ディヴィジオン・ナシヨナル1933-1934

ディヴィジオン・ナシヨナル1933-1934フランスのプロサッカーリーグ1部、シャンピオナ・ドゥ・フランス・ドゥ・フットボールの第2回目のシーズンである。

ディヴィジオン・ナシヨナル
シーズン 1933-1934
優勝 FCセト (1回目)
降格 OGCニース
CAパリ
得点王 ハンガリーの旗 イシュトヴァーン・ルカート (28)

FCセトが初優勝を決めた[1]。セトはクープ・ドゥ・フランス1933-1934も制覇し、フランス初のリーグ・カップ2冠を達成している。

フォーマット 編集

14クラブによるホーム・アンド・アウェー総当たり・全26節のリーグ戦である。1位は優勝、下位2クラブは自動降格する。

出場クラブ 編集

順位表 編集

チーム 出場権または降格
1 FCセト (C) 26 14 6 6 69 52 +17 34 クープ・ドゥ・フランス1933-1934優勝
2 SCフィヴ 26 13 7 6 57 31 +26 33
3 オランピック・ドゥ・マルセイユ 26 15 3 8 69 46 +23 33
4 オランピック・リロワ (サッカー) 26 14 4 8 70 40 +30 32
5 エクセルシオールACルベ 26 13 4 9 65 59 +6 30
6 スタッド・レネUC 26 11 5 10 67 75 −8 27
7 FCアンティーブ 26 11 5 10 52 60 −8 27
8 SOモンペリエ 26 10 6 10 53 55 −2 26
9 SCニーム 26 11 3 12 68 72 −4 25
10 ASカンヌ 26 9 7 10 42 52 −10 25
11 RCパリ 26 9 5 12 51 49 +2 23
12 FCソショー 26 9 4 13 60 70 −10 22
13 OGCニース (R) 26 6 5 15 42 69 −27 17 ディヴィジオン・アンタルレジオナールに降格
14 CAパリ (R) 26 5 0 21 55 90 −35 10
出典: Footballdatabase.eu
順位の決定基準: 勝利: 勝ち点2, ドロー: 勝ち点1, 負け: 勝点0
(C) 優勝; (R) 降格.

昇降格 編集

(この節の出典:[2]

1部昇格 レッドスター・オランピック オランピック・アレス FCミュルーズ RCストラスブール
2部降格 OGCニース CAパリ

来シーズンからディヴィジオン・ナシヨナルは16クラブ制となるため、4クラブがディヴィジオン・アンタルレジオナールから昇格した。

得点ランキング 編集

順位 選手 国籍 クラブ 点数
1 イシュトヴァーン・ルカチ   ハンガリー FCセト 28
2 ヴァルター・ヴォールヴァイラー   ドイツ国 スタッド・レネUC 25
3 ロジェ・クルトワ   フランス FCソショー=モンベリアール 23
4 ヴァーツラフ・ヴァラ   チェコスロバキア SCフィヴ 19
- アンドレ・シモニー   フランス オランピック・リロワ (サッカー) 19
- ジョゼフ・アルカザル   フランス オランピック・ドゥ・マルセイユ 19
7 カーロイ・コヴァーチュ   ハンガリー FCアンティーブ 17
8 ヴィリー・コフート   ハンガリー オランピック・ドゥ・マルセイユ 16
9 エルネスト・リベラティ   フランス SCフィヴ 15
10 アルパード・ベルコ   フランス FCアンティーブ 14
- ジャン・ボワイエ   フランス オランピック・ドゥ・マルセイユ 14
- ヨーゼフ・シルニー   チェコスロバキア SCニーム 14
- エミール・ヴェナント   フランス RCパリ 14
14 イヴァン・ベック   ユーゴスラビア王国 /   フランス FCセト 13
- アンドレ・ショヴェル   フランス スタッド・レネUC 13
- ウィリー・ドゥレス   フランス RCパリ 13
- ヴァルター・カイザー   ドイツ国 スタッド・レネUC 13
- ノルベール・ヴァン・ケヌゲン   フランス エクセルシオールACルベ 13

データ 編集

  • 最多得点:オランピック・リロワ (70得点)
  • 最少失点:SCフィヴ (26失点)
  • 最少得点:ASカンヌとOGCニース (42得点)
  • 最多失点:CAパリ (90失点)

シーズンハイライト 編集

スポーツ紙L'Autoは優勝争いが終盤に入った1934年4月30日、オランピック・ドゥ・マルセイユが最後に優勝する可能性が濃厚と予想した。それというのも、首位FCセトは2位マルセイユをわずか勝ち点1上回っていたものの得失点率で劣っており、しかも先に全日程を終えてしまっていた。未消化試合を3試合残している上に得失点率でリードするマルセイユは、たった1試合引き分けるだけで優勝できたのだ。この予想は世間一般の常識であった。

リーグ全日程を終えたFCセトは、ほかならぬマルセイユを決勝で破りクープ・ドゥ・フランス1933-1934優勝を決めた後、北アフリカでの興行ツアーに出かけていた。5月20日、セトの選手たちがカサブランカのカフェに入ったとき、そこで思いがけないニュースを知らされた。「マルセイユ3連敗、FCセト優勝決定」[3]。未消化試合2連敗の後、マルセイユは1万人が集まった本拠地リュヴォーヌで第24節順延試合エクセルシオールACルーベ戦に臨んだが、これに2-4で敗れ最後のチャンスを逃した[4]

その他の話題としては、ソショーとラシンが昨季に続いて期待外れの下位低迷、そして13位で降格したOGCニースがプロライセンスを失ったことなどである[5]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ PALMARÈS LIGUE 1: TOUS LES CHAMPIONS” (フランス語). フランスサッカー連盟 (2021年2月2日). 2023年4月14日閲覧。
  2. ^ Saison 1933/34” (フランス語). paris-et-gagne.com. 2023年4月24日閲覧。
  3. ^ 100 ans de football en France, Atlas, pp. 131-132 
  4. ^ Le Football-Club de Sète est Champion de France professionnell” (フランス語). Le Petit Parisien (1934年5月21日). 2023年4月27日閲覧。
  5. ^ Le Football professionnel français, (1961), pp. 143 

関連項目 編集

外部リンク 編集