ナイジェル・デ・ヨング

オランダのサッカー選手

ナイジェル・デ・ヨングNigel de Jong, オランダ語発音: [ˈnɑjdʒəl də ˈjɔŋ], 1984年11月30日 - )は、オランダアムステルダム出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

ナイジェル・デ・ヨング
オランダ代表でのデ・ヨング(2011年)
名前
愛称 テリア、芝刈り機
ラテン文字 Nigel De Jong
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
スリナムの旗 スリナム
生年月日 (1984-11-30) 1984年11月30日(39歳)
出身地 アムステルダム
身長 174cm
体重 72kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
背番号 8
利き足 右足
ユース
1993-2002 オランダの旗 アヤックス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2006 オランダの旗 アヤックス 96 (9)
2006-2009 ドイツの旗 ハンブルガーSV 66 (3)
2009-2012 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 104 (1)
2012-2016 イタリアの旗 ミラン 78 (6)
2016 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー 18 (0)
2016-2018 トルコの旗 ガラタサライ 18 (1)
2018 ドイツの旗 マインツ05 11 (0)
2018-2019 カタールの旗 アル・アハリSC 21 (4)
2019-2021 カタールの旗 アル・シャハニアSC英語版 36 (0)
代表歴
2002-2005 オランダの旗 オランダ U-21 10 (0)
2004-2015 オランダの旗 オランダ 81 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月26日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ニヘル・デ・ヨングとカナ表記されることがあるが、オランダ語でも発音はナイジェル[1]

経歴 編集

クラブ 編集

アヤックス 編集

9歳でアヤックス・アカデミーに入り、2002年10月19日にアヤックスのトップチームデビューを果たした[2]。2003年2月18日、UEFAチャンピオンズリーグアーセナルFC戦で初得点を決め、1-1の引き分けに持ち込んだ[3]。2003-04シーズンにはトップチームのレギュラーとなり、そのシーズンにエールディヴィジのタイトルを獲得した[4]。翌2004-05シーズンはクラブのシーズン最優秀選手に選ばれた[4]。しかし、2006-07シーズンは一転して出場機会を失い、2005年12月7日には翌年7月末に満了する[5]クラブとの契約延長を拒否した[6]

ハンブルガーSV 編集

2006年1月26日、ドイツハンブルガーSVに移籍金約100万ユーロで移籍し、4年契約を結んだ[7]。同クラブにはラファエル・ファン・デル・ファールトハリド・ブラールズが在籍しており、彼らに次ぐ3人目のオランダ人選手となった。1月28日の1.FCニュルンベルク戦でデビューし[8]、3月4日のバイエルン・ミュンヘン戦では決勝点を決め、バイエルンにそのシーズンのホーム戦初黒星をつけた[9]。バイエルン戦の翌週のUEFAカップFCラピド・ブカレスト戦セカンドレグではサッカー人生初となるレッドカードを受けた[10]。膝の問題から手術を必要とし、一足早く4月にシーズンを終えた[11]。復帰を目指してリハビリに取り組んだものの、その怪我のために2006 FIFAワールドカップに出場できなかった[12]

マンチェスター・シティ 編集

2009年1月21日、プレミアリーグマンチェスター・シティFCと4年半の契約を結び[13]、ハンブルガーには移籍金1800万ユーロが支払われた。1月28日のニューカッスル・ユナイテッドFC戦でデビューし[14]、2008-09シーズンは16試合に出場した。2009年9月12日のアーセナル戦には先発出場し[15]、12月5日のチェルシーFC戦ではSky Sportsによってマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[16]ロベルト・マンチーニ監督によって守備的MFのファーストチョイスとして起用され、このシーズンの活躍によって彼はファンのお気に入りの選手になった。2009-10シーズンも引き続き主軸としてプレーし、2010-11シーズンになるとヤヤ・トゥーレが加入したが彼はトップ下での起用が多くレギュラーを守った。しかし、2011-12シーズンにトゥーレはボランチに戻され、ギャレス・バリーとのコンビが一気に熟成されたため出場機会が減少。さらに2012-13シーズンにはハビ・ガルシアジャック・ロドウェルという新戦力も加わり一気に立場が危うくなってしまった。

