ニューゲート監獄(ニューゲートかんごく、Newgate Prison)は、イギリス1902年まで存在した刑務所

旧ニューゲート監獄
19世紀に描かれたニューゲート監獄
ニューゲート監獄内部の見取り図

1188年ヘンリー2世の命令によりシティ・オブ・ロンドンのニューゲートに建設され、1236年に大きくその規模を拡大された。死刑囚を含む様々な受刑者を収容していたが、必ずしも脱出不可能というわけではなかった。泥棒のジャック・シェパードは、1724年絞首刑になるまで3度も脱獄している。

時折、小規模な改築が行われてきていたが、古い監獄は一度完全に取り壊されたうえ、1770年から8年の歳月をかけてジョージ・ダンスの設計による新しい建物が建設された。1780年ゴードン騒乱 (w:Gordon Riots) の際には刑務所が放火され、受刑者300人が脱走してそれを上回る多くの受刑者が焼死した。脱走者の多くは再び逮捕され、処刑あるいは別の刑務所に収監されることになる。刑務所は2年後に再建された。

1783年ロンドン市は、絞首台をロンドン市内のタイバーンから、刑務所のすぐ外に移した。絞首刑は当時の庶民にとっては娯楽であり、大きな観衆を集めた。

1812年に刑務所を訪れたエリザベス・フライは、刑務所で賄賂や虐待が横行し、不衛生のきわみであったことに衝撃を受け、刑務所の改善に尽力することになる。イギリスの下院議会に証拠が提出され、少しずつではあるがニューゲート監獄は改善されていくことになる。

1868年以後、処刑は以前のように公開せず、ニューゲート監獄内で行われるようになる。本監獄は1902年に取り壊され、その跡地に中央刑事裁判所が建設された。

チャールズ・ディケンズの小説の中にニューゲート監獄はたびたび登場し、『バーナビー・ラッジ』や『大いなる遺産』、『オリヴァー・ツイスト』の中に当時の刑務所の状況が生々しく描写されている。また、マイケル・クライトンの『大列車強盗』の中にも登場している。

関連項目 編集

座標: 北緯51度30分56.49秒 西経0度06分06.91秒 / 北緯51.5156917度 西経0.1019194度 / 51.5156917; -0.1019194