ジャービル1世・アッ=サバーハ

ジャービル1世・アッ=サバーハ(Jaber I Al-Sabah、1770年 - 1859年)はクウェートの第3代目首長(在位:1814年 - 1859年)でサバーハ家当主。父はアブドゥッラー1世・アッ=サバーハ。子はサバーハ2世・アッ=サバーハ

経歴 編集

父の後を継いで首長に即位。クウェートは陸上からの第一次サウード王国の侵攻やオマーン海岸諸部族連合[1]の海賊行為による海上貿易の妨害に苦しんでいたが、1814年に第一次サウード王国のサウード1世[2]が崩御し、さらにオスマン帝国エジプト総督のムハンマド・アリー1818年に第一次サウード王国を滅ぼしたために陸上からの脅威が取り除かれる。なお1824年には第二次サウード王国が再興されるが往年の脅威とはほど遠い存在であった。

さらに1819年にはイギリスから奪った艦船ミネルヴァを率いたオマーン海岸諸部族艦隊をイギリス東インド会社ボンベイ艦隊が撃破し、イギリスとオマーン海岸諸部族が1820年には休戦条約を結び、続いて1853年には恒久平和条約が結ばれたことにより、ようやくクウェートは平和を迎え、騒乱で衰退した造船や貿易が再開される。

脚注 編集

  1. ^ 後にアラブ首長国連邦を形成する諸部族。
  2. ^ 別名、大サウード

参考文献 編集

  • 牟田口義郎「石油に浮かぶ国 クウェートの歴史と現実」(1965年 中央公論社)
  • 広瀬隆「世界石油戦争」(2002年 NHK出版)