ナーワル級潜水艦

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ナーワル級潜水艦(ナーワルきゅうせんすいかん Narwhal Class Submarine)は、アメリカ海軍潜水艦Vボートの一級。1930年に2隻が建造された。

ナーワル級潜水艦
基本情報
艦種 大型潜水艦
命名基準 魚名
同型艦 2隻
前級 アルゴノート
次級 ドルフィン
要目
排水量 水上:2,730トン、水中:3,900トン
全長 113.0m
最大幅 10.1m
吃水 4.8m
機関方式 MAN型S10V53/53型2軸10気筒ディーゼルエンジン4基
GM258型ディーゼルエンジン4基(1942年以降)[1]
最大速力 水上:17 ノット (31km/h)
水中:8 ノット (15km/h)
航続距離 10ノットで20,725海里(水上)
5ノットで80海里(水中)
潜航深度 90m
乗員 88名
兵装 533mm魚雷発射管(艦首4、艦尾2)
533mm外装魚雷発射管(艦首2、艦尾2、1942年以降)
搭載魚雷40本(艦内24本から26本、艦外非耐圧区画12本から16本)
Mk12型53口径152mm単装平射砲2門
機銃
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概要 編集

第一次世界大戦時、アメリカ海軍はアメリカ沿岸部で行動したドイツ海軍Uボートに強い関心を抱いた。大戦終了後には、新しく仮想敵となった日本海軍を念頭に置いた巡洋潜水艦が検討された。巡洋潜水艦の案は複数提出されたが、1923年3月に「VIII型」と呼ばれる案が採用され、1925年度以降から建造を開始することを決定した。「VIII型」のうち1隻は機雷敷設潜水艦として建造されることとなり、のちにUE型潜水艦の装備をモデルとした機雷敷設装置を組み合わせ1928年に竣工したV-4(のちのアルゴノート)となる。V-4を元に通商破壊に使用するために改設計した艦がナーワル級である。V-4では機雷搭載用であった部分に新たに魚雷発射管2門と魚雷8本を搭載し、機関を洋上作戦に向いたものに改められた他は、ほぼV-4と同じ設計である。1927年度に建造が開始された。

なお、計画段階では日本海軍の巡洋潜水艦同様に飛行機の搭載も検討されたが、S級潜水艦S-1での運用実績が芳しくなかったため見送られた。

特徴 編集

ナーワル級は水上排水量が2,730トンとかなり大型の潜水艦であり、1943年にナーワル級よりわずかの排水量が大きいアルゴノート(元V-4)が喪失してからは、水上排水量単独では1954年にノーチラスが、すべての排水量では1959年にトライトンがそれぞれ就役するまで、アメリカ海軍で最大の潜水艦であった。機関はMAN製のエンジンをアメリカ海軍の海軍造船所でライセンス生産したものが搭載され、水上航行用に補助のディーゼル発電機も設置された。兵装はV-4と比較すると、機雷敷設装置がない分大幅に強化された。魚雷搭載数は艦内の他に艦外の非耐圧区画にも設けられ、合わせて最大40本の魚雷が搭載可能であった。砲兵装は、建造取りやめになったサウスダコタ級戦艦の副砲に予定されていた平射砲を搭載し、自動給弾装置も設けられた。

ナーワル級は潜水艦としては強力な攻撃力と水上航行力は高く評価された。しかし実際に運用してみると、エンジン出力の不足による低速力、大型であるが故の低い機動力などの問題が浮上した。搭載したMAN型エンジンは高速を発揮すると振動がひどくなり、カタログ値の速力は事実上出すことが出来なかった。また潜航速度も遅く、これはナーワル級よりわずかに大型のV-4より遅いものであった。

1931年、他のVボートの各艦同様に艦名とハルナンバーが付与され、V-5はナーワルに、V-6はノーチラスにそれぞれ改名された。

戦争中のナーワル級 編集

ナーワル級およびアルゴノートは問題点がありながらも、さらなる建造が計画されていた。しかし、建造に時間がかかる上、建造予算の逼迫により中型潜水艦に目が向けられるようになり、結局ナーワル級もアルゴノートも新たな増備は行われなかった。就役後も不具合部分を改修し続けたが、根本的な問題解決にはつながらなかった。

ナーワル級はアルゴノートとともに、太平洋戦争時には第一線にあった大型潜水艦のうち最も旧式であった。また、機関の更新や魚雷射線数の少なさを指摘されており、順次能力改善の更新工事が行われた。ノーチラスが開戦前から更新工事を実施したのに続き、ナーワルも哨戒間のオーバーホール時に工事が行われた。工事の結果、エンジンはGM製258型に換装され、レーダーも装備されていった。魚雷射線数の少なさは外装発射管を前後に2門ずつ装備することで、射線数だけで言えばタンバー級以降の潜水艦と同等になった。ノーチラスにはガソリン搭載機構も設置された。なお、ポーパス級以降の潜水艦で実施された艦橋構造の大規模な縮小工事は実施されなかった。一連の工事を終え、速力についてはエンジン換装である程度改善されたものの、いかんせん大型の艦体では問題解決は難しかった。

それでも、ナーワル級はアルゴノートと並ぶアメリカ潜水艦随一のキャパシティの広さを誇っており、部隊や物資の輸送用にはうってつけであった。1942年8月には、ノーチラスがアルゴノートとともにマキン奇襲作戦を敢行。1943年5月にもノーチラスとナーワルがアッツ島への奇襲部隊揚陸に従事した。強力な砲兵装も、この手の作戦には有用であった。1943年以降は実質輸送潜水艦として使用され、オーストラリアを拠点としてフィリピン方面の抗日ゲリラなどへの支援任務や避難民救出に活躍した。ナーワル級は大戦終了を待たずして本国に回航され、1945年に相次いで除籍された。

なお、詳細な戦歴は各艦の項を参照されたい。

脚注 編集

  1. ^ 大塚好古「太平洋戦争時の米潜の戦時改装と新登場の艦隊型」『徹底比較 日米潜水艦』167ページ

同型艦 編集

関連項目 編集

参考文献 編集

  • 世界の艦船編集部『世界の艦船2000年4月号増刊No.567 アメリカ潜水艦史』海人社、2000年
  • 大塚好古「ワシントン軍縮条約下における米潜水艦の発達」「ロンドン軍縮条約下の米潜水艦の発達」「太平洋戦争時の米潜の戦時改装と新登場の艦隊型」「米潜水艦の兵装と諸装備」『歴史群像太平洋戦史シリーズ63 徹底比較 日米潜水艦』学習研究社、2008年、ISBN 978-4-05-605004-2