ナムチャバルワNamcha Barwa / Namchabarwa)は、チベットヒマラヤ山脈に属する山である。インダス川からブラマプトラ川に至る、伝統的に定義されたヒマラヤ山脈において、この山は東部における主だった山稜であり、ナムチャバルワ・ヒマル (Namcha Barwa Himal) の山々の中での最高峰であるとともに、標高7600mを越える山としては、(東半球において)最も東に位置している[2]

ナムチャバルワ
西側(ジベ展望台)から望むナムチャバルワ
最高地点
標高7,782 m (25,531 ft) [1]
世界第28位
プロミネンス4,106 m (13,471 ft) [1]
世界第19位
アイソレーション708キロメートル (440 mi)
総称Ultra
座標北緯29度37分45秒 東経95度03分21秒 / 北緯29.62917度 東経95.05583度 / 29.62917; 95.05583座標: 北緯29度37分45秒 東経95度03分21秒 / 北緯29.62917度 東経95.05583度 / 29.62917; 95.05583[1]
地形
ナムチャバルワの位置(チベット自治区内)
ナムチャバルワ
ナムチャバルワ
チベットにおける位置
所在地チベット自治区ニンティ市メトク県
マクマホンライン北方
所属山脈ヒマラヤ山脈
ナムチャバルワ・ヒマル
登山
初登頂1992年、日中合同隊
最容易
ルート
南南西稜、岩壁、雪、氷
プロジェクト 山
ナムチャバルワ
チベット語
チベット文字: གནམས་ལྕགས་འབར་བ།
ワイリー方式: gnam lcags 'bar ba
蔵文拼音: Namjagbarwa
中国語
繁体字: 南迦巴瓦峰
簡体字: 南迦巴瓦峰
拼音: Nánjiābāwǎ Fēng

「ナムチャバルワ」はチベット語であるが、その意味には複数の解釈があり、「燃えるような雷電」、「天空に突き刺す長矛」[3]、「天から落ちた石」[4]などと説明されることがある。日本語では「ナムチャ・バルワ[5]、「ナムジャグバルワ[4]などと表記されることもある。

位置 編集

ナムチャバルワは、チベット南東部の孤立した地域に位置しており、域外から訪れる者はほとんどいない。この山は、ヤルツァンポ川Yarlung Tsangpo River雅魯藏布江)がヒマラヤ山脈を横切って大峡谷を形成する大きく曲がった流れの内側に位置しており[6][7]、川はディハン川 (Dihang) に源を発し、最終的にはブラマプトラ川となる。ナムチャバルワに並ぶ峰であるギャラペリ (Gyala Peri加拉白塁、7294m) は、峡谷を挟んで22km北北西に位置している。

特徴 編集

ナムチャバルワは、ヤルツァンポ川から5,000mから6,800mの比高をもって聳えている[8][9]1976年カラコルム山脈バトゥーラ・サールBatura Sar、7,795m)が登頂された後、ナムチャバルワは、世界最高峰の未登頂の山であったが[10]1992年に初登頂が果たされた。

フランク・キングドン=ウォード (Frank Kingdon-Ward) は、1920年代に次のように書き記した。「コンキーチベット人たちの間に伝わる古い予言は、やがてある日、ナムチャバルワがツァンポ峡谷に崩れ落ちて川の流れを塞き止め、川は流れを変えて、ドション・ラ峠 (the Doshong La pass) を超えて流れるようになる、と告げている。この話を本に書き残した人物の肖像は、ポメ県パイ (Payi) の小さなゴンパgompa、修道院の類)に遺されている。」(126-7)[11]

登攀史 編集

ナムチャバルワは、1912年にイギリスの測量隊によって位置を確認されたが、この地域は1980年代に中国の登山家たちが登頂を試みるようになるまで、ほとんど誰も足を踏み入れなかった。このため、ナムチャバルワはギャラペリとともに「ヒマラヤに残された最後の秘峰」と称された[7]。登山家たちは様々なルートを探索したが、頂上へはたどり着けなかった[12]。雪崩の危険が大きく、1984年の中国隊は1日に500回の雪崩が発生したほどであった[13]

