ダニエル・ダリューDanielle Darrieux、本名: ダニエル・イボンヌ・マリー・アントワネット・ダリュー、1917年5月1日 - 2017年10月17日[1])は、フランス女優。110以上の映画に出演しているフランス古典派美人女優の代表格。

ダニエル・ダリュー
Danielle Darrieux
Danielle Darrieux
1938年宣伝写真
本名 Danielle Yvonne Marie Antoinette Darrieux
生年月日 (1917-05-01) 1917年5月1日
没年月日 (2017-10-17) 2017年10月17日(100歳没)
出生地 フランスの旗 フランス ボルドー
死没地 フランスの旗 フランス ウール県エヴルー近郊ボワ=ル=ロワ (fr)
国籍 フランスの旗 フランス
職業 女優
活動期間 1931年 - 2017年
配偶者 アンリ・ドコワン (1935-1941)
ポルフィリオ・ルビロサ (1942-1947)
ジョルジュ・ミトキシデス (1948-1991)
主な作品
うたかたの恋』(1936年)
たそがれの女心』(1953年)
赤と黒』(1954年)
ロシュフォールの恋人たち』(1967年)
8人の女たち』(2002年)
 
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(芸術貢献賞)
2002年8人の女たち
ヨーロッパ映画賞
女優賞
2002年『8人の女たち』
セザール賞
名誉賞
1985年
その他の賞
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来歴 編集

医者の娘としてフランス南西部ボルドーで生まれる。その父親は第一次世界大戦の間、フランス軍に勤めていたが、彼女が7歳の時死んだ。ダリューはその後パリで育って、音楽学校でチェロを学んだ。

14歳の時、『ル・バル』 (1931) の主役で映画デビュー。1936年、シャルル・ボワイエと共演した『うたかたの恋』で悲恋の令嬢マリーを演じ、一躍国際的なスターとなる。

第二次世界大戦の間、フランスがドイツ軍占領下にもかかわらず、しばらく演劇活動を続けたため、彼女は同胞によってひどく批判された。しかし、映画会社から、ドイツに彼女の兄弟を追放すると脅迫されていたので、ダリューは従わざるを得なかった。

戦後は、『輪舞』 (1950)、『赤と黒』 (1954)、『チャタレイ夫人の恋人』 (1955) のような文芸作品で人気を博した。ただし、『チャタレイ夫人の恋人』は、そのエロチックな内容のため、アメリカではカトリック検閲官によって放映禁止となった。

1960年代には歌手としてコンサート活動を行い、レコードも出している。1970年にはブロードウェイ・ミュージカル『Coco』にキャサリン・ヘプバーンの代役として主演。1980年代にはパリの劇場でミュージカル『ジジ』を演じている。

1930年代初頭から21世紀の現在に至るまでの、その80年間に及ぶ長いキャリアは、ミシュリーヌ・プレールを凌ぐ。

1962年、レジオンドヌール勲章を受勲。1985年度の第10回セザール賞で名誉賞を受賞。

1999年アメリカン・フィルム・インスティチュートの選ぶ「伝説の映画スター100人(男優50人・女優50人)」の中には選ばれなかったが、その選考の際ノミネートされた500人(男優250人・女優250人)のリストには入った。そのリストの中でフランス映画女優としては他にアナベラシモーヌ・シモンのみであり[2]、ノミネートされた中で彼女は数少ない存命かつ現役俳優の1人だった。ちなみにダリュー自身はアメリカ映画に4本、イギリス映画に1本出演しただけである。

2002年には、新鋭フランソワ・オゾン監督の映画『8人の女たち』に出演。歌と踊りも披露して、80代でもフランス映画界の現役女優であることを全世界に示した。この作品でカトリーヌ・ドヌーヴエマニュエル・ベアールら他の7人の共演女優たちと共にベルリン国際映画祭銀熊賞を受賞した。その後も映画出演を続けている。

プライベートでは1935年に映画監督・脚本家のアンリ・ドコワンと結婚するが1941年に離婚。ドコワンはしばしば自分の製作する作品にダリューを主演させて、彼女の映画経歴を助けた。また、彼はハリウッド映画に進出するよう妻に促したが、ダリューはほんの短期間アメリカで活動した後すぐにフランスに戻った。

