セオデン

J・R・R・トールキン『指輪物語』の登場人物

セオデン(Théoden、セーオデン[注釈 1])は、 J・R・R・トールキンファンタジー小説『指輪物語』に登場する架空の人物。ローハンの国王であり、ロヒアリムが自国を呼ぶ名から「マークの君主」もしくは「リダーマークの君主」と呼ばれ、「二つの塔」と「王の帰還」で主要なキャラクターとして登場する。はじめセオデンは加齢し悲嘆に暮れ、相談役である蛇の舌グリマの策略により衰弱してローハンの退勢に対処せずにいるが、魔法使いガンダルフの手で更生し、サルマンサウロンに対する戦いにおける主要な同盟者となる。

セオデン
Théoden
J・R・R・トールキン
中つ国の伝説体系のキャラクター
登場作品 二つの塔
王の帰還
終わらざりし物語
詳細情報
別名 セオデン・エドニュー(更生せる)
種族 人間(ローハン国人)
性別 男性
肩書き ローハンの国王
家族 センゲル(父)
ロスサールナッハのモルウェン(母)
不詳の姉妹
セオドウィン(妹)
配偶者 エルフヒルド(妻)
子供 セオドレド(長男)
親戚 エオメル(甥)
エオウィン(姪)
国籍 ローハン
年齢 71歳(『指輪物語』)
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研究者はセオデンを西ゴート王テオドリックと比較し、ペレンノール野の合戦でのセオデンの死とカタラウヌムの戦いでのテオドリックの死を対比する。いっぽうで作中では同じ為政者であるゴンドールの執政デネソールとも対比され、冷然としたデネソールに対し、セオデンは友好的で大度である。

作中での経歴 編集

二つの塔 編集

セオデンは『指輪物語』の第二部「二つの塔」において、ローハンの王として登場する。この時点で、セオデンは加齢とともに衰弱し、堕落した魔法使いサルマンの意を受けた相談役である蛇の舌グリマによってほとんど操られていた[T 1]。「指輪狩り」についての最後の未完成原稿[注釈 2]のひとつでは、蛇の舌は「彼の助言のとりことなっている」王に対し「大きな影響力を持つ」と述べている[1]。『終わらざりし物語』では、この王の健康の問題について「グリーマが遅効性の毒を与え、病を誘発するか増加させたことは十分ありうる[T 2]」としている[T 3]。セオデンが無力化されているあいだローハンは、アイゼンガルドから支配するサルマンの指導下にあるオーク褐色人の攻撃に悩まされた[T 1]

この響きに王の屈んだ背は不意に真っ直に伸びました。かれはふたたび丈高く堂々と見えました。そして鐙に足を置いたまま、かれは立ち上がって、声高く呼ばわりました。その声は居合わせただれもがかつて命限りある人間の口からは聞いたことがないほどはっきりと澄んだ声でした。

立てよ、立て、セオデンの騎士らよ!
捨身の勇猛が眼ざめた、火と殺戮ぞ!
槍を振え、盾をくだけよ、
剣の日ぞ、赤き血の日ぞ、日の上る前ぞ!
いざ進め、いざ進め、ゴンドールへ乗り進め!

J・R・R・トールキン瀬田貞二田中明子訳, 新版『指輪物語』「王の帰還 上」

「二つの塔」で、セオデンの前にレゴラスギムリを連れたガンダルフアラゴルンが現れたとき、はじめ彼はサルマンと戦うべきだというガンダルフの助言を拒否する。しかしガンダルフがグリマの影響を取り払い、セオデンは正気を取り戻す。彼はグリマの讒言で投獄していた甥エオメルを釈放させ、愛剣ヘルグリムを取り[T 1]、老齢にもかかわらず角笛城の合戦を指揮してローハンを勝利に導いた[T 4]。それから彼はアイゼンガルドがファンゴルンの森のエントによって破壊された有様を実見し[T 5]、オルサンクの塔でサルマンと話し、ガンダルフがサルマンの杖を壊すところに立ち会う[T 6]

王の帰還 編集

「王の帰還」では、セオデンはペレンノール野の合戦でロヒアリムを率い、ゴンドールを救援する[T 7][T 8]。戦いの中、彼はハラドの騎馬部隊を破り、その首領を自ら討ち取った。さらに指輪の幽鬼の長であるアングマールの魔王と対決するが、愛馬雪の鬣から振り落とされて下敷きとなり、致命傷を負う。姪のエオウィンホビットメリアドク・ブランディバック(メリー)が仇を討ち魔王を倒すと、いまわの際、セオデンはメリーとエオメルに別れを告げた。[T 9]

