ノート:テクノ (ダンスミュージック)

最新のコメント:10 年前 | 投稿者:180.25.67.202

ホアンアトキンスがテクノの命名者だというのは、本人がそう言っているだけです。最近の彼のインタビューを見ると、テクノという語源はクラフトワークやアルビントフラーから影響を受けたといい加減な事を言っていますが、クラフトワークがテクノポップという曲を作ったのは1986年ですから、サイボトロンのTechno Cityより2年も後なんです。ホアンアトキンスはこんないい加減な人間です。

また、阿木譲がテクノポップという言葉を作り出したのは明白なる事実であり、ホアンアトキンスがYMOにも影響を受けていたのは自身が認めている事実である以上、どう考えてもテクノという言葉は阿木譲→YMO→ホアンアトキンスというふうに伝播したとしか考えられません。

デトロイトの奇跡はメディアによってあまりにもセンセーショナルに脚色されています。それをそのまま真に受ける事が正しいとはとても思えません。--Optica会話2013年4月8日 (月) 21:13 (UTC)返信

おっしゃっていることは正しいかもしれませんが、主観的な記述をするのはやめてください。また、クラフトワークは1983年に「TECHNO POP」というアルバムを(発売されませんでしたが)リリース予告したことがあります。--Gustav会話2013年6月16日 (日) 07:43 (UTC)返信
Electric_Café#The_first.2C_unreleased_Techno_Pop_album
(追記)どうも Bootleg が出回っていたみたいです。--Gustav会話2013年6月16日 (日) 08:01 (UTC)返信

いずれにせよ、そのはるか前にYMOのtechnopolisを知っていたわけなので、誤認か、日本人差別によるものでしょう。メディアがホアン・アトキンスの誤った主観を客観的な事実と認定してしまった以上、それを私人である私が覆すのは「主観的」にならざるを得ないわけですが、上記の事の推移からは状況証拠的には明らかにホアン・アトキンスの法螺なんです。それをわかっていながら日本に広めた野田努の行為は万死に値するものだと確信しています。--Optica会話2013年10月1日 (火) 09:40 (UTC)返信

野田努が万死に値するか、ホアン・アトキンスが日本人差別をしてるか知りませんが、YMOやテクノポップがテクノという名前の起源であろうが、必ずしもサウンド的な直接的源流であるということにはならないのに注意すべきだと思います。YMO(テクノポップ)の直接的なサウンドの後継は、時代的に考えてもテクノ以前の80年代に商業的にも成功したエレクトロポップやインダストリアル、EBMでしょう。一方でデトロイトテクノは勿論シカゴハウスやエレクトロの影響がテクノポップやエレポップより大きいでしょう(ホアン・アトキンスはアフリカ・バンバータなどと同時期に最も早くエレクトロのリリースをした人物です)。また一般的なテクノはあくまでもクラブミュージック、つまりDJがスピンすることで機能する音楽であり、ロック/ポップの系譜であるテクノポップやエレポップとは性質の異なる音楽であることにも留意すべきだと思います。テクノの名称のみに拘る表記は中立的、もしくは百科事典的な視点に欠けるかと思います。--180.25.67.202 2013年11月28日 (木) 21:02 (UTC)返信
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