス
時代 フランス第三共和政時代前期 - フランス第五共和政時代
著名な実績 人類史上最も長生きとされている
活動拠点 フランスの旗 フランス共和国フランスの旗 フランス
配偶者 フェルナン・カルマン(1896年1942年(享年 :74)
子供 長女:イヴォンヌ・カルマン(享年:36)
:ニコラ・カルマン(Nicolas Calment)(享年:93)[1]
:マルグリット・ジル(Marguerite Gilles)(享年:86)[1]
親戚 はとこ:フェルナン・カルマン
家族 長姉:マリー(夭折
次姉:アントワーヌ(夭折)
:フランソワ(享年:97)
:フレデリック・ビイヨ(享年:36)
娘婿:ジョゼフ・ビイヨ(享年:72)
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生涯 編集

 
ジャンヌ・カルマンの出生証明書

1875年2月21日フランスアルルにて、船大工であったニコラと、製粉業者の令嬢だったマルグリットの三女として生まれたとされる。

1876年国勢調査で1歳と記録されている。両親の間には4人の子がいたが(長女マリー、次女アントワーヌ、長男フランソワ及び三女ジャンヌ)、マリーとアントワーヌはジャンヌが生まれる前に幼くして死亡している[1]

記憶によると1888年、13歳のときに、アルルに滞在中であった画家フィンセント・ファン・ゴッホが、親族の営む画材店へ絵の具鉛筆を買いに訪れたときに出会ったという[2]。ゴッホは2年後の1890年7月29日亡くなった。また、エッフェル塔が建設(1889年完工)されたことや、1885年ヴィクトル・ユーゴーの大規模な国葬が行われたことを記憶していた。

家族の多くは比較的とても長生きで、兄・フランソワは97歳、父・ニコラは93歳、母・マルグリットは86歳まで生きた[3]。特に彼女の父と兄は、現代の男性の平均寿命よりも、かなり長寿であった事がわかる。

 
1895年(20歳)

1896年はとこのフェルナン・カルマンと結婚した。夫・フェルナン、娘のイヴォンヌ、娘婿であるジョゼフ・ビイヨ大尉を超えて長生きした[1]。一人だけの孫、フレデリック・ビイヨは医師になったが、オートバイ事故に遭い36歳で死去している。

1965年、相続人がいなくなり、当時の公証人であったフランソワ・ラフレーと、フランスでは一般的なリバースモーゲージの契約を交わし、コンドミニウム・アパートメントを売る代わりに、ラフレーより毎月一定金額(2500フラン)が払われることになった。契約をした90歳とされるとき、アパートメントは10年分の支払いの価値があった。1995年12月、ラフレーは77歳で死去したが、その後もジャンヌが存命していたため、ラフレーの未亡人は毎月の支払いを続行しなければならなかった。そのためラフレー夫婦は、家に2倍以上の価格をトータルで払ったことになる[4]

国際的に有名になったきっかけは、1988年ゴッホの「ひまわり」作画百年記念の際、直接会った人としてインタビューを受け、ゴッホを「みすぼらしい服装で、酒癖が良くない人物だった」と評したことであった[4][5]

インタビュー後、1989年に満113歳とされる年齢で世界最高齢の人物としてギネスブックに掲載された。

死去 編集

  • 1997年8月4日、老衰のため122歳164日とされる日に死去。

世界最高記録への疑義 編集

ジャンヌが122歳164日まで生存したという主張については、存命中より複数の専門家・学者から疑義が呈されてはいた。没後間もなく、老齢学者・トム・カークウッド英語版より、娘・イヴォンヌと入れ替わっている可能性が示唆されている[要出典]

2019年に、ニコライ・ザークヴァレリー・ノボセロフなどのロシアの研究プロジェクトが、生前の本人のインタビューにおける発言内容や周囲の人物の証言、またそれに関する公的な書類などを検証した結果、1930年代のカルマンの身分証明書に記載されている身体的特徴と、後年の実際の容姿が異なる点を指摘した。身分証明書には「カルマンは身長152センチで、目の色は濃い茶色、額は狭い」と記されているが、いずれも後年のカルマンの外見と全く一致しない特徴であること[6][7]を理由に、「ジャンヌ本人は1934年に58歳で死亡しており、娘・イヴォンヌが相続税の支払いから逃れる目的で、母の戸籍を使用していた可能性が高い」とした上で、「1997年に死亡したのがジャンヌではなくイヴォンヌだとしたら、正確な没年齢が99歳である可能性がある」として、「ジャンヌとイヴォンヌがすり替わった」と結論付ける説を主張した。

一方、老年学者のノボセロフは「医師として、常にカルマンの年齢に疑問を持っていた」と主張する。「カルマンの筋肉組織の状態は、同年代の人々と違った。何の支えもなしに上体を起こして座っていられた。認知症の兆候も全くなかった」とされる。更に疑惑を深める要素として、2人はカルマンが有名になってから「昔の自分の写真の一部を燃やしてくれ」と指示していた点を挙げている。また「論争に終止符を打つことになるのはDNA検査だろう」との見方を示した。[7]

GRGも2024年現在もジャンヌの記録を認定している一方で、長寿記録の審査を厳格化すべきだという意見も上がっている[7]

健康とライフスタイル 編集

フェンシングはジャンヌ・カルマンが満85歳とされる時から始め、自転車は満100歳とされる時まで乗った[3]。1週間に1キログラムのチョコレートを食べていたとされている[5]。料理中に小さな火事が起こったことをきっかけにして、1985年に満110歳とされる時で施設に移ったが、1990年1月、満114歳とされる時のときに大腿骨を骨折し手術を受けるまでは歩行することができた。手術を受ける間、「私はメトシェラと競合する」と喋っていたという。

満114歳とされる時に本人役で映画『Vincent and Me』に出演して史上最年長の女優にもなった[8]。1995年にフランス語ドキュメンタリー「Beyond 120 Years with Jeanne Calment」がリリースされた。1996年に彼女が住んでいた施設はCD「Time's Mistress」をリリース。彼女の語りやラップなどがミックスされている。

20歳代から喫煙していたが、タバコに火をつけてくれる介護者のことを気遣って、満117歳とされる時に禁煙したという[4]

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d Yvonne Marie Nicole Calment Billiot (1898 - 1934) - Find A Grave Memorial Find a Grave (英語) 2014年5月24日閲覧。
  2. ^ Oldest person”. 2014年6月8日閲覧。 Guinness World Records (英語)
  3. ^ a b 史上最も長生きは仏人女性の122歳 117歳まで喫煙していた” (2014年4月29日). 2020年10月30日閲覧。
  4. ^ a b c Jeanne Calment, World's Elder, Dies at 122”. 2020年10月30日閲覧。 (英語) - ニューヨーク・タイムズ、1997年8月5日
  5. ^ a b World's oldest person dead McCook Daily Gazette (英語)
  6. ^ “仰天ミステリー! ギネス記録の世界最高齢女性、じつは娘がなりすましていた?”. J-CASTテレビウォッチ. (2019年1月8日). https://www.j-cast.com/tv/2019/01/08347497.html 
  7. ^ a b c “仏女性の世界最高齢記録、実は娘の成り済まし? ロシア研究者の指摘で物議”. AFPBB News. (2019年1月7日). https://www.afpbb.com/articles/-/3205330 2020年10月30日閲覧。 
  8. ^ クレイグ・グレンディ『ギネス世界記録2014(Guinness world records)日本語版』、58頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集