ジョニィへの伝言」(ジョニィへのでんごん)は、1973年昭和48年)3月にリリースされた日本バンドペドロ&カプリシャスの4番目のシングルである。ペドロ&カプリシャスの代表曲のひとつである。

ジョニィへの伝言
ペドロ&カプリシャスシングル
初出アルバム『華麗なるニューポップスの世界』
B面 ある日・出逢い
リリース
ジャンル J-POP
レーベル 芸音レコード(配給:アトランティック / ワーナー・パイオニア
作詞・作曲 阿久悠都倉俊一
チャート最高順位
  • 週間24位(オリコン
  • 1973年度年間85位(オリコン)
ペドロ&カプリシャス シングル 年表
そして今は
(1972年)
ジョニィへの伝言
(1973年)
五番街のマリーへ
(1973年)
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解説 編集

  • ペドロ&カプリシャスのボーカルが2代目の高橋まり(現:髙橋真梨子)に変わった際の1曲目の作品であり、高橋はこの曲でレコードデビューした。
  • 発売当初は全く売れなかったが[1]、1973年の夏が過ぎる頃から少しずつ売れ始め[2]、累計売上は50万枚近い大ヒットとなった[3]
  • オリコンチャートでは24位留まりだが、100位以内には42週間ランクイン、シングル売上枚数は24.8万枚を記録するヒット作となった。
  • ペドロ&カプリシャスは同曲で、翌1974年暮れの「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした。
  • 作詞した阿久悠は、なかにし礼(日本語詞担当)がペドロ&カプリシャスの前のメンバーに提供し、大ヒットさせた「別れの朝」に負けられないと、新しさを感じさせる作品にしたいと工夫したという [4]。登場人物が外国人であったり、景色や主人公の女性の行動が日本や日本人にもないと感じられたことから、「無国籍ソング」などとも言われた[4]
  • 阿久が本作品の少し前に鹿内孝に提供した「本牧メルヘン」の歌詞には“ジョニィ”ではなく、“ジョニィー”という人名が出てくるが、本作では“ジョニィ”とつづっている。それには大した理由はなかったが、先にできていたメロディーの最初の4音に合わせる際に、“ジョニィ”としたかもしれないと阿久は推測しており、作詞した自身が「“ジョニー”への伝言」と間違ってつづって(編集の)担当者に訂正されることもあったという[4]
  • B面の「ある日・出逢い」は、1974年のテレビドラマ「日本沈没」の第8話に挿入歌として使用された。
  • 後年、ソロアーティストになった髙橋真梨子自身によってもカバーされている(1983年、アルバム『5th Love Affair』)[5]

収録曲 編集

(全作詞:阿久悠/作曲・編曲:都倉俊一

  1. ジョニィへの伝言
  2. ある日・出逢い

カバー 編集

脚注 編集

  1. ^ 川上貴光『髙橋真梨子とびらを開けて』文藝春秋、2000年、52頁。ISBN 4-16-356-050-5
  2. ^ 『髙橋真梨子とびらを開けて』58頁。
  3. ^ 『髙橋真梨子とびらを開けて』61頁。
  4. ^ a b c 阿久悠愛すべき名歌たち -私的歌謡曲史-』(岩波書店 1999年7月19日) ISBN 978-4004306252
  5. ^ Mariko Takahashi – 5th Love Affair - Discogs

関連項目 編集

外部リンク 編集