ACミラン 編集

2012年8月31日、ACミランへ3年契約で移籍し[17]主力として期待されていた。しかし12月9日トリノFCとの試合中に相手選手と交錯してアキレス腱を断裂、残りのシーズンをすべて休む羽目となった。

2015年6月26日、ACミランとの契約延長を発表した[18]。新契約は2018年6月30日まで。

2015-16にシニシャ・ミハイロビッチ監督が就任すると、構想外となり出場機会を失い[19]、2016年2月1日、選手とクラブ双方の合意の下、契約が解消された[20]

ロサンゼルス・ギャラクシー 編集

2016年2月3日、ロサンゼルス・ギャラクシーへ1年契約で移籍した[21]

ガラタサライ 編集

2016年8月31日、ガラタサライSKと2年契約を締結[22]

マインツ 編集

2018年1月5日、マインツ05へシーズン終了までの半年契約で完全移籍[23]

アル・アハリ 編集

2018年7月、カタール・スターズリーグアル・アハリSCに移籍した[24]

アル・シャハニア 編集

2019年7月、アル・シャハニアSC英語版に移籍[25]した。

代表 編集

2004年3月31日、フランスとの親善試合でオランダ代表デビューした。UEFA EURO 2004の選考では落とされ[4]、膝の怪我のために2006 FIFAワールドカップを逃した。マルコ・ファン・バステン監督によってUEFA EURO 2008出場メンバーに選ばれた。大会期間中はスクリーニング・ミッドフィールダー(Screening Midfielder, 守備的ミッドフィールダー)としてオルランド・エンヘラールとコンビを組んだ[26]。グループリーグからの4試合中3試合に出場し[27]、準々決勝で対戦したロシア戦ではロスタイムに失点して敗れた[28]。2009年6月6日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選アイスランド戦で代表初得点を決め、本大会出場を確定させた[29]

ベルト・ファン・マルワイク監督が率いるオランダ代表の一員として2010 FIFAワールドカップ本大会に出場した[30]。初戦のデンマーク戦には先発出場して2-0で勝利した[31]。準々決勝のブラジル戦で大会通算2枚目のイエローカードを受けたために準決勝のウルグアイ戦には出場できなかった[32]。決勝のスペイン戦には先発出場し、延長戦でのアンドレス・イニエスタに得点を許して0-1で敗れた。

人物 編集

父親のジェリー・デ・ヨング英語版はオランダ代表経験のある元サッカー選手であり、ナイジェルがアヤックスの下部組織に入団する頃にナイジェルの母親と離婚し、ナイジェルの養育権を手放した[33]

既婚者であり、娘と息子がひとりずついる。欧州と中東での自動車の販売資格を所持している[33]

プレースタイル 編集

サッカーを始めた頃は想像性豊かなミッドフィールダーあるいはフォワードであった[33]。AFCアヤックスではセンターハーフや右ウイングなど多くのポジションを経験した[2]ハンブルガーSV時代にフーブ・ステフェンス監督が彼を守備的ミッドフィールダーにコンバートし、その新しいポジションで芝刈り機(der Rasenmäher)のニックネームを授かった[33]

2010年3月3日のアメリカとの親善試合において、スチュアート・ホールデンに仕掛けたタックルがホールデンより遅れて彼の足に入り、ホールデンは右腓骨を骨折して全治6週間の診断を受けた[34]2010 FIFAワールドカップ決勝のスペイン戦ではシャビ・アロンソの胸に跳び蹴りを加えた。主審を務めたハワード・ウェブはこのプレーを見ておらず、アロンソが苦しむ様子からデ・ヨングにイエローカードを提示したが、試合後にレッドカードに相当するファールだったと認めている[35]。2010年10月3日、プレミアリーグのニューカッスル戦でハテム・ベン・アルファに仕掛けたタックルが遅れ、ベン・アルファは左足の脛骨と腓骨を骨折する全治9ヶ月の怪我を負った[36]

デ・ヨングのラフプレーがたびたび問題になったことから、オランダ代表のベルト・ファン・マルワイク監督はラフプレーによってオランダ代表のイメージが悪化することを恐れ、当初は2010年10月1日の代表招集後に合宿で直接デ・ヨンクと話す予定だったが、最終的には招集前に同選手と話をした上で代表メンバーから外すことを決断した[37]

