ジョージ・ロブレド

チリのサッカー選手

ジョージ・ロブレド・オリベル(George Robledo Oliver, 1926年4月14日 - 1989年4月1日)は、チリイキケ出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード

ジョージ・ロブレド
名前
本名 ホルヘ・ロブレド・オリベル
Jorge Robledo Oliver
ラテン文字 George Robledo
基本情報
国籍  チリ
生年月日 (1926-04-14) 1926年4月14日
出身地 イキケ
没年月日 (1989-04-01) 1989年4月1日(62歳没)
身長 175cm
選手情報
ポジション FW
代表歴
1950-1957 チリの旗 チリ 31 (8)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

チリ人の父親とイングランド人の母親の元、チリのイキケで生まれた。1932年、彼が5歳の頃、イギリスのヨークシャー州に家族揃って移住した。炭坑夫として働く傍らハダースフィールド・タウンFCでアマチュア選手としてサッカーをしていた。第二次大戦のさなか、バーンズリーFCに移籍し、1949年には1部のニューカッスル・ユナイテッドと契約した。移籍金の中には、同じくサッカー選手である弟のテッドとクラブとの契約も含まれていた。

1949年2月5日、チャールトン・アスレティック戦でデビューすると、サンダーランドとのダービーマッチでは初得点を挙げた。その後の12試合で5点を挙げ、幸先の良いスタートを切った。1949-50シーズンは11得点、1950-51シーズンは14得点し、1951-52シーズンには33得点で得点王に輝いた。彼はスペイン語を話せなかったが、チリ代表として1950 FIFAワールドカップに招集された。初戦の相手はイングランドであった。FAカップは1951年と1952年に連覇するが、FAカップの決勝でプレーする初の南米選手であった。イングランド1部では82ゴールを挙げ、半世紀ほど経ってからドワイト・ヨークに破られるまで、外国人得点記録を保持し続けた。

1953年、弟テッドがチリのCSDコロコロに移籍したため、ジョージもこれに続いた。1953年は26得点で、1954年は25得点で2シーズン連続の得点王に輝いた。1961年に現役引退し、1989年に心臓発作で静かにこの世を去った。

所属クラブ 編集

タイトル 編集

  • ニューカッスル・ユナイテッド
FAカップ:1951, 1952
得点王:1951-52
  • CSDコロコロ
リーグ:1953
得点王:1953, 1954

外部リンク 編集