ジョー・クリーディJoseph Taylor Crede, 1978年4月26日 - )は、アメリカ合衆国ミズーリ州ジェファーソンシティ出身の元プロ野球選手三塁手)。右投右打。

ジョー・クリーディ
Joe Crede
ミネソタ・ツインズでの現役時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ミズーリ州ジェファーソンシティ
生年月日 (1978-04-26) 1978年4月26日(45歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1996年 ドラフト5巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名
初出場 2000年9月12日
最終出場 2009年9月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入りとホワイトソックス時代 編集

1996年6月4日のMLBドラフト5巡目でシカゴ・ホワイトソックスから指名され、6月5日に契約した[1]。契約後、マイナーリーグのルーキー級、GCL・ホワイトソックス英語版に配属され、56試合に出場。打率.299・4本塁打・32打点・1盗塁・OPS0.765という成績を残した。また、守備面では53試合でサードを守り、25失策守備率.857という成績だった。

1997年は、A級のヒッコリー・クロウダッズに昇格して113試合に出場し、打率.271・5本塁打・62打点・3盗塁・OPS0.689という成績を残した。守備では112試合でサードを守り、33失策・守備率.905という成績を残し、守備率が前年より改善された。

1998年は、A+級のウィンストン・セーラム・ワートッグス英語版でプレー。137試合に出場し、打撃面では打率.315・20本塁打・88打点・9盗塁・OPS0.902という成績を残した。同年のカロライナリーグでは、打率がリーグ2位・本塁打が同3位タイ・打点が同1位だった (139打数以上) [2]。守備面では、132試合のサード守備で30失策・守備率.929という成績で、2年連続で守備率が向上した。

1999年は、AA級のバーミングハム・バロンズで74試合に出場し、打率.251・4本塁打・42打点・2盗塁・OPS0.650という成績を残した。守備面では、サード72試合で20失策・守備率.910という成績だった。

2000年もバーミングハムに所属し、138試合の出場で打率.306・21本塁打・94打点・3盗塁・OPS0.874という成績を残した。また、守備面では135試合でサードを守り、19失策・守備率.942だった。同年までの時点で、失策は自己最小であり、守備率は自己最高だった。そして、同年9月12日デトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たした[1]。最終的には7試合の出場し、打率.357・3打点・OPS0.762という成績を残した。また、6試合でサードの守りにも就いた。

2001年は、メジャーで17試合に出場して、打率.220・7打点・1盗塁・OPS0.553という打撃成績を残した。守備面では、サード15試合で無失策だった。なお、この年マイナーではAAA級のシャーロット・ナイツで124試合に出場し、打率.276・17本塁打・65打点・2盗塁・OPS0.813という打撃成績と、20失策・守備率.946 (123試合のサード守備) という守備成績を残した。

2002年は8月11日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初本塁打を放った[3]。そして、9月第1週にはプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した[4]。同年は53試合の出場で、打率.285・12本塁打・35打点・OPS0.826という成績を残した。また、守備面では53試合でサードを守り、8失策・守備率.938だった。なお、マイナーではシャーロットで95試合に出場し、打率.312・24本塁打・65打点・OPS0.930という成績だった。

2003年には、サードのレギュラーに固定され[5]、151試合に出場した。打撃面では、フリースインガーであるという特徴を知られ、それに対応して攻められたが[5]、打率.261・19本塁打・75打点・1盗塁・OPS0.741という成績を残した。また、守備面では151試合でサードを守り、14失策・守備率.964・DRS+12という成績を記録したが、時折平凡なゴロをエラーする傾向も見られた[5]

2004年は、144試合に出場して打率.239・21本塁打・69打点・1盗塁・OPS0.717という成績を残した。ただ、ホームランを狙って引っ張る傾向が見られ、それが打率が上がらない原因となった[6]。また、守備面ではサード144試合で12失策・守備率.965・DRS-8という内容で、DRSがプラスからマイナスに悪化した。

2005年は、132試合の出場で打率.252・22本塁打・62打点・1盗塁・OPS0.756という成績を記録。また、前年に見られた何でも引っ張る傾向が改善し、逆方向へも打球を飛ばせるようになった[7]。また、守備面では130試合のサード守備で10失策・守備率.971・DRS+2を記録し、DRSがプラスに転じた。ポストシーズンでは、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムとのALCSで、5試合で打率.368・2本塁打・7打点・OPS1.139と大活躍[1][7]。続くヒューストン・アストロズとのワールドシリーズでも、4試合で打率.294・2本塁打・3打点・OPS1.074を記録して、チームの世界一に貢献した[1][7]

2006年は、150試合に出場し、打率.283・30本塁打・94打点・OPS0.828という打撃成績を記録して、三塁手としてシルバースラッガー賞に選出された[8]。ちなみに、この年の本塁打と打点は、クリーディのキャリアではメジャー自己最多の数字である。守備面では、149試合の三塁守備で10失策・守備率.978・DRS+23という成績を残した。オフには、ホワイトソックスがニューヨーク・ヤンキースからアレックス・ロドリゲスの獲得を検討し、その交換要員としてマーク・バーリーと共にクリーディが含まれたが、ヤンキースが他の選手を要求した為、実現しなかった[9]

