ズヴェニゴロド公国 (ズヴェニゴロド)

ズヴェニゴロド公国ロシア語: Звенигородское княжество)は、ズヴェニゴロドを首都としたルーシの公国である。公国は14世紀前半に登場し、途中の断絶を経て、15世紀末に廃止された。

歴史 編集

初代ズヴェニゴロド公はモスクワ大公イヴァン1世(イヴァン・カリター)の息子のイヴァン(イヴァン・クラスヌィー。モスクワ大公イヴァン2世)である[1]。彼は1353年にモスクワ大公となると、ズヴェニゴロド公国領をモスクワ大公国領に併せた。その後1359年から1364年にかけて、イヴァン・クラスヌィーの子のイヴァン(ru)(イヴァン・マルィー)がズヴェニゴロド公となったが、1364年に相続者のないまま死亡したため、再びモスクワ大公国に接収された[1]

1389年、モスクワ大公ドミトリー(ドミトリー・ドンスコイ。なお、イヴァン・クラスヌィーの子、イヴァン・マルィーの兄にあたる)の遺言により、ドミトリーの子ユーリー(ru)にズヴェニゴロド公国が与えられた。ユーリーの後はその子のヴァシリー(ru)(ヴァシリー・コソイ)へ[1]、次いでセルプホフ公ヴァシリー(ru)父称ヤロスラヴィチ)へと公国が受け継がれた[1]。最後の公となったのはアンドレイ(モスクワ大公ヴァシリー2世の子)であり、公国の歴史は1492年に幕を閉じた[1][2]

出典 編集