ステップ・バイ・ステップ交換機

ステップ・バイ・ステップ交換機(SxS)(ステップ・バイ・ステップこうかんき)は、発信電話機ダイヤルパルスによる直接制御で、ソレノイドラチェット機構で駆動されるワイパー(可動接点)が上昇回転しながら、順次二次、三次セレクターへと接続していき、特定の相手先電話に接続する仕組みの電話交換機である。

電電公社霞ヶ関電話局のステップ・バイ・ステップ交換機(1960年代)

このSxS交換機に対応した電話機は、10pps (Pulse per second) のダイヤルパルス式電話機(日本では3号・4号・600-A1・650-A1型電話機など)であり、クロスバー交換機以降に使われるようになった20ppsの電話機は対応していない。また、クロスバー交換機以降の機能であるプッシュ回線機能も備えていない。

発明 編集

 
ステップ・バイ・ステップ交換機の原理

アメリカ合衆国のアルモン・ブラウン・ストロージャー英語版によって1887年から1891年に開発されATM社によって製作されたA型と、ドイツのジーメンス・ウント・ハルシュケが1889年に開発したH型とがある。ストロージャーは今日では発明家とみなされているが、交換機の発明に関しては、当時営んでいた葬儀屋業が、ライバル業者の奥方が電話交換手で、電話を横取りされて妨害されていたことから発明に及んだものである、と逸話的に言い伝えられている[要出典]

日本での導入 編集

日本では京橋電話局が1926年にA形交換機を導入し、初の自動交換局として開局した。20世紀に入るとそれまでの磁石式に加え共電式電話機の導入が始まったが(電話機#初期の電話機、交換手時代の電話機)、1923年の関東大震災で電話基盤が壊滅的な打撃を受けたことを契機として、交換手を要さない自動交換機の大幅導入が決定されたためである。ステップ・バイ・ステップ方式が、当時の自動交換を実現するその他の方式と比較して震動に強い構造であったことが決め手の一つになったと言われる。

日本では当初、競争入札のためA型とH型が同時に並行して各地域に整備された結果、後に価格や安定供給の観点から国産化された後も、A型とH型の改良品が併存することになった。戦前には2運動機構を加えた日本独自のT型が考案されていたが、第二次世界大戦中に試作段階で終わっている[1]

クロスバー交換機への置き換え 編集

ステップ・バイ・ステップ交換機は大都市を中心に設置され、ダイヤル自動即時化に貢献したが、次のような欠点もあり、次第にクロスバー交換機に取って替わられることとなった。日本では、1987年に神奈川県の橋本局を最後に廃止された。

  • 中継回線選択機能がなくスター形着信タンデム網構成となり中継回線の利用効率が悪い。
  • 出側の回線数が最大10に制限され、トランキングの大群化ができず、効率が悪い。
  • 比較的大型の部品を多数使用するため回線あたりの設置面積が大きく局舎の収容能力が逼迫する。
  • 機械駆動部分が多く接続操作に時間がかかる。
  • 保守の工数が大きく機械寿命も短い。
  • 4線式の遠距離市外回線の交換に向かない。

制御方式 編集

クロスバー以降の自動交換機と異なり、その機械構造自体が制御機能を規定している。布線論理方式と言えなくはないが、逆に「制御方式として特記すべきものはない」とも言える。何より、交換手不要の自動交換を実現出来ることが最大の特徴と言える。(そもそも、論理回路の概念が発見される以前に発明された)

脚注 編集

  1. ^ 日本電信電話公社電信電話事業史編集委員会『電信電話事業史 第3巻』電気通信協会、1960年、3-8頁。 

外部リンク 編集

関連項目 編集