1990年、中国と日本の合同隊が頂上へのルートを偵察した[14]1991年には、別編成の日中合同隊が7,460mまで到達したが、雪崩のために隊員のひとりであった大西宏が遭難死し、隊は登頂を断念して撤退した[13][15][16]。翌年、第3次の日中合同隊が、南稜に6カ所のキャンプを積み重ね、途中でナイブン (Nai Peng) 峰(7,043m)を超え、10月30日に頂上にたどり着いた[17][18][19]。この登頂では、11名が頂上に立った[18][19]英国山岳会のヒマラヤン・インデックス (Himalayan Index) には、この初登頂以降の登頂の記録はない[20]

脚注 編集

  1. ^ a b c High Asia II: Himalaya of Nepal, Bhutan, Sikkim and adjoining region of Tibet”. Peaklist.org. 2014年6月1日閲覧。
  2. ^ Neate, Jill (1990). High Asia: An Illustrated History of the 7,000 Metre Peaks. Seattle: Mountaineers Books. pp. 1–4;14–15. ISBN 0-89886-238-8 
  3. ^ HT (2008年11月17日). “中国の美しい十大名山――南迦巴瓦(ナムチャバルワ)峰”. 人民網日本語版. 2014年12月24日閲覧。
  4. ^ a b 烏豆 (2009年8月20日). “ポプラの鳴る季節に日本の登山家を偲ぶ”. China Internet Information Center. 2014年12月24日閲覧。
  5. ^ 百科事典マイペディア『ナムチャ・バルワ[山]』 - コトバンク
  6. ^ A river´s bend -- Trip to Yarlung Zangpo Canyon”. CCTV-International. 2013年10月19日閲覧。
  7. ^ a b “チベット秘峰のギャラペリに日本ヒマラヤ協会隊が登頂”. 朝日新聞・夕刊: p. 18. (1986年11月13日). "同峰(=ギャラペリ)はチベットのヤルツァンポ川(インド側ではブラマプトラ川)が大湾曲を描いてヒマラヤを貫通するところにそそり立つ山。1913年、インド測量局が発見したが、地形が険しすぎて近づいた者はなく、対岸のナムチャバルワ(7,762メートル、現在未踏峰としては世界最高)とともにヒマラヤに残された最後の秘峰といわれていた。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  8. ^ Namjagbarwa Mountaineering Map (1:50,000), Chinese Research Institute of Surveying and Mapping, China Mountaineering Association, 1990, ISBN 7-5031-0538-0.
  9. ^ High Asia digital elevation models
  10. ^ American Alpine Journal 1993, pp. 279-280.
  11. ^ 出典は、Frank Kingdon-Ward: Riddle of the Tsangpo Gorges (1926) Edward Arnold and Co と思われるが、未確認。
  12. ^ Neate, 1990, op. cit. 
  13. ^ a b “大西宏隊員が死亡 ヒマラヤ未踏峰で雪崩”. 朝日新聞・朝刊: p. 31. (1991年10月17日)  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  14. ^ “Namcha Barwa”. American Alpine Journal (Boulder, Colorado: American Alpine Club) 33 (65): 285. (1991). http://c498469.r69.cf2.rackcdn.com/1991/285_china_tibet_aaj1991.pdf 2011年5月19日閲覧。. 
  15. ^ Tsuneo Shigehiro. “China Japan joint expedition to Namcha Barwa 1992”. 2011年5月19日閲覧。
  16. ^ ナムチェバルワ峰合同登山1991”. 日本山岳会. 2014年12月24日閲覧。
  17. ^ Shigehiro, 1992, op. cit.”. 2014年12月24日閲覧。
  18. ^ a b “日中合同隊がナムチャバルワに初登頂 ヒマラヤ・世界最高の未踏峰”. 朝日新聞・朝刊: p. 30. (1992年10月31日). "登頂したのは第1次アタック隊の山本一夫・登攀隊長(46)、青田浩隊員(34)、山本篤隊員(30)と中国のジャブー登攀隊長ら3人の計6人。...つづいて第2次隊の三谷統一郎(36)、佐藤正倫(29)両隊員と中国側3隊員も同日午後、登頂した。"  - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
  19. ^ a b ナムチェバルワ峰合同登山1992”. 日本山岳会. 2014年12月24日閲覧。 “登頂者名、日時:第一次隊(1992-10/30-12:09) 山本篤,青田浩,山本一夫,ツェリンドルジ,ベンバザシ,ジャブー,第二次隊(1992-10/30-14:30) 佐藤正倫,三谷統一郎,サンジュ,ダーチミ,ダチョン,”
  20. ^ Himalayan Index”. London: Alpine Club. 2011年5月18日閲覧。

外部リンク 編集