ニコライ・ミハイロヴィッチ・ポタポフロシア語: Николай Михайлович Потапов1871年3月2日 - 1946年)は、ロシア帝国ソビエト連邦の軍人。情報将校。ロシア帝国軍時代の最終階級は中将、労農赤軍では旅団長。

革命内戦頃撮影

経歴 編集

モスクワの役人の家庭に生まれる。

ロシア帝国軍 編集

  • 1888年 - 幼年団(幼年学校)卒業
  • 1891年 - ミハイロフ砲兵学校卒業
  • 1897年 - ニコライ参謀本部アカデミー卒業
  • 1898年1月 - 第38歩兵師団先任参謀副官
  • 1898年5月 - ワルシャワ軍管区本部附属委任補給将校
  • 1901年3月 - 在ウィーン軍事エージェント補佐
  • 1903年6月 - 在モンテネグロ軍事エージェント。第一次世界大戦勃発と共に、モンテネグロ総司令部附属ロシア司令部代表
  • 1916年8月 - 参謀本部総局疎開局長
  • 1916年11月 - 参謀本部総局疎開・軍人管理課長

ソビエト政権 編集

二月革命後、国会臨時委員会附属軍事委員会委員長となる。ポタポフは、新政権に忠誠を誓い、1917年4月13日、参謀本部総局補給総監に任命された。十月革命後、人民委員会議とも協力し、11月23日に参謀本部総局長兼軍事省管理官に任命された。12月から軍務人民委員部管理官。

後に1920年代、偽の反革命組織をでっち上げ、反体制派を国内に誘引・撃滅するOGPUトレスト作戦の立案者の1人となる。1936年7月21日、旅団長の階級を授与される。

参考文献 編集

  • "Кто был кто в первой мировой войне. Биографический энциклопедический словарь", Залесский К.А., М., 2003

外部リンク 編集