ダンテ・ビシェット

アメリカの野球選手 (1963-)

ダンテ・ビシェット英語: Dante Bichette, 本名:アルフォンセ・ダンテ・ビシェット・シニアAlphonse Dante Bichette Sr., 1963年11月18日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州ウェストパームビーチ出身の元プロ野球選手外野手)。右投右打。

ダンテ・ビシェット
Dante Bichette
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州ウェストパームビーチ
生年月日 (1963-11-18) 1963年11月18日(60歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1984年 MLBドラフト17巡目
初出場 1988年9月5日
最終出場 2001年10月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入りとエンゼルス時代 編集

1984年MLBドラフト17巡目(全体424位)でカリフォルニア・エンゼルスから指名され、プロ入り。

1988年9月5日にメジャーデビュー。

1990年には103試合の出場で15本塁打を記録した。

ブルワーズ時代 編集

1990年オフにデーブ・パーカーとのトレードで、ミルウォーキー・ブルワーズ(当時はアメリカンリーグ所属)へ移籍した。

ここでは2年の在籍で、15本塁打、5本塁打を記録した。

ロッキーズ時代 編集

1993年には新たに設立されたコロラド・ロッキーズに移籍。すると、海抜1,600mの高地にある本拠地マイル・ハイ・スタジアムを味方につけて強打者の素質が開花。

1993年は141試合で打率.310・21本塁打・89打点

1994年は打率.304・27本塁打・95打点、さらに21盗塁と快足ぶりも発揮するも、シーズン途中にストライキが起きた。

1995年には本拠地が新設されたクアーズ・フィールドに移転されたが、打率も.340・40本塁打・128打点を記録し、本塁打王打点王の二冠王を獲得。最終的に打率と本塁打は同年が自己最高であった。チームを創設3年目でワイルドカードでのディビジョンシリーズ進出に導く大活躍。オフにはシルバースラッガー賞を受賞した。

1996年には打率.313・31本塁打・141打点と、打点以外は前年を下回ったが、31盗塁を記録して「30本塁打30盗塁」の快挙を達成した[注 1]

1997年は打率.308・26本塁打・118打点を記録した。

1998年は自己最多の161試合に出場し、打率.331・22本塁打・122打点を記録した。

1999年は打率.298・34本塁打・打点133と毎年のように活躍。

レッズ時代 編集

2000年シンシナティ・レッズに移籍。

レッドソックス時代 編集

2000年シーズン途中にボストン・レッドソックスに移籍し、それでもこの年は155試合に出場して打率.293・23本塁打・90打点と活躍する。

2001年指名打者(DH)としての起用も増えたが、故障もあり107試合の出場で打率.286・12本塁打・49打点に終わった。

ドジャース時代 編集

2001年オフにロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。 しかし、ドジャースで公式戦に出場することなく、2002年開幕前の3月22日に現役を引退した。

独立リーグ時代 編集

2004年8月になって、独立リーグアトランティックリーグ(当時)であるナシュア・プライドに入団し、現役復帰。投手一塁手を務め、わずか1か月で打率.361、13本塁打と貫禄を見せつけた。

現役引退後 編集

2013年は古巣ロッキーズの打撃コーチに就任。9月24日に同年限りでコーチを辞任することが発表された[1]

2019年には社会人野球であるJR東日本硬式野球部の特別打撃コーチとして訪日を果たした[2]

2020年は息子のボー・ビシェットが在籍するトロント・ブルージェイズのキャンプ期間のゲストコーチを務めた。その後シーズン開幕戦の記者会見にて監督のチャーリー・モントーヨが「メジャーリーグ・コーチ」としてビシェットをチームに帯同させベンチ入りさせることを発表した[3]

2021年からは「スペシャル・アシスタント」として引き続きブルージェイズに籍を置いた[4]

2022年2月9日、ロックアウト英語版の影響でコーチの立場で選手であるボーに指導することはできないことを理由として、息子であるボーの練習を手伝うためにチームを退団した[5]

家族 編集

息子のダンテ・ビシェット・ジュニアは、2005年8月にリトルリーグ・ワールドシリーズに出場(なおジュニアのチームメイトにはかつてテキサス・レンジャーズ等でプレイした捕手マイク・スタンリーの息子、タナー・スタンリーもいた。)した経験があり、2011年6月のMLBドラフト1巡目追補(全体51位)でニューヨーク・ヤンキースから指名され、プロ入りした。

さらにもう一人の息子のボー・ビシェットも、2016年MLBドラフト2巡目(全体66位)でトロント・ブルージェイズから指名され[6]、プロ入りした。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1988 CAL 21 50 46 1 12 2 0 0 14 8 0 0 0 4 0 0 0 7 0 .261 .240 .304 .544
1989 48 146 138 13 29 7 0 3 45 15 3 0 0 2 6 0 0 24 3 .210 .240 .326 .566
1990 109 371 349 40 89 15 1 15 151 53 5 2 1 2 16 1 3 79 9 .255 .292 .433 .725
1991 MIL 134 475 445 53 106 18 3 15 175 59 14 8 1 6 22 4 1 107 9 .238 .272 .393 .665
1992 112 411 387 37 111 27 2 5 157 41 18 7 2 3 16 3 3 74 13 .287 .318 .406 .724
1993 COL 141 581 538 93 167 43 5 21 283 89 14 8 0 8 28 2 7 99 7 .310 .348 .526 .874
1994 116 509 484 74 147 33 2 27 265 95 21 8 0 2 19 3 4 70 17 .304 .334 .548 .882
1995 139 612 579 102 197 38 2 40 359 128 13 9 0 7 22 5 4 96 16 .340 .364 .620 .984
1996 159 694 633 114 198 39 3 31 336 141 31 12 0 10 45 4 6 105 18 .313 .359 .531 .890
1997 151 601 561 81 173 31 2 26 286 118 6 5 0 7 30 1 3 90 13 .308 .343 .510 .853
1998 161 695 662 97 219 48 2 22 337 122 14 4 0 4 28 2 1 76 22 .331 .357 .509 .866
1999 151 659 593 104 177 38 2 34 321 133 6 6 0 10 54 3 2 84 15 .298 .354 .541 .895
2000 CIN 125 514 461 67 136 27 2 16 215 76 5 2 1 7 41 3 4 69 18 .295 .353 .466 .819
BOS 30 122 114 13 33 5 0 7 59 14 0 0 0 0 8 0 0 22 3 .289 .336 .518 .854
'00計 155 636 575 80 169 32 2 23 274 90 5 2 1 7 49 3 4 91 21 .294 .350 .477 .827
2001 107 415 391 45 112 30 1 12 180 49 2 2 0 1 20 1 3 76 13 .286 .325 .460 .785
MLB:14年 1704 6855 6381 934 1906 401 27 274 3183 1141 152 73 5 73 355 32 41 1078 176 .299 .336 .499 .835
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル 編集

表彰 編集

記録 編集

背番号 編集

  • 11(1988年)
  • 19(1989年 - 1990年、2000年途中 - 2001年)
  • 3(1991年)
  • 8(1992年)
  • 10(1993年 - 1999年、2013年)
  • 9(2000年 - 同年途中)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「30-30」を記録した1996年にはチームメイトのエリス・バークスも「30-30」を達成。同じチームで2人が「30-30」を達成したのは、1987年メッツダリル・ストロベリーハワード・ジョンソン)以来2例目であった。

出典 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集