セルヒオ・エスクデロ

日本のサッカー選手

セルヒオ・アリエル・エスクデロスペイン語: Sergio Ariel Escudero, 1964年2月10日 - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワードミッドフィールダー。2007年に日本国籍を取得[1][2]。兄のオズバルド・エスクデロ、息子のエスクデロ競飛王、甥(オスバルドの息子)のダミアン・エスクデロもサッカー選手。

セルヒオ・エスクデロ
名前
本名 セルヒオ・アリエル・エスクデロ
Sergio Ariel Escudero
ラテン文字 Sergio ESCUDERO
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1964-02-10) 1964年2月10日(60歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス
選手情報
ポジション MF
ユース
アルゼンチンの旗 CAチャカリタ・ジュニアーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1986 アルゼンチンの旗 CAチャカリタ・ジュニアーズ
1986-1987 ボリビアの旗 ザ・ストロンゲスト
1987-1988 スペインの旗 グラナダCF
1990-1991 アルゼンチンの旗 CAアトランタスペイン語版
1992 日本の旗 浦和レッズ 0 (0)
監督歴
2003-2012 日本の旗 埼玉栄高等学校
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

略歴 編集

選手時代 編集

アルゼンチン北部のコリエンテス州パソ・デ・ロス・リベレスで生まれ[3][1] [2]、7歳のときに移り住んだブエノスアイレスでバビーフットボール(6人制サッカー)を始め、9歳からチャカリタ・ジュニアーズの育成組織で育つ[1]

1980年にチャカリタのトップチームに昇格[1]。当時のチャカリタは3部リーグ所属だったが、その後2部リーグ(プリメーラB)、1部リーグ(プリメーラ)へと昇格[1][4]。センターフォワードおよび左右ウイングとしてプレーした[1]。1987年にはレンタル移籍によりボリビアのザ・ストロンゲストに1シーズン在籍[4][3]コパ・リベルタドーレスの出場権を獲得した[3]。翌シーズンはスペイン2部リーグのグラナダCFに移籍し、2シーズン在籍[3]。1990年、アルゼンチンのCAアトランタスペイン語版に移籍[4]

浦和レッズでプレーしていた兄・オズバルドに誘われ[2]1992年6月[5]に浦和レッズに加入した。しかし、サテライトで7試合出場[5]したもののトップリーグでは出場のないまま1993年1月[5]に引退した。

引退後 編集

引退後は当時浦和レッズの育成部門を兼ねていた浦和スポーツクラブのジュニアユースのコーチに就任し、1995年の高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会に優勝[2]。1997年から4年間アルゼンチンに帰り、S級ライセンスを取得[3]。1997年にはビーチサッカーのアルゼンチン代表としてプレーした[6]

2001年に再来日し[2]柏レイソル青梅のコーチを一年半務めた[2]2003年より埼玉栄高等学校サッカー部のコーチを2年、総監督を8年務め[1]、その後はロクFCのコーチとして小中学生を指導[1]。2016年より兄のオズバルドが監督を務めるエルサルバドルのCD FASスペイン語版のコーチに就任し、初めてプロチームを指導した[6]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 浦和 - J1 - 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J 0 0 0 0 0 0 0 0
総通算 0 0 0 0 0 0 0 0

関連項目 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h 林壮一 (2013年9月27日). “アルゼンチン人コーチが語る「日本人選手に欠けているもの」(林壮一)”. Yahoo!ニュース. 2017年4月4日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 吉沢康一. “<これが私たちが望んだホームタウンなのか?Vol.2>吉沢康一・特別リポート 育成改革は地元から!エスクデロの挑戦。”. 浦和フットボール通信. 2017年4月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e 加部究「海を越えてきたフットボーラー セルヒオ・アリエル・エスクデロ(元三菱自動車FC)」『サッカー批評』 Issue 25、双葉社、2004年、74-79頁。
  4. ^ a b c Sergio Escudero”. El Grafico. 2017年4月4日閲覧。
  5. ^ a b c 『浦和レッズ10年史』 ベースボール・マガジン社、2002年、143頁。
  6. ^ a b 林壮一 (2016年7月4日). “アルゼンチン人コーチの新たな挑戦(林壮一)”. Yahoo!ニュース. 2017年4月4日閲覧。

外部リンク 編集