ノート:マインドコントロール/過去ログ1

最新のコメント:9 年前 | トピック:記事のあり方について | 投稿者:240F:68:1A55:1:502F:DBE3:D2B0:FEA0
過去ログ1 過去ログ2

よくわからないんですけど、マインドコントロールと 洗脳は区別されるべきじゃないかと。ごっちゃになってるような気がします。 洗脳=強制、監禁、薬物使用といった感じで、マインドコントロール=緩やかに価値観を変えていく手法といった感じでは?

同感です。
線引きが難かしい面もあるかも知れませんが、洗脳とマインドコントロールはきちんと区別しないといけないですよね。それに、この記事は余りにもオウム真理教事件(オウムのマインドコントロールはより洗脳に近いと言われています)に引きずられすぎていて不正確です。
そこで、ヒマを見て私が全面改稿したいと考えています。その時は「普通のマインドコントロール」と「破壊的カルトの行なうマインドコントロール」もきちんと区別して説明したいと思います。
Bokemiann 2004年8月29日 (日) 11:33 (UTC)

僭越ながらガサガサっと手を入れてみたいと思います。方向性としては

  • 破壊的カルト集団の行為(または目的)を、マインドコントロールの本質的な部分と分離
  • 洗脳とマインドコントロールの相違点を明確化
  • マインドコントロールによる犯罪抑止や薬物依存改善の可能性云々に関する記述

辺りに挑戦してみます…--夜