ジャン・ド・リュクサンブール (ブリエンヌ伯)

ジャン・ド・リュクサンブールJean de Luxembourg(-Ligny), 1370年 - 1397年)は、北フランスボールヴォワール英語版とリシュブール(Richebourg)の領主(1371年 - 1397年)。結婚によりブリエンヌ伯およびコンヴェルサーノ伯(1394年 - 1397年)を相続した。ブリエンヌ伯としては「ジャン2世Jean II)」と数えられる。サン=ポル伯およびリニー伯ギーとその妻マオー・ド・シャティヨンの間の息子[1]

ジャン・ド・リュクサンブール
Jean de Luxembourg
ブリエンヌ伯
コンヴェルサーノ伯
在位 1394年 - 1397年

出生 1370年
死去 1397年
配偶者 マルグリット・ダンギャン
子女 ピエール
ルイ
ジャン
カトリーヌ
ジャンヌ
父親 サン=ポル伯・リニー伯ギー
母親 マオー・ド・シャティヨン
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1387年、ブリエンヌ伯およびコンヴェルサーノ伯ルイ1世の娘マルグリット・ダンギャンと結婚し、間に5人の子女をもうけた。

引用 編集

  1. ^ Ct Jean of Luxemburg in Ligny”. genealogy.eu (2004年4月13日). 2013年1月14日閲覧。

外部リンク 編集

先代
ルイ・ダンギャン
ブリエンヌ伯
コンヴェルサーノ伯
1394年 - 1397年
次代
ピエール1世