チェロ協奏曲第2番 (ハイドン)

チェロ協奏曲第2番 ニ長調 作品101 Hob. VIIb:2 は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン1783年に作曲したチェロ協奏曲1961年第1番の筆写譜が発見されるまでは、作曲者唯一のチェロ協奏曲として知られていた。

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Haydn: 2. Cellokonzert D-Dur ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Steven Isserlis ∙ Richard Egarr - スティーヴン・イッサーリスのチェロ独奏、リチャード・エガー指揮&チェンバロ、hr交響楽団による演奏(2021年)。hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony公式YouTube。

概要 編集

ハイドンは全部で6曲のチェロ協奏曲を作曲したといわれているが、第3番とト短調(Hob. VIIb:g1)は紛失し、第4番と第5番は偽作とされている(第4番はG.B.コンスタンツィ、第5番はD.ポッパーの作といわれている)ため、ハイドンの真作とされているチェロ協奏曲は第1番とこの曲のみである。

ハイドンは1761年から1790年にかけて、ハンガリーニコラウス・エステルハージ侯に仕えていた間に、数曲のチェロ協奏曲を作曲したといわれている。しかし規模や内容の点で、有名な第1番と第2番が際立っており、一般にハイドンのチェロ協奏曲といえば、この2曲を指すのが普通である。


第2番は長年、ハイドンの作曲の弟子で、チェロの名手としてエステルハージ侯の楽団で活躍していたアントン・クラフトのために書かれたと考えられていたが、近年の研究[1]により否定されている。クラフトの息子であるニコラウスが「自分の父が本当の作曲者だ」と証言したことによって、一時は偽作説まで流布したが、ハイドン自身の手稿譜が1954年ウィーンで発見されたため、現在この偽作説も否定されている。

楽器編成 編集

自筆譜が発見されるまでは独奏チェロオーボエ2ホルン2弦五部が一般的であったが、これは出版譜に記された編成であり、当時は考証が全く行われていなかったために、出版社が勝手に想像してこの編成に仕立て上げていた。

現実に自筆譜に記されていたのは、オーボエ2ホルン2第1ヴァイオリン第2ヴァイオリンヴィオラ独奏チェロ、そしてバス(バスーン、コントラバス)の編成であることが判明している。この事実は、自筆譜が発見されるまで知られることはなかった。

演奏風習 編集

エステルハージの雇った弦楽器奏者の数は出入りが激しく、必ず第1と第2ヴァイオリンを2人にした12人で演奏しなければならないということはない。作曲当時、「弦五部」という概念はまだ存在していなかったが、この協奏曲が西洋音楽史上初の、弦楽パートが5部に独立した楽曲である可能性はある。

手稿譜の第3楽章につけられた「solo」というただし書きは、主題が独奏チェロのみで演奏されることを意味し、弦五部の中のチェロを使用するという意味ではない。

手稿譜によくある「Bassi」というのは楽器奏者の数が複数いるという意味ではなく、バス(バスーン、コントラバス)の全員を意味する。音部記号は第1楽章と第3楽章に鉤のようなものがついているが、これは1オクターヴ下げる楽器も含むという意味である。第2楽章は実音で奏されるため、コントラバスは不要になりバスーンになる。手稿譜が発見されるまで、この事実は知られていなかった。

楽章構成 編集

全3楽章構成、演奏時間は約25分。

脚注 編集

  1. ^ Tolley, Thomas (2019). “James Cervetto and the Origin of Haydn’s D Major Cello Concerto”. Eighteenth-Century Music 16 (1): 9–29. 

外部リンク 編集