ジャーメイン・オニール

アメリカのバスケットボール選手 (1978 - )

ジャーメイン・リー・オニールJermaine Lee O'Neal, 1978年10月13日 - )はアメリカ合衆国サウスカロライナ州コロンビア出身の元バスケットボール選手。NBAインディアナ・ペイサーズなどで活躍した。ポジションはパワーフォワードセンター。身長211cm、体重118kg。高校卒業後、直接NBA入りをしている[1]。日本での愛称は「コニール」。(当時現役の巨体センター、シャキール・オニールと比較して)

ジャーメイン・オニール
Jermaine O'Neal
現役時代 (マイアミ・ヒート) のオニール (2009年)
引退
ポジション PF/C
基本情報
愛称 "J.O"
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1978-10-13) 1978年10月13日(45歳)
出身地 サウスカロライナ州コロンビア
身長(現役時) 211cm (6 ft 11 in)
体重(現役時) 118kg (260 lb)
キャリア情報
出身 オ・クレア高校 (サウスカロライナ州)
ドラフト 1996年 17位
選手経歴
1996-2000
2000-2008
2008-2009
2009-2010
2010-2012
2012-2013
2013-2014
ポートランド・トレイルブレイザーズ
インディアナ・ペイサーズ
トロント・ラプターズ
マイアミ・ヒート
ボストン・セルティックス
フェニックス・サンズ
ゴールデンステート・ウォリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

経歴 編集

高校時代 編集

高校の最初の2年間はバスケットボールに限らず、アメリカンフットボールもプレイしていた。ポジションは主にクォーターバックだった。2年生の夏に、身長が20センチも伸び、バスケットボールに力を入れるようになった。 並外れた運動能力を生かしリバウンド、ブロックに非凡な才能を見せ、1996年に、サウスカロライナ州の最優秀選手賞とMr.バスケットボールを受賞。パレードマガジンとUSAトゥデイ紙のオールアメリカ1stチームにも選ばれ、マクドナルド全米選手権でプレーした。高校時代の成績は、平均22.4点、12.6リバウンド、5.2ブロック、FG%は68.2%を記録。

NBA 編集

サウスカロライナ州のオ・クレア高校を卒業後、1996年のNBAドラフトポートランド・トレイルブレイザーズから1巡目17位で指名を受けNBA入りした。 ブレイザーズでの4シーズンは、ラシード・ウォレスら経験豊富な選手の陰に隠れる形で出場時間も限られ、力を発揮できずにいた。2000-01シーズン開幕前に、デイル・デイビスと交換で、当時若返りを図っていたインディアナ・ペイサーズに移籍した。

ペイサーズでは、1年目からスターターの座を確保し素質を開花。1試合平均12.9得点、9.8リバウンド、2.8ブロックの成績を残した。翌2001-02シーズンには、1試合平均19.0得点、10.5リバウンド、2.3ブロックとさらに数字を向上させ、MIP(最も成長したプレーヤー)を受賞した。

その後、2002年から5回連続でNBAオールスターゲームにも出場を果たし、同じく2002年には米国代表としてバスケットボール世界選手権大会に出場するなど、リーグ屈指のPFの地位を築く。2003-04シーズンには、リーグ最高勝率を残しプレーオフではカンファレンスファイナルへと進むがこの年の王者になるデトロイト・ピストンズに2勝4敗で敗れた。

2004-05シーズンの11月19日、対デトロイト・ピストンズ戦において、NBA史上最悪と呼ばれるロン・アーテスト (現:メッタ・ワールド・ピース) らが中心となる観客との乱闘劇、いわゆるパレスの騒乱が発生。オニールも観客を右ストレートで殴り倒してしまい、結局15試合の出場停止処分(当初は25試合の出場停止処分だったが短縮された)を受ける。

処分明けは肩の怪我もあったものの、チームの大黒柱として復帰。05-06シーズンはチームが怪我に泣かされ続けたもののプレーオフに進出。しかし、ここでも怪我人に泣かされ一回戦敗退となった。

2008年オフ、T・J・フォードロイ・ヒバートの交渉権などと交換でトロント・ラプターズへ移籍した。

ラプターズではペイサーズ時代の背番号7をアンドレア・バルニャーニが着けていたため、6番を着けた。2009年2月、ジャマリオ・ムーンと共にショーン・マリオンマーカス・バンクスと交換でマイアミ・ヒートへトレード移籍した[2]。ヒートはオニールが加入してからの12試合で7勝5敗と勝ち越した。ヒートは43勝39敗、イースタン第5シードでプレーオフに出場した。アトランタ・ホークスとのプレーオフ1回戦で3勝4敗で敗れた。

2009-10シーズン、オニールは70試合に先発出場し、チームは第5シードでプレーオフに出場した。プレーオフ1回戦でボストン・セルティックスに1勝4敗で敗れた。

2010-11シーズン前にボストン・セルティックスと契約した。左ひざと左手首の負傷で58試合に欠場したが、プレーオフでは先発に復帰、ニューヨーク・ニックスとのプレーオフ1回戦第1戦で12得点、5ブロックショットをあげた。チームは4勝0敗で2回戦に進んだがマイアミ・ヒートに1勝4敗で敗れた。

2012年3月、左手首の手術を決意、シーズン残り試合を欠場することとなり[3]、解雇された。 2012-13シーズンはフェニックス・サンズ、2013-14シーズンはゴールデンステート・ウォリアーズと渡り歩き、2014-15シーズン以降はどのチームとも契約することなく、現在は事実上の引退状態となっている。

