デビッド・プラット

イングランドのサッカー選手

デイヴィッド・アンドリュー・プラット(David Andrew Platt, 1966年6月10日 - )は、イングランドグレーター・マンチェスター州チャダートン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。イングランド代表では1993年から1996年にかけてキャプテンを務め、得点力の高いオフェンシブハーフとして活躍した[2]。キャリア初期はFW[2]

デイヴィッド・プラット
マンチェスター・Cコーチ時代(2010年)
名前
本名 デイヴィッド・アンドリュー・プラット
David Andrew Platt
ラテン文字 David Platt
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
生年月日 (1966-06-10) 1966年6月10日(57歳)
出身地 チャダートン英語版
身長 178cm
体重 78kg
選手情報
ポジション MF (OMF)
利き足 右足
ユース
0000-1982 イングランドの旗 チャダートン英語版
1982-1985 イングランドの旗 マンチェスター・U
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1985 イングランドの旗 クルー 134 (56)
1988-1991 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 121 (50)
1991-1992 イタリアの旗 バーリ 29 (11)
1992-1993 イタリアの旗 ユヴェントス 16 (3)
1993-1995 イタリアの旗 サンプドリア 55 (17)
1995-1998 イングランドの旗 アーセナル 88 (13)
1999-2001 イングランドの旗 ノッティンガム 5 (1)
1982-2001 通算 448 (151)
代表歴2
1988 イングランドの旗 イングランド U-21 3 (0)
1989-1996 イングランドの旗 イングランド B 3 (0)
1989-1996[1] イングランドの旗 イングランド 62 (27)
監督歴
1998-1999 イタリアの旗 サンプドリア
1999-2001 イングランドの旗 ノッティンガム(選手兼任)
2001-2004 イングランドの旗 イングランド U-21
2010-2012 イングランドの旗 マンチェスター・C(ファーストチームコーチ)
2012-2013 イングランドの旗 マンチェスター・C(共同アシスタントコーチ)
2015 インドの旗 プネー・C
1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月16日現在。
2. 2017年4月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クラブ経歴 編集

マンチェスター・Uのユースチームで育つが、当時トップチームの監督であったロン・アトキンソンがトップでプレーするレベルにないと判断したたため、4部のクルーに放出される[2]。FWとしてクルーで得点を量産し、1988年に当時2部のアストン・ヴィラFCへとステップアップ移籍を果たした[2]。チームは1シーズンで1部に昇格、1989-90シーズンには、19得点を挙げ、PFA年間最優秀選手賞PFA年間ベストイレブンに選出され、代表チームからも召集を受けるようになった[2]

1991-92シーズン、セリエAASバーリに移籍、チームはこのシーズン、ズボニミール・ボバンロベルト・ヤルニも獲得したが、最終的に15位と振るわなかった[2]。個人としては、29試合11ゴールを挙げる活躍により、1992-93シーズンからはユヴェントスFCに移籍するも、外国人枠の問題で出場は限られた。またチームはUEFAカップ優勝を果たすが、決勝では2戦とも起用されなかった[2]

1993-94シーズンからはUCサンプドリアに移籍、ロベルト・マンチーニルート・フリットのツートップの後方でプレーすると、真価を発揮しチームを牽引[2]。2シーズンでリーグ戦55試合17ゴールを挙げる活躍をした。1993-94シーズンのリーグ戦では、開幕のナポリ戦でいきなり移籍後初得点を決めた[2]。優勝は逃したが、ACミランと終盤まで優勝争いを繰り広げ、リーグ3位に入った[2]コッパ・イタリアでは準決勝パルマとの第1戦でバイシクルシュートで得点を決めるなどの活躍で決勝進出に貢献、決勝でアンコーナを破って優勝した[2]。このシーズンの公式戦では39試合で11得点、翌1994-95シーズンの公式戦通算では33試合で10得点を決めた[2]