個人成績 編集

2018年3月2日現在
クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 欧州カップ 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
AFCアヤックス 2002-03 17 0 0 0 0 0 10 1 27 1
2003-04 32 2 0 0 0 0 5 0 37 2
2004-05 31 5 0 0 0 0 8 1 39 6
2005-06 16 2 0 0 0 0 7 3 23 5
通算 96 9 0 0 0 0 30 5 126 14
ハンブルガーSV 2005-06 12 1 0 0 0 0 3 0 15 1
2006-07 18 1 0 0 0 0 5 1 23 2
2007-08 29 1 0 0 0 0 6 1 35 2
2008-09 7 0 2 0 0 0 2 0 11 0
通算 66 3 2 0 0 0 16 2 84 5
マンチェスター・C 2008-09 16 0 0 0 0 0 0 0 16 0
2009-10 34 0 3 0 5 0 0 0 42 0
2010-11 32 1 4 0 0 0 5 0 41 1
2011-12 21 0 1 0 4 1 9 0 36[38] 1
2012-13 1 1 0 0 0 0 0 0 2[38] 0
通算 104 1 8 0 9 1 15 0 137 2
ACミラン 2012-13 12 1 0 0 0 0 4 0 16 1
2013-14 33 2 1 0 0 0 10 0 44 2
2014-15 29 3 1 1 0 0 0 0 30 4
2015-16 5 0 1 0 0 0 0 0 6 0
通算 79 6 3 1 0 0 14 0 95 7
ロサンゼルス・ギャラクシー 2016 18 0 1 0 2 0 - 21 0
通算 18 0 1 0 2 0 - 21 0
ガラタサライ 2016-17 18 1 6 0 0 0 - 24 1
2017-18 0 0 0 0 0 0 - 0 0
通算 18 1 6 0 0 0 - 24 1
マインツ05 2017-18 11 0 1 0 0 0 0 0 12 0
通算 11 0 1 0 0 0 0 0 12 0
総通算 384 20 21 1 10 0 73 7 496 29

代表歴 編集

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 対戦国 スコア 勝敗 試合概要
1. 2009年6月6日   レイキャヴィーク   アイスランド
1-0
2-1
2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選