2007年は6月に故障者リスト入りして椎間板ヘルニアの手術を受け、長期離脱した[10]。その為、47試合の出場で打率.216・4本塁打・22打点・OPS0.576という打撃成績に終わった。守備面では、46試合の三塁守備で4失策・守備率.971・DRS+9だった。

 
シカゴ・ホワイトソックスでの現役時代
(2008年4月17日)

2008年オールスターゲームに選出された[11]。同年は97試合に出場し、打率.248・17本塁打・55打点・OPS0.773という成績を残した。また、守備面では97試合の三塁守備で20失策・守備率.930・DRS+12という成績を残した。10月30日にFAとなった[1]

ツインズ時代 編集

2009年2月21日にミネソタ・ツインズと250万ドル+出来高700万ドルで1年契約を結んだ[1][12]。同年は、背中の痛みにより8月22日からDL入りし、最終的にはキャリアで3度目の手術を受けることになった[13]。ツインズでは最終的には90試合に出場し、打率.225・15本塁打・48打点・OPS0.703という成績を残した。守備面では84試合でサードの守備に就き、4失策・守備率.983・DRS+14という成績を残した。11月5日にFAとなり[1]、結果的に言えば、この年がクリーディにとってのメジャーでのラストイヤーとなった。

2010年は、メジャー及びマイナーでの試合出場はなく、背中の治療を継続した[14]

2011年1月20日にコロラド・ロッキーズと契約を結んだ[1]。しかし、2月17日にFAとなり[1]、現役引退した[14]

プレースタイル 編集

打撃面では早打ちの傾向が強い選手。その為、四球三振共にそれほど多くない。足の速さは平均以下。守備面では、以前はムラのある雑な守備という印象が強かったが、最近はレベルが上がってきており、守備範囲の広さはメジャー全体でも上位につけていた。

守備が優れている上、下位打線のバッターとしては勿体無いくらいの打力を備えた選手であり、事実シルバースラッガー賞にも選ばれている。しかし故障が多く、持病として腰痛を持っている。晩年は背中を痛めたことが一気に引退を早める要因の一つとなってしまった。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2000 CWS 7 15 14 2 5 1 0 0 6 3 0 0 0 1 0 0 0 3 0 .357 .333 .429 .762
2001 17 55 50 1 11 1 1 0 14 7 1 0 0 1 3 0 1 11 1 .220 .273 .280 .553
2002 53 209 200 28 57 10 0 12 103 35 0 2 0 1 8 0 0 40 1 .285 .311 .515 .826
2003 151 580 536 68 140 31 2 19 232 75 1 1 2 4 32 1 6 75 11 .261 .308 .433 .741
2004 144 543 490 67 117 25 0 21 205 69 1 2 4 5 34 0 10 81 14 .239 .299 .418 .717
2005 132 471 432 54 109 21 0 22 196 62 1 1 2 4 25 3 8 66 7 .252 .303 .454 .757
2006 150 586 544 76 154 31 0 30 275 94 0 2 0 7 28 1 7 58 18 .283 .323 .506 .829
2007 47 178 167 13 36 5 0 4 53 22 0 1 0 1 10 0 0 24 1 .216 .258 .317 .575
2008 97 373 335 41 83 18 1 17 154 55 0 3 0 4 30 0 4 45 10 .248 .314 .460 .774
2009 MIN 90 367 333 42 75 16 1 15 138 48 0 0 0 3 29 1 2 56 6 .225 .289 .414 .703
MLB:10年 888 3377 3101 392 787 159 5 140 1376 470 4 12 8 31 199 6 38 459 69 .254 .304 .444 .748

表彰 編集

背番号 編集

  • 24(2000年 - 2009年)

記録 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Joe Crede - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月10日閲覧。
  2. ^ 1998 Carolina League Batting Leaders - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月10日閲覧。
  3. ^ Joe Crede 2002 Batting Game Logs - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月10日閲覧。
  4. ^ MLB Players of the Week - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月10日閲覧。
  5. ^ a b c 村上雅則友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2004』廣済堂出版、2004年、120頁。ISBN 4-331-51040-9 
  6. ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、120頁。ISBN 4-331-51093-X 
  7. ^ a b c 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2006』廣済堂出版、2006年、110頁。ISBN 4-331-51146-4 
  8. ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、468頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  9. ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、153頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  10. ^ 村上雅則、友成那智『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、171頁。ISBN 978-4-331-51300-2 
  11. ^ 2008 All-Star Game Box Score, July 15 - Baseball-Reference.com (英語). 2020年2月10日閲覧。
  12. ^ ESPN.com news services (2009年2月21日). “Twins add 3B Crede to lineup” (英語). ESPN. 2020年2月10日閲覧。
  13. ^ Associated Press (2009年9月21日). “Crede to have 3rd back surgery” (英語). ESPN. 2020年2月10日閲覧。
  14. ^ a b Joe Crede has decided not to report to Rockies camp.” (英語). ROTOWORLD (2011年2月17日). 2020年2月10日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集