デインティ (駆逐艦・初代)

イギリス海軍の駆逐艦

デインティ (HMS Dainty) はイギリス海軍駆逐艦D級

艦歴 編集

フェアフィールド社で1931年4月20日に起工。1932年5月3日に進水し、1932年12月22日に竣工した。[1]

地中海の第1駆逐艦戦隊に編入され、1933年10月から11月にはペルシャ湾紅海へ派遣されている。1934年9月3日から10月23日までポーツマスで中国派遣のための改修が行われ、1935年1月3日に現地に到着。第8駆逐艦戦隊、次いで第21駆逐艦戦隊に所属した。アビシニア危機の際は、1935年9月30日から1936年6月まで紅海へ派遣されている。9月21日から10月15日まで香港で修理。1938年1月から3月にはサラワクやシンガポール、フィリピンを訪問した。1939年9月、第二次世界大戦が勃発。「デインティ」は駆逐艦「ダンカン」とともに地中海へ向かい、9月30日にアレクサンドリアに到着した。[2]

「デインティ」は禁制品取り締まりに従事したあと、12月8日から30日までマルタで修理を行った。完了後、南太平洋で活動するドイツの通商破壊艦捜索にあたるため、シエラレオネフリータウンを拠点とする第2駆逐艦戦隊に転属となった。1940年4月には地中海に戻り、4月21日から6月2日までマルタで修理を行った後、第10駆逐艦戦隊に編入された。[3]

6月12日、デインティはクレタ島沖で撃沈された巡洋艦「カリプソ」の生存者400名以上を救助した[4]。6月20日から21の夜にバルディア砲撃をおこなったフランス戦艦「ロレーヌ」とイギリス巡洋艦3隻を「デインティ」は他の駆逐艦3隻とともに護衛[5]

6月27日に駆逐艦「アイレクス」、「ディフェンダー」、「デコイ」、「ヴォイジャー」とともにアレクサンドリアから出撃[6]。同日、クレタ島南東沖で浮上中の潜水艦が発見され、潜航したその潜水艦に対して「デインティ」、「アイレクス」、「デコイ」、「ディフェンダー」が爆雷攻撃を実施[6]。損傷し浮上した潜水艦は降伏した[6]。その潜水艦はイタリアの「コンソーレ・ジェネラーレ・リウッツィ」で、乗員の収容後「デインティ」により沈められた[6]。6月29日、浮上中のイタリア潜水艦「ウエビ・セベリ」が発見され、潜航した「ウエビ・セベリ」は「ディフェンダー」、「アイレクス」、「ヴォイジャー」の爆雷攻撃により浮上[6]。生存者の救助後、「デインティ」により沈められた[6]。イギリス側は最新のコードブックなど暗号関係の重要な資料の入手に成功している。また、同日イタリア潜水艦「アルゴナウタ」を沈め、「サルパ」も攻撃したが「サルパ」には逃げられた。[7]6月30日、アレクサンドリアに帰投[6]

7月9日、カラブリア沖海戦に参加[8]。7月後半は巡洋艦「ケープタウン」、「リヴァプール」、駆逐艦「ディフェンダー」、「ダイアモンド」、「スチュアート」とともにエジプトからエーゲ海各地の港へ向かうAN2船団を護衛した[9]。8月29日に地中海艦隊はアレクサンドリアから出撃(ハッツ作戦[10]。「デインティ」は駆逐艦「ジャーヴィス」、「ジュノー」、「ダイアモンド」とともにマルタへ向かうMF2船団(「プラムリーフ」、「ヴォロ」、「コーンウォール」)を護衛した[10]。途中で爆撃により「コーンウォール」が損傷し、「デインティ」と「ダイアモンド」は無傷の2隻を護衛して先行した[11]

11月には他の巡洋艦2隻、駆逐艦3隻とともにエジプトからクレタ島スダ湾へ、次いでマルタへの船団を護衛[12]。12月31日にはバルディア沖でスクーナー2隻を拿捕した[4]。1941年1月、MC4作戦に参加[13]。また、1月31日にはクレタ島沖でイタリア水雷艇「ルポ」の攻撃により航行不能となったタンカー「Desmoulea」をスダ湾まで曳航した[14]

その後、デインティは北アフリカ沿岸の哨戒に戻った。2月24日午後、「デインティ」は駆逐艦「ヘイスティ」とともに哨戒を行うため出撃[4]。2隻はドイツ軍のJu88爆撃機13機の攻撃を受け、「デインティ」に1,000 lb (450 kg)爆弾1発が命中。爆弾は艦長室を貫通し燃料タンクで爆発した。[15]。これにより大火災が発生し、後部弾薬庫が誘爆して「デインティ」は沈没した。16名が戦死し、18名が負傷した。[4]

脚注 編集

  1. ^ English, p. 51
  2. ^ English, pp. 53–54
  3. ^ English, pp. 52, 54
  4. ^ a b c d English, p. 54
  5. ^ Rohwer, p. 29
  6. ^ a b c d e f g Royal Australian Navy, 1939–1942, p.167
  7. ^ Rohwer, p. 30
  8. ^ Struggle for the Middle Sea, p.37
  9. ^ Chronology of the War at Sea 1939–1945, p.34
  10. ^ a b Malta Convoy 1940-1943, p.65
  11. ^ The Kelly's , pp.92-93
  12. ^ Rohwer, p. 47
  13. ^ Rowher, p. 54
  14. ^ O'Hara, p. 80
  15. ^ Taghon, p. 190

参考文献 編集

  • English, John (1993). Amazon to Ivanhoe: British Standard Destroyers of the 1930s. Kendal, England: World Ship Society. ISBN 0-905617-64-9 
  • O'Hara, Vincent P. (2009). Struggle for the Middle Sea: The Great Navies at War in the Mediterranean Theater, 1940–1945. Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 978-1-59114-648-3 
  • Rohwer, Jürgen (2005). Chronology of the War at Sea 1939–1945: The Naval History of World War Two (Third Revised ed.). Annapolis, Maryland: Naval Institute Press. ISBN 1-59114-119-2 
  • Taghon, Peter (2004) (German). Die Geschichte des Lehrgeschwaders 1. Band 1: 1936–1942. Zweibrücken, Germany: VDM Heinz Nickel. ISBN 3-925480-85-4 
  • Richard Woodman, Malta Convoy 1940-1943, John Murray, 2003, ISBN 0-7195-6408-5
  • Christopher Langtree, The Kelly's: British J, K and N Class Destroyers of World War II, Nval Institute Press, 2002, ISBN 1-55750-422-9
  • G. HerMon Gill, Australia in the War of 1939–1945. Series 2 – Navy Volume I – Royal Australian Navy, 1939–1942, 1957

外部リンク 編集