ノート:ゾクチェン

最新のコメント:11 年前 | 投稿者:Sangyedorje

ニュルシュク・リンポチェじゃなくて、ニョシュル・リンポチェですよね。トゥルシク・リンポチェと混同してないかな? --サンギェ・ドルジェ 会話2012年11月9日 (金) 12:33 (UTC)返信

わたしもサンギェ・ドルジェさんのおっしゃる通り、IPユーザー 219.127.83.189 さんのいうニュルシュク・リンポチェは(『藍寶石』を著書としていることから)ニョシュル・ケンポ・リンポチェのことで間違いないと判断していました。遅ればせながら表記を変更させていただきました。ついでに、出典が示されておらず編集者自身の考察や所感のように思われる部分が多いと感じられたので以前に独自研究タグを貼ったのですが、いつの間にかはがされていたので再貼しました。例えば次のような記述です:「1959年のチベット動乱や文革以降、チベット本土や欧米において、チベット人や外国人の僧侶の中には、ガラップ・ドルジェやグル・パドマサンバヴァ、ブッダ等から直接教えを聞いて独自の教えを得たとする系統がある。これらの人々は往々にしてチベット仏教の伝統の学問や修行の期間も短く、霊感そのものを重視する傾向があり、歴史の淘汰やチベット仏教の批判にさらされていない。」ここで太字にした部分が執筆者自身の考察であるならば削除の対象となります。そうでないなら、まずはどなたが考察してどの著書や記事に書いたことなのか示していただかなければ話にならないでしょう。--Doomreaper会話2012年12月19日 (水) 05:43 (UTC)返信
御指摘の点、私も同感です。全体的に、ゾクチェンの中のある流派の伝授をラマから受けている方が、その流派やラマ個人の教え方にそって記述されているような印象を受けます。そのため、ゾクチェンという教義体系の全体で共通して説かれているような教義の分類法とは異なっているような。例えば「在家のゾクチェン」、「出家のゾクチェン」というようないい方は、一時的には通用する用語法であって、あまり広範囲に用いられている言葉ではないように思います。あと、カタカナ表記のゆれも目立つようになってきてるような。Wikipediaのような共同執筆・編集の仕組みだと宗教や歴史に関する問題は難しいものだと、「ダライ・ラマ」の項目での議論を見ていても痛感しています。--サンギェ・ドルジェ 会話2012年12月19日 (水) 14:00 (UTC)返信
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