セオデンの遺体は、サウロンの敗北後にローハンに埋葬されるまでミナス・ティリスに安置された。セオデンは青年王エオルより続くローハン王家、その第二家系の最後の人物であった。[T 10]

語源 編集

 
「王子」または「王」を意味する古英語の「セオデン」

Théodenは、古英語þeod(人、国)から派生したþēoden(王、王子)をそのまま音訳した名である[2][3][4]。トールキンの伝説体系に登場する他の説明的な名前と同様、トールキンはこの名前を用いることで、テキストが「歴史的」、「現実的」、または「古語的」であるという印象を与えている。トールキンは作中の西方語(共通語)を現代英語に訳して表現するいっぽう、西方語の古語としたローハン語には古英語をあてることで、中つ国の言語体系に巧妙に適合したものとした。[5]

研究・分析 編集

研究者のエリザベス・ソロポワによれば、セオデンの人物像は、戦いによる死が迫っていることを知った主人公が見せる不退転の決意という、北欧神話、特にベーオウルフの叙事詩における勇気の概念に触発されたものである。これは、ペレンノール野の合戦で圧倒的に有力なサウロンの軍勢と対決するというセオデンの決意に反映されている[6]。トールキンは、6世紀の歴史家ヨルダネスによるカタラウヌムの戦いの歴史的記述についても繰り返し言及した。いずれの戦いも「東」(フン族)と「西」(ローマ人とその同盟国である西ゴート族)の文化の間で行われ、ヨルダネス同様、トールキンもこの戦いを幾世代にも及ぶ伝説的な名声の1つであると表現している。もう1つの明らかな類似点は、カタラウヌム平原における西ゴート王テオドリック1世の死と、ペレンノール野におけるセオデンの死である。ヨルダネスは、テオドリックは乗馬から振り落とされ、突撃する配下の兵たちによって踏みにじられて死んだと記録している。セオデンもまた、斃れる直前に自らのもとに部下を集結させたが、落馬して愛馬の下敷きとなった。そしてテオドリック同様、戦いがなお続くなか、セオデンは主君のために涙し歌う王の騎士たちの手で戦場から運びだされた。 [7]

エリザベス・ソロポワによるセオデンとテオドリックの比較[7]
状況 セオデン テオドリック
最後の戦い ペレンノール野の合戦 カタラウヌムの戦い
交戦勢力
「西」対「東」
ローハンゴンドールモルドール、東夷 ローマ人西ゴート族フン族
死因 馬から投げだされ、下敷きになる 馬から投げ出され、突撃する自軍に踏みにじられる
哀悼 配下の騎士により、歌と涙とともに戦場から運びだされる

ジェーン・チャンスのようなトールキン研究者は、セオデンを作中の別の「ゲルマン的な王」であるゴンドール最後の統治権を持つ執政デネソールと対比させる。チャンスの見解では、セオデンは善、デネソールは悪を表す。彼女は、彼らの名前はほぼアナグラムであり、セオデンがホビットのメリーによる奉仕を親愛ある友情をもって受け入れるのに対し、デネソールはメリーの友人ペレグリン・トゥックを厳粛な忠誠の契約によって遇するとする[8]ヒラリー・ウィンThe J. R. R. Tolkien Encyclopediaにおいて、セオデンとデネソールはともに絶望するものの、ガンダルフによって「更生せる」セオデンはヘルム峡谷での絶望的な戦いに勝利し、ペレンノール野の合戦で「彼の攻撃がミナス・ティリスの街を略奪と破壊から救った」と書いている[2]

多くの学者は、最後の戦いに進むセオデンの姿をたとえた「この世界がまだ若かった頃のヴァラールの合戦における偉大な狩人オロメとさえも見える[T 11]という表現[T 8]を賞賛する。 スティーブ・ウォーカーはこの文を「奥深さにおいてほとんど叙事詩的」と表現し、文面の裏に「目に見えない複雑さ」すなわち中つ国の神話体系全体を示唆することで読者の想像力を誘うものだと評している[9]フレミング・ラトリッジは、それを神話やサガの文体の模倣であり、マラキ書4:1-3にみられるメシア預言の反映だとする[10]ジェイソン・フィッシャーは、ローハン全軍の角笛の響き、オロメ、夜明け、そしてロヒアリムを結びつける作中当該の一節を、「ベーオウルフ」の第2941-2944行におけるaer daege(「日の上る前」すなわち「夜明け」)およびHygelaces horn ond byman(「ヒイェラークの角笛と喇叭」)と比較する[11][注釈 3]ピーター・クリーフトは、「セオデンが戦士に変わった歓びに心を躍らせずにはいられない」としつつも、人々が「祖国のための死は甘美である(dulce et decorum est pro patria mori)」という古いローマ人の観点に到達するのは難しい、とも書いている[12]

