ドゥルー・ハインツ(Drue Heinz, DBE1915年3月8日 - 2018年3月30日)は、イギリス出身のアメリカ合衆国の慈善家であり、文学者のパトロンである[1][2] 。1993年から2007年まで文芸誌『パリ・レビュー英語版』の発行人を務め、エコー・プレス英語版社を共同で設立し、文学者のための静養所を設け、ドリュー・ハインツ文学賞英語版のための寄付を行った[3]。食品メーカー・ハインツの3代目社長ジャック・ハインツの妻である。

ドゥルー・ハインツ
Drue Heinz, DBE
生誕 Doreen Mary English
(1915-03-08) 1915年3月8日
イングランドの旗 イングランド ノーフォーク
死没 (103歳没)
スコットランドの旗 スコットランド ミッドロージアンラスウェイド英語版
配偶者 ジョン・マッケンジー・ロバートソン
デイル・ウィルフォード・マー
(m. 1946; d. 1948)

テンプレートを表示

生涯 編集

イングランドノーフォーク1915年3月8日に生まれた。出生時の名前はドゥリーン・メアリー・イングリッシュ(Doreen Mary English)で、ドゥルー(Drue)はその愛称である。父パトリック・ハリー・イングリッシュ(Patrick Harry English)は陸軍士官だった[3]

ドゥルー・ハインツは生涯に3度結婚している。最初の夫はジョン・マッケンジー・ロバートソン(John Mackenzie Robertson)で、ロバートソンとの間には娘のウェンディ・マッケンジー(Wendy Mackenzie)がいる。2番目の夫はデイル・ウィルフォード・マー(Dale Wilford Maher)で、初代在ヨハネスブルグアメリカ公使である[4]。1946年に結婚し、娘のマリーゴールド・ランドール(Marigold Randall)をもうけたが、マーは1948年に南アフリカで死去した。

1950年、『プリーズ・ビリーヴ・ミー 英語版』(Please Believe Meデボラ・カー主演)、『三人の帰宅英語版』(Three Came Home)、『総攻撃英語版』(Breakthrough)の3本の映画に「ドゥルー・マロリー」(Drue Mallory)の名前で出演した[3][注釈 1]

1953年、3番目の夫となるヘンリー・ジョン・ハインツ2世(ジャック・ハインツ)と結婚した。ジャック・ハインツは食品メーカー・ハインツの3代目社長であり、ハインツ家の莫大な財産を相続していた[3]。ジャック・ハインツは2度目の結婚であり、前妻との間の子供に、後に上院議員となるジョン・ハインツがいる[3]

ハインツ夫妻はピッツバーグセウィクリー・ハイツ英語版に「グッドウッド」(Goodwood)と呼ばれる家を持ち[3]ニューヨークアッパー・イースト・サイドにもアパートを保有し、フロリダ州ホープ・サウンド英語版には避寒のための別荘を持っていた[3]。イギリスでは、バークシャー州ウィンクフィールド英語版にある18世紀に建てられた邸宅「アスコットプレイス英語版」を保有していた[3]。ドゥルー・ハインツは多くの家を購入し、修復して作家のための静養所としていた[3]。ドゥルー・ハインツはスコットランドエディンバラ郊外にある中世の城、ホーソーンデン城英語版を購入して、作家のための住居や仕事場として開放した。イタリアのコモ湖畔のグリアンテにある家、ヴィラ・マレジ(Villa Maresi)を購入し[2]、ドゥルー・ハインツはこれを「カーサ・エコー」(Casa Ecco)と名付けて作家のために開放した。エコー・プレスの創設者のダニエル・ハルパーンによれば、ドゥルー・ハインツはトム・ウルフノーマン・メイラーアンディ・ウォーホルハロルド・ピンターアントニア・フレーザーと非常に仲が良かった[3]

ジョン・ハインツの妻のテレイザ・ハインツは、義母ドゥルー・ハインツについて「ドゥルーは人前に出たがらない人でしたが、彼女は生涯で素晴らしい人達と知り合いました。彼女は賢く、情熱的で、芸術や文学、特に詩に強い関心を持っていました」と述べている[2]。出版社ファラー・ストラウス&ジルー英語版の社長のジョナサン・ガラッシ英語版は、ドゥルー・ハインツについて次のように述べている。

ドゥルー・ハインツは、現代の文学界における偉大な慈善家です。ドゥルー・ハインツが創設または支援した組織として、アメリカではドゥルー・ハインツ文学賞、『アンタイオス』、エコー・プレス社、『パリ・レビュー』があり、イギリスではホーソーンデン賞やホーソーンデン城などがあります。これらは、彼女の長期に渡る真剣な献身を示すものです。しかし、彼女の気前の良さがここまで影響力を持つようになったのは、彼女の個人的な関与、J・ラフリン、ジョージ・プリンプトン、数多くの作家や編集者との長い友情によるものです[2]

ドゥルー・ハインツは2018年3月30日スコットランドミッドロージアンラスウェイド英語版にある[6][7]ホーソーンデン城において103歳で死去した[8]

