ニコラ・ド・グリニーNicolas de Grigny, 1672年生、受洗日9月8日 - 1703年11月30日)はフランスバロック音楽作曲家オルガニスト

ランスの音楽家一家に生まれる。ニコラ・ルベーグに作曲を学んだ後、パリ近郊のサン=ドニ教会1693年より奉職。1696年にランスに戻り、同地のノートルダム大聖堂のオルガニストを没年まで務めた。1695年に結婚し、1703年に急死するまでに7人の子をもうけている。

唯一の現存作品が、1699年の《オルガン曲集 第1巻Premier livre d’orgue 》で、これにはさまざまな典礼に利用されるオルガン曲が入っている。その内容は、ミサの伴奏に使われる組曲が1点と、5曲のグレゴリオ聖歌定旋律とした対位法的な小品集となっている。バッハはこの曲集を高く評価して、筆写譜を作成したほどだった。おそらくバッハ自身の《クラヴィーア練習曲集 第3部》(いわゆる「ドイツ・オルガン・ミサ曲集」)にも何らかの影響を与えているものと看做されている。

グリニーの作品は、フランス・バロックのオルガン音楽の金字塔に位置している。音楽的な知識の広さや宗教的霊感の深みにおいて、グリニーと争うことができるのは、フランソワ・クープランルイ・マルシャンの両者であろう。

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