トールキン研究者トム・シッピーは、ローハンはアングロ・サクソン時代のイングランドへ直接あてはめられており、単に人物名や地名、言語のみならず、多くの特徴を「ベーオウルフ」から取り入れているとする。彼によれば、トールキンによるセオデンの追悼歌は、古英語叙事詩「ベーオウルフ」の結末の葬送歌の同等かつ密接な反映である。セオデンの勇士と門番たちは「ベーオウルフ」の登場人物のように振る舞って「ただ命に従ったのみ」と言うのではなく、自らの決意のもとで行動する[13][14]。セオデンは北方の勇気の法則のもとで生き、デネソールの絶望が原因で死に至る[15]

メディア展開において 編集

1981年のBBCラジオ4によるThe Lord of the Ringsではジャック・メイがセオデンを演じ、その死は型通りに演出されるのではなく、歌によって語られた[16]ラルフ・バクシ1978年のアニメ映画『指輪物語』では、フィリップ・ストーンがセオデンを演じた[17]。中途で断絶したバクシ版アニメを補完するかたちでランキン・バス・プロダクションが制作したアニメ『王の帰還』英語版にも登場し、ドン・メシックが演じているが、台詞はほとんどない[18]。セオデンの死はガンダルフ(ジョン・ヒューストン)によって語られ、彼はアングマールの魔王本人によってではなく、突然生じた暗闇によって殺害される[19]

ピーター・ジャクソン監督による映画「ロード・オブ・ザ・リング」三部作では、セオデンは重要な役割を占める[20][21]。演者はバーナード・ヒル(日本語吹替:佐々木勝彦)で、 『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(2002)で初登場する[22][23]が、原作と異なり、セオデンは実際はサルマン(クリストファー・リー)に憑依されたような状態で、本来より早く老化している。ガンダルフ(イアン・マッケラン)によって呪文から解放されると年齢相応の姿に戻り、蛇の舌グリマ(ブラッド・ドゥーリフ)をローハンの都エドラスから追放する。[20]

注釈・出典 編集

  1. ^ 日本語版『指輪物語』電子版(2020)、『終わらざりし物語』文庫版(2022)での表記。
  2. ^ 一つの指輪が再び世に出たことを察知したサウロンが指輪の幽鬼をホビット庄へ送りこんだ経緯について記したJ・R・R・トールキンによる原稿。
  3. ^ オロメが上古に中つ国の東のはてでエルフを見出した出来事は、東からの日の出、新たな始まりの到来、そしてロヒアリムからのオロメの呼び名「Bema(角笛、喇叭の意)」が「ベーオウルフ」の一節にある古英語Bymaの古マーシア方言であることをそれぞれ関連させている、とフィッシャーは述べている[11]

一次資料 編集

このリストでは、トールキンの著作からの出典を示す。
  1. ^ a b c Tolkien 1954, book 3, ch. 6 "The King of the Golden Hall"(「二つの塔 上」 六「黄金館の王」)
  2. ^ J・R・R・トールキン 著、山下なるや 訳「V アイゼンの浅瀬の合戦」、クリストファ・トールキン 編『終わらざりし物語』 下巻 第三部(文庫版初版)、河出書房新社、2022年。 
  3. ^ Tolkien 1980, Part 3, ch. 5 "The Battles of the Fords of Isen"
  4. ^ Tolkien 1954, book 3, ch. 7 "Helm's Deep"(「二つの塔 上」 七「ヘルム峡谷」)
  5. ^ Tolkien 1954, book 3, ch. 8 "The Road to Isengard"(「二つの塔 上」 八「アイゼンガルドへの道」)
  6. ^ Tolkien 1954, book 3, ch. 10 "The Voice of Saruman"(「二つの塔 上」 十「サルマンの声」)
  7. ^ Tolkien 1955, book 5, ch. 3 "The Muster of Rohan"(「王の帰還 上」 三「ローハンの招集」)
  8. ^ a b Tolkien 1955, book 5, ch. 5 "The Ride of the Rohirrim"(「王の帰還 上」 五「ローハン軍の長征」)
  9. ^ Tolkien 1955, book 5, ch. 6 "The Battle of the Pelennor Fields"(「王の帰還 上」 六「ペレンノール野の合戦」)
  10. ^ Tolkien 1955, book 6, ch. 5 "The Steward and the King"(「王の帰還 下」 五「執政と王」)
  11. ^ J・R・R・トールキン 著、瀬田貞二田中明子 訳「五 ローハン軍の長征」『王の帰還 上』(文庫版初版)評論社。 