タイトル 編集

クラブ 編集

アヤックス・アムステルダム

個人 編集

  • アムステルダム・タレント・オブ・ザ・イヤー: 2002

脚注 編集

  1. ^ Nigel de Jong - 発音ガイド Forvo。
  2. ^ a b 8 Nigel de Jong”. FIFA.com. 2010年10月20日閲覧。
  3. ^ Ajax frustrates Arsenal at Highbury; Valencia wins”. Sports Illustrated.com (2003年2月18日). 2010年10月20日閲覧。
  4. ^ a b c Nigel de Jong”. ESPN. 2010年10月20日閲覧。
  5. ^ Nigel de Jong joins Hamburger SV”. Ajax (2006年1月26日). 2012年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月20日閲覧。
  6. ^ 'Departure Nigel de Jong sad for Ajax'”. Ajax (2005年12月7日). 2012年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月20日閲覧。
  7. ^ “Hamburg swoop for Ajax ace de Jong”. CNN. (2006年1月26日). https://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/01/26/germany.dejong/ 2010年10月20日閲覧。 
  8. ^ “Nuremberg jolt Hamburg's title bid”. CNN. (2006年1月28日). https://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/01/28/germany.league/ 2010年10月20日閲覧。 
  9. ^ “Hamburg get double over Bayern”. Irish Examiner. (2006年3月4日). http://www.irishexaminer.com/breakingnews/ireland/cweyqlqlkfcw/ 2010年10月20日閲覧。 
  10. ^ “Germans continue to lose ground in Europe”. The Times. (2006年3月10日). http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/european_football/article739597.ece 2010年10月20日閲覧。 
  11. ^ “Dutch squad trio face injury race”. CNN. (2006年4月24日). https://edition.cnn.com/2006/SPORT/football/04/24/dutch.squad/ 2010年10月20日閲覧。 
  12. ^ (ドイツ語)“De Jong darf mit, Team Ghana nichts sagen”. Der Spiegel. (2006年6月6日). http://www.spiegel.de/sport/fussball/0,1518,419833,00.html 2010年10月20日閲覧。 
  13. ^ City complete de Jong deal”. FIFA.com (2009年1月21日). 2010年10月20日閲覧。
  14. ^ “Man City 2-1 Newcastle”. BBC Sport (British Broadcasting Corporation). (2009年1月28日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/7844527.stm 2010年10月20日閲覧。 
  15. ^ http://www.mcfc.co.uk/News/Match-reports/2009/September/City-v-Arsenal
  16. ^ http://www.skysports.com/football/match_report/0,19764,11065_3150246,00.html
  17. ^ “ミランがデ・ヨング獲得を正式発表”. ゲキサカ. (2012年9月1日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?104248-106218-fl 2018年4月9日閲覧。 
  18. ^ デ・ヨングのミラン残留が決定…2018年までの契約延長で合意soccerking 2015年6月26日
  19. ^ 本田の同僚デヨング、今冬にミランを退団か。新監督のもと出番が激減”フットボールチャンネル、2015年11月12日
  20. ^ ミラン、蘭代表MFとの契約解除を発表。LAギャラクシー移籍へ”フットボールチャンネル、2016年2月1日
  21. ^ ミラン退団のデ・ヨング、アメリカ移籍決定「キャリアで重要な時間」”サッカーキング、2016年2月4日
  22. ^ 元オランダ代表MFデ・ヨング、7カ月で米から欧州復帰 ガラタサライへ - サッカーキング 2016年9月1日
  23. ^ MAINZ 05 VERPFLICHTET NIGEL DE JONGマインツ05 2018年1月5日(2018年1月6日閲覧)
  24. ^ Nigel de Jong: Ex-Netherlands & Man City midfielder joins Qatar's Al Ahli”. BBC Sport (2018年7月9日). 2019年12月27日閲覧。
  25. ^ Nigel de Jong: Ex-Netherlands & Man City midfielder joins Qatar's Al Shahania”. rayasports (2019年7月30日). 2019年12月27日閲覧。
  26. ^ Nigel De Jong Bio”. ESPN Soccernet. 2010年10月20日閲覧。
  27. ^ http://soccernet.espn.go.com/players/stats?id=26254&cc=4716
  28. ^ アーカイブされたコピー”. 2008年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月22日閲覧。
  29. ^ “Nigel De Jong World Cup 2010 Player Profile”. BBC Sport (British Broadcasting Corporation). (undated). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/groups_and_teams/team/netherlands/nigel_de_jong 2010年10月20日閲覧。 
  30. ^ Holland coach Bert van Marwijk finalises World Cup squad”. The Guardian (2010年5月27日). 2010年10月20日閲覧。
  31. ^ Netherlands-Denmark”. FIFA.com (2010年6月14日). 2010年10月20日閲覧。
  32. ^ De Jong rues semi-final absence”. FIFA.com (2010年7月5日). 2010年10月20日閲覧。
  33. ^ a b c d “De Jong admits that City need to find a winning mentality”. guardian.co.uk (Guardian News and Media Limited). (2009年5月9日). http://www.guardian.co.uk/football/2009/may/09/nigel-de-jong-manchester-city-interview 2010年10月20日閲覧。 
  34. ^ “Stuart Holden eyes Bolton return after fractured leg”. BBC Sport. (2010年4月6日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/b/bolton_wanderers/8604539.stm 2010年10月20日閲覧。 
  35. ^ W杯決勝のウェブ主審が告白「デ・ヨンクは退場処分にすべきだった」スポーツナビ、2010年8月26日
  36. ^ “Hatem Ben Arfa has surgery on double leg break”. BBC Sport. (2010年10月4日). http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/n/newcastle_united/9055823.stm 2010年10月20日閲覧。 
  37. ^ ラフプレーで批判が集まるデ・ヨンク、オランダ代表メンバーから外されるスポーツナビ、2010年10月5日
  38. ^ a b FAコミュニティ・シールドを含む

外部リンク 編集