1942年に、ドミニカ共和国外交官で悪名高い女たらしのポルフィリオ・ルビロサと結婚するが、ルビロサは彼の反ナチ的な意見のためドイツへ強制移住させられた。ダリューは夫の解放と引きかえに、女優としてベルリンでプロモーション旅行をした。彼らは戦争の終わりまでスイスに住んでいたが、1947年にアメリカ人女性富豪のドリス・デュークがルビロサと結婚したいが為に、ダリューに100万ドルの手切金を差し出したことで、全く揉めることもなく二人の離婚が成立した。

1948年に結婚した脚本家のジョルジュ・ミトキシデスとは、彼の亡くなる1991年まで連れ添った。

主な出演作品 編集

公開年 邦題
原題
役名 備考
1931 ル・バル
Le Bal
アントネッタ
1934 吼えろ!ヴォルガ
Volga en flammes
不景気よさようなら
La crise est finie
ニコル
1935 恋愛交叉点
Quelle drôle de gosse!
ルーシー
1936 不良青年
Un mauvais garçon
ジャクリーン
1936 うたかたの恋(原表記は旧字を使用「うたかたの戀」)
Mayerling
マリー
隊長ブーリバ
Tarass Boulba
マリナ
禁男の家
Club de femmes
クレール・リヴィエ
旅順港
Port-Arthur
ボリスの妻
1938 背信
Abus de confiance
リディア
巴里の評判娘
The Rage of Paris
ニコル
カチアの恋
Katia
カトリーヌ
暁に帰る
Retour à l'aube
アニタ
1947 モロッコ守備隊
Bethsabée
アラベラ
1948 ルイ・ブラス
Ruy Blas
1950 輪舞
La Ronde
エマ
1952 快楽
Le Plaisir
マダム・ロサ
五本の指
5 Fingers
アンナ・スタヴィスカ
愛すべき御婦人たち
Adorables créatures
1953 たそがれの女心
Madame de...
ルイーズ
1954 赤と黒
Le Rouge et le Noir
レナール夫人
1955 ナポレオン
Napoléon
エレオノール・ドニュエル
チャタレイ夫人の恋人
L'Amant de lady Chatterley
チャタレイ夫人
1956 アレキサンダー大王
Alexander the Great
オリュンピアス
1957 忘れえぬ慕情
Typhon sur Nagasaki
フランソワーズ・ファーブル
奥様ご用心
Pot-Bouille
カロリーヌ
1958 夜の放蕩者
Le désordre et la nuit
テレーズ
1959 自殺への契約書
Marie-Octobre
マリー=ヘレン
いまだ見ぬひと
Les yeux de l'amour
ジャンヌ
1960 45回転の殺人
Meurtre en 45 tours
エヴァ
1961 女になる季節
The Greengage Summer
マダム・ジジ
1962 悪い女
Le crime ne paie pas
1962 フランス式十戒
Le Diable et les Dix Commandements
1963 青髭
Landru
1963 二重生活
Du grabuge chez les veuves
1967 ロシュフォールの恋人たち
Les Demoiselles de Rochefort
イヴォンヌ
1968 哀愁のみずうみ
Vingt-quatre heures de la vie d'une femme
アリス
1968 ペルーの鳥
Les oiseaux vont mourir au Pérou
フェルナンデ夫人
1976 脱獄の報酬
L'Année sainte'
クリスティーナ
1982 都会のひと部屋
Une chambre en ville
マーゴット
1986 夜を殺した女
Le lieu du crime
1986 肉体と財産
Corps et biens
マダム・クランツ
1998 僕と一緒に幾日か
Quelques jours avec moi
2002 8人の女たち
8 femmes
マミー ベルリン国際映画祭 銀熊賞 受賞(8人の女優に対して)
ヨーロッパ映画賞 女優賞 受賞(8人の女優に対して)
2003 危険な関係
Les liaisons dangereuses
テレビ・ミニシリーズ
2007 ゼロ時間の謎
L'Heure zéro
カミーラ・トレシリアン
2007 ペルセポリス
Persepolis
マルジの祖母 声の出演

日本のテレビ番組出演 編集

関連書籍 編集

脚注 編集

  1. ^ ダニエル・ダリューさん死去=フランスの女優”. 時事通信 (2017年10月19日). 2017年10月20日閲覧。
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年9月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年11月1日閲覧。

外部リンク 編集