二次資料 編集

  1. ^ Hammond, Wayne G.; Scull, Christina (2005). The Lord of the Rings: A Reader's Companion. HarperCollins. pp. 249, 402. ISBN 978-0-00-720907-1 
  2. ^ a b Wynne, Hilary (2013) [2006]. “Theoden”. In Drout, Michael D. C.. The J. R. R. Tolkien Encyclopedia (first ed.). Routledge. p. 643. ISBN 978-0-415-96942-0. https://books.google.com/books?id=B0loOBA3ejIC&q=Th%C3%A9oden&pg=PA643. "'the chief of a :þeod (a nation, people)'... His name as King, Theoden "Ednew," comes from the Old English ed-niowe, 'To recover, renew.'" 
  3. ^ Bosworth. “þeóden”. An Anglo-Saxon Dictionary (Online). Charles University. 2022年2月16日閲覧。 - (also spelled ðeoden), cognate with the Old Norse word þjóðann
  4. ^ Solopova 2009, p. 21. "Théoden ('Lord' in Old English)".
  5. ^ Solopova 2009, p. 22.
  6. ^ Solopova 2009, pp. 28–29.
  7. ^ a b Solopova 2009, pp. 70–73.
  8. ^ Nitzsche 1980, pp. 119–122.
  9. ^ Walker, Steve C. (2009). The Power of Tolkien's Prose: Middle-Earth's Magical Style. Palgrave Macmillan. p. 10. ISBN 978-0230101661. https://books.google.com/books?id=zaq_AAAAQBAJ&pg=PA10 
  10. ^ Rutledge, Fleming (2004). The Battle for Middle-earth: Tolkien's Divine Design in The Lord of the Rings. Wm. B. Eerdmans Publishing. p. 287. ISBN 978-0-8028-2497-4. https://books.google.com/books?id=FRiViwMylSUC&pg=PA287 
  11. ^ a b Fisher, Jason (2010). Bradford Lee Eden. ed. Horns of Dawn: The Tradition of Alliterative Verse in Rohan. McFarland. p. 18. ISBN 978-0-7864-5660-4. https://books.google.com/books?id=AOS74uZTasYC&pg=PA18 
  12. ^ Kreeft, Peter (2009). The Philosophy of Tolkien: The Worldview Behind "The Lord of the Rings". Ignatius Press. p. 132. ISBN 978-1-68149-531-6. https://books.google.com/books?id=cjJ0DgAAQBAJ&pg=PT132 
  13. ^ Shippey 2005, pp. 139–149.
  14. ^ Kightley, Michael R. (2006). “Heorot or Meduseld?: Tolkien's Use of 'Beowulf' in 'The King of the Golden Hall'”. Mythlore 24 (3/4): 119–134. JSTOR 26814548. 
  15. ^ Shippey 2005, pp. 136–137, 177–178, 187.
  16. ^ Riel Radio Theatre — The Lord of the Rings, Episode 2”. Radioriel (2009年1月15日). 2020年5月18日閲覧。
  17. ^ Beck, Jerry (2005). “The Lord of the Rings”. The Animated Movie Guide. Chicago Review Press. pp. 154–156. ISBN 978-1-55652-591-9. https://books.google.com/books?id=fTI1yeZd-tkC 
  18. ^ The Return of the King”. Behind the Voice Actors. 2021年2月17日閲覧。
  19. ^ Gilkeson (2019年4月24日). “Middle-earth's Weirdest Movie: Rankin-Bass' Animated The Return of the King”. Tor.com. 2021年2月17日閲覧。
  20. ^ a b Walter, Brian D. (2011). Bogstad, Janice M.; Kaveny, Philip E.. eds. The Grey Pilgrim. McFarland. 198, 205–206. ISBN 978-0-7864-8473-7. https://books.google.com/books?id=jNjKrXRP0G8C&pg=PA41 
  21. ^ Kollmann, Judith (2005). “Elisions and Ellipses: Counsel and Council in Tolkien's and Jackson's The Lord of the Rings”. In Croft, Janet Brennan. Tolkien on Film: Essays on Peter Jackson's The Lord of the Rings. Mythopoeic Press. pp. 160–161. ISBN 1-887726-09-8 
  22. ^ Gray (2002年12月). “A Fellowship in Peril”. American Society of Cinematographers. 2021年7月1日閲覧。 “The key dramatic determinant in Lesnie’s method was the change that comes over King Théoden (Bernard Hill) after Gandalf lifts Saruman's spell.”
  23. ^ “Theoden, King of Rohan (Bernard Hill)”. The Guardian. https://www.theguardian.com/film/pictures/image/0,8545,-11004534782,00.html 2021年7月1日閲覧。 

参考文献 編集