慈善活動と文学界のキャリア 編集

1971年、友人ジェームズ・ラフリン英語版から勧められて、出版社エコー・プレス英語版を共同で設立した[2]。同社は、1970年に創刊した文芸誌『アンタイオス英語版』の刊行を1994年の廃刊まで行っていたほか、多くの絶版書を復刊し、アメリカにおける代表的な詩に関する出版社となった[2]

ハインツは、1980年にピッツバーグ大学が創設した短編小説のための賞の支援を行った。1995年には100万ドルを寄贈し、この賞はドゥルー・ハインツ文学賞英語版と呼ばれるようになった。ピッツバーグ大学出版局は、この賞の受賞作を短編集として出版している[3]。編集者のエド・オチェスターによれば、短編集の出版や賞のプロモーションは、ハインツが寄贈した基金の利子から賄われ、毎年拠出する額は利子の額よりも少ないため、基金の額は増加し続けているという[3]。また、ハインツはイギリスの文学賞であるホーソーンデン賞のための寄付も行っている[2]

ハインツは文芸誌『パリ・レビュー英語版』を創刊したジョージ・プリンプトン英語版の親友であり、1953年の同誌の創刊を支援し、長年に渡り資金を援助した[3]。1993年から2007年まではその発行人を務めた[3]。1999年に同誌のアーカイブがモルガン・ライブラリーに売却されたが、その購入金額の85万ドルはハインツが負担した[3]

1970年、ピッツバーグにある閉鎖された映画館を購入し、修復してハインツ・ホール英語版として開場させた。この劇場は、後にピッツバーグの文教地区英語版の中核施設となった[3]。1990年、ハインツがカーネギー研究所に寄贈した1千万ドルにより、カーネギー美術館英語版に併設してハインツ建築センターが設立された[3]。ハインツは、ロンドンのテート・ギャラリー王立英国建築家協会にも支援を行っている[3]。『リンカーン・センター・シアター・レビュー』の発行は、ハインツが運営する財団からの支援により行われている[9]

ハインツは、ロイヤルオーク財団英語版の名誉会長を務め、ドゥルー・ハインツ・レクチャーに資金を提供した。2002年、オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジロサーミア・アメリカ研究所英語版が共同で設立した講座に、ハインツの寄付によりドゥルー・ハインツ・アメリカ文学教授職が設置された[3]。ハインツは、ピッツバーグの芸術団体、ピッツバーグ・アート&レクチャーや国立デザイン博物館が主催するイベントの後援をした[3]。また、メトロポリタン美術館、カーネギー美術館、マクダウェルコロニー英語版、モルガン・ライブラリー、ローマ・アメリカン・アカデミー英語版の理事や、ニューヨーク近代美術館の国際評議会の委員を務めた[2]。1973年にハワード・ハインツ財団(現 ハインツ財団英語版)の理事、1994年に名誉理事に就任した[2]

ドゥルー・ハインツが保有する財産の総額は、財産を管理するドゥルー・ハインツ信託財団の2015年の納税申告によると3600万ドルである[3]

賞と栄誉 編集

ハインツは1995年7月に大英帝国勲章デイム・コマンダーを受章した[3]。2002年、イギリスの王立文学協会英語版の名誉フェローに選出された[10][3]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1948年のマイケル・レニー主演の映画『私立探偵スリム英語版』(Uneasy Terms)に「ドゥリーン・イングリッシュ」(Doreen English)という人物が端役で出演しているが、これは別人である[5]

出典 編集

  1. ^ US philanthropist Drue Heinz dies in Scotland aged 103”. STV News. 2018年3月31日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i Drue Heinz (1915–2018)”. Heinz Endowments (2018年3月30日). 2018年4月1日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Marylynne Pitz (2018年3月31日). “Drue Heinz — philanthropist, literary force, widow of H.J. 'Jack' Heinz II — dies at 103”. Pittsburgh Post-Gazette. 2018年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月1日閲覧。
  4. ^ Who Was Who in America with World Notables, Vol. 2, The A.N. Marquis Co., Chicago, 1949, page 341.
  5. ^ Doreen English profile, IMDB.com; accessed November 11, 2013.
  6. ^ Tascarella, Patty (2018年3月30日). “Drue Heinz, prominent philanthropist, dies at age 103”. Pittsburgh Business Times. 2018年3月30日閲覧。
  7. ^ Sandomir, Richard (2018年4月4日). “Drue Heinz, a Philanthropist of Literature, Dies at 103”. The New York Times. 2018年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月5日閲覧。
  8. ^ Darryl Pinckney (2018年5月10日). “Drue Heinz (1915-2018)”. New York Review of Books. 2018年4月28日閲覧。
  9. ^ Founding Council | The Rothermere American Institute”. Rothermere American Institute. 2012年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月22日閲覧。
  10. ^ Current RSL Fellows”. Royal Society of Literature. 2017年4月5日閲覧。

外部リンク 編集