プレイスタイル 編集

NBA入り当初は、ブロックショットを中心にディフェンス面で期待されていたが、年々オフェンス能力は向上し、インサイド、アウトサイドともに高い得点力を持つ、リーグ有数のビッグマンに成長した。ターンアラウンドからのジャンプショットやフェイドアウェイを得意としている。

個人成績 編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック   TO  平均ターンオーバー  PPG  平均得点
 太字  キャリアハイ  *  リーグリーダー  †  優勝シーズン

NBAレギュラーシーズン 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1996–97 Portland 45 0 10.2 .451 .000 .603 2.8 .2 .0 .6 0.60 4.1
1997–98 POR 60 9 13.5 .485 .000 .506 3.4 .3 .2 1.0 0.92 4.5
1998–99 POR 36 1 8.6 .434 .000 .514 2.7 .4 .1 .4 0.39 2.5
1999–00 POR 70 8 12.3 .486 .000 .582 3.3 .3 .2 .8 0.67 3.9
2000–01 Indiana 81 80 32.6 .465 .000 .601 9.8 1.2 .6 2.8 1.99 12.9
2001–02 IND 72 72 37.6 .479 .071 .688 10.5 1.6 .6 2.3 2.42 19.0
2002–03 IND 77 76 37.2 .484 .333 .731 10.3 2.0 .9 2.3 2.34 20.8
2003–04 IND 78 78 35.7 .434 .111 .757 10.0 2.1 .8 2.5 2.32 20.1
2004–05 IND 44 41 34.8 .452 .167 .754 8.8 1.9 .6 2.0 2.98 24.3
2005–06 IND 51 47 35.3 .472 .300 .709 9.3 2.6 .5 2.3 2.96 20.1
2006–07 IND 69 69 35.6 .436 .000 .767 9.6 2.4 .7 2.6 2.94 19.4
2007–08 IND 42 34 28.7 .439 .000 .742 6.7 2.2 .5 2.1 2.52 13.6
2008–09 Toronto 41 34 29.7 .473 .000 .810 7.0 1.6 .4 2.0 2.1 13.5
2008–09 Miami 27 27 30.0 .475 .000 .750 5.4 2.0 .4 2.0 2.1 13.0
2009–10 Miami 70 70 28.4 .529 .000 .720 7.0 1.3 .4 1.4 1.8 13.6
2010–11 Boston 24 10 18.0 .459 .000 .674 3.7 .5 .1 1.3 1.1 5.4
2011–12 Boston 25 24 22.8 .433 .000 .677 5.4 .4 .3 1.7 0.8 5.0
2012–13 Phoenix 55 4 18.7 .482 .000 .835 5.3 .8 .3 1.4 1.3 8.3
2013–14 Golden State 44 13 20.1 .504 .000 .750 5.5 .6 .3 .9 1.2 7.9
Career 1011 697 27.1 .467 .147 .715 7.2 1.4 .5 1.8 1.9 13.2
All-Star 5 2 24.0 .478 .000 .667 7.6 .8 .8 1.4 1.4 11.2


NBAプレーオフ 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1996–97 Portland 2 0 2.0 .000 .000 .000 .5 .0 .0 .5 0.00 .0
1997–98 POR 1 0 3.0 .000 .000 .000 1.0 .0 .0 2.0 0.00 .0
1998–99 POR 9 0 6.1 .400 .000 .500 1.9 .1 .0 .3 0.22 1.6
1999–00 POR 8 0 4.8 .273 .000 .667 .9 .1 .0 .4 0.00 1.5
2000–01 Indiana 4 4 39.3 .436 .000 .500 12.5 1.8 .0 2.5 1.75 9.8
2001–02 IND 5 5 38.4 .447 .000 .750 7.6 1.0 .8 1.6 2.80 17.2
2002–03 IND 6 6 45.3 .467 .000 .785 17.5 .7 .5 3.0 3.00 22.8
2003–04 IND 16 16 37.8 .423 .000 .700 9.1 1.2 .5 2.2 1.81 19.2
2004–05 IND 13 13 36.6 .365 .000 .750 8.0 2.2 .5 2.6 2.77 16.0
2005–06 IND 6 6 36.0 .524 .000 .717 7.5 1.7 .5 2.3 4.33 21.0
2009 Miami 6 5 27.0 .549 .000 .750 4.5 1.5 .5 1.5 1.7 13.3
2010 Miami 5 5 23.4 .205 .000 .429 5.6 1.0 .8 2.0 1.4 4.2
2011 Boston 9 9 21.9 .488 .000 .909 4.2 .9 .2 1.8 0.9 5.8
2014 Golden State 7 3 12 .563 .000 .750 3.4 .1 .1 .4 0.6 6.0
Career 97 72 26.6 .426 .000 .718 6.5 1.0 .4 1.7 1.7 11.6

業績 編集

  • オールスター出場:2002, 2003, 2004, 2005, 2006, 2007
  • オールNBAチーム
    • セカンドチーム:2004
    • サードチーム:2002, 2003
  • MIP受賞:2002
  • ブロック王(トータル): 2001 (228)

脚注 編集

  1. ^ High School Players to enter NBA”. infoplease.com. 2012年3月18日閲覧。
  2. ^ Raptors trade O'Neal, Moon to Heat for Marion, Banks”. nba.com (2009年2月13日). 2012年3月18日閲覧。
  3. ^ セルティックスJ.オニールが今季絶望、左手首手術へ”. WOWOW (2012年3月20日). 2012年3月20日閲覧。

外部リンク 編集