その後、アーセナルFCに移籍、エマニュエル・プティの加入後、先発出場は限られたが、1997-98シーズンにはプレミアリーグ優勝とFAカップの2冠獲得に貢献した。翌シーズンはノッティンガム・フォレストFCに移籍、選手兼監督としてプレーしたが[3]、怪我のため、殆どプレー出来ないまま引退した。

代表経歴 編集

1989年11月15日のイタリアとの親善試合で代表デビューを果たした[2]1990 FIFAワールドカップ決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、延長後半終了直前にFKからのロングボールを振り向きざまにボレーシュートで決め[3]、準々決勝のカメルーン戦でも1得点、3位決定戦のイタリア戦でも1得点と、大会合計3得点を決めた[2]

1992年のユーロでもレギュラーとして3試合でプレー、グループリーグ最終節のスウェーデンとの対戦で1得点を決めたが、チームはグループリーグを勝ち上がれなかった。1994年のワールドカップ予選では、1993年2月17に対戦してサンマリノ戦で4ゴールを決めるなど、予選通算7得点を決めたが、本大会への出場を逃した。1996年のユーロでは4試合に出場した[4]

指導者 編集

2010-11シーズンより、ロベルト・マンチーニ率いるマンチェスター・シティFCのコーチングスタッフとして入閣[5]2012-13シーズンからはアシスタントコーチを務めたが、マンチーニ解任後の2013年5月14日に自身もエティハド・スタジアムを去った[6]。2015年5月27日、ISLに所属するFCプネー・シティの監督に就任することが発表された[7]

個人成績 編集

クラブでの成績 編集

クラブ リーグ カップ リーグカップ 協会 合計
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
イングランド リーグ FAカップ リーグカップ UEFA 合計
1984–85 クルー フォース・ディヴィジョン 22 5
1985–86 43 9
1986–87 43 22
1987–88 26 19
1987–88 アストン・ヴィラ セカンド・ディヴィジョン 11 5 0 0 0 0 - - 11 5
1988–89 ファースト・ディヴィジョン 38 7 2 1 5 6 - - 45 14
1989–90 37 19 5 1 4 1 - - 46 21
1990–91 35 19 2 0 5 3 4 2 46 24
イタリア リーグ コッパ・イタリア リーグカップ UEFA 合計
1991–92 バーリ セリエA 29 11
1992–93 ユヴェントス 16 3
1993–94 サンプドリア 29 9
1994–95 26 8
イングランド リーグ FAカップ リーグカップ UEFA 合計
1995–96 アーセナル プレミアリーグ 29 6 1 0 2 0 32 6
1996–97 28 4 1 0 3 1 2 0 34 5
1997–98 31 3 4 0 4 1 2 0 41 4
1999–00 ノッティンガム ファースト・ディヴィジョン 3 0 0 0 0 0 3 0
2000–01 2 1 0 0 2 0 4 1
合計 イングランド 348 119
イタリア 100 31
通算 448 150

代表での成績 編集

出典[1]


イングランド代表国際Aマッチ
出場得点
1989 2 0
1990 12 4
1991 11 3
1992 10 5
1993 10 8
1994 5 4
1995 5 2
1996 7 1
通算 62 27

タイトル 編集

クルー
ユヴェントス
サンプドリア
アーセナル

脚注 編集

  1. ^ a b “David Andrew Platt - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/platt-intlg.html 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n David Platt: le notti magiche di Italia '90 con l'Inghilterra e la Serie A con Bari, Juventus e Sampdoria”. GOAL (2022年5月7日). 2023年8月8日閲覧。
  3. ^ a b Happy birthday to you!”. FIFA.com (2011年6月5日). 2017年12月17日閲覧。
  4. ^ DAVID PLATT NATIONALTEAM”. TRANSFERMARKT. 2023年8月8日閲覧。
  5. ^ Manchester City appoint David Platt as first-team coach”. BBC Sport (2010年7月1日). 2017年4月16日閲覧。
  6. ^ David Platt leaves Manchester City assistant manager role”. BBC Sport (2013年5月14日). 2017年4月16日閲覧。
  7. ^ Platt in the City”. Pune Mirror (2015年5月27日). 2017年4月16日閲覧。

外部リンク 編集