スティールカーテン

NFLのピッツバーグ・スティーラーズのディフェンスラインユニットのニックネーム

スティールカーテン(Steel Curtain)は、1970年代に4度スーパーボウルを制覇したNFLピッツバーグ・スティーラーズのディフェンスラインユニットのニックネーム。元来はディフェンスラインに対する愛称であるが、当時のスティーラーズの強力守備陣全体を総称する愛称としても用いられる。第二次世界大戦後の冷戦を当時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルが「鉄のカーテン」(Iron Curtain)と表現したことに由来する[1]

1976年シーズン、ピッツバーグ・スティーラーズはシーズン序盤に攻撃の要であるテリー・ブラッドショーを怪我で失い、1勝4敗とプレーオフ進出へピンチに陥っていた。しかし、残りの9試合の内5試合で完封勝ち、残りの4試合でも2タッチダウン、5フィールドゴールしか許さず、平均3.1点しか許さなかった。AFCチャンピオンシップゲームオークランド・レイダースに敗れ、スーパーボウル制覇をすることが出来なかったが、この時のスティーラーズの先発守備陣11人から8人がプロボウルに選出され、4人がプロフットボール殿堂入りしており、記録的に強力な守備陣として知られている[2]

主なメンバー 編集

元来はディフェンスラインの愛称として用いられたものであるが、ディフェンスライン以外で殿堂入りした選手も多く、スティールカーテンの一員として挙げられることが多い。

ディフェンスライン 編集

ディフェンスライン以外 編集

関連項目 編集

スティールカーテン以外に強力守備の愛称としてNFLで知られているのは、1960年代から1970年代初めのロサンゼルス・ラムズにおけるフィアサム・フォーサム英語版(恐怖の4人組)やミネソタ・バイキングスにおけるパープル・ピープル・イーターズ、1970年代後半のデンバー・ブロンコスにおけるオレンジ・クラッシュ・ディフェンス英語版、1980年代のニューヨーク・ジェッツにおけるニューヨーク・サック・エクスチェンジ英語版などがある。

脚注 編集

  1. ^ Battista, Judy (2009年1月31日). “Steelers’ Defense Recalls Steel Curtain Memories”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2009/02/01/sports/football/01defense.html?mcubz=2&mcubz=2 2017年5月28日閲覧。 
  2. ^ NFL Network (2008年5月28日). “Top 10 nicknames in NFL history”. NFL.com. 2013年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月24日閲覧。