トゥオネ・ウダイナ (ダルマチア語Tuone Udaina Burbur、イタリア語:Antonio Udina1821年 - 1898年6月10日) は、ダルマチア語の最後の話者として知られる人物である[1][2]

若い頃のウダイナの肖像

概要 編集

トゥオネ・ウダイナは、言語学者マッテオ・バルトリによる1897年の調査の際に、彼の両親が用いていたイタリアのヴェリア島(Veglia、クロアチア語ではクルク島と呼ばれる。現クロアチア領)の方言の情報源として調査に協力したことで知られている。ただし、ヴェリア島のダルマチア語はウダイナの第一言語ではなく、両親との個人的な会話のみで習得したものであった。さらに、調査に協力する前の20年間はダルマチア語を話しておらず、またが聞こえない状態であり、さらにも無かったという。なお、ウダイナは理髪師として働いていたので、ブルブル(Burbur、ダルマチア語でbarber) と呼ばれていた。

1898年6月10日に無政府主義者爆弾により殺害された。77歳であった。ウダイナが死んだことにより、ダルマチア語は絶滅言語となった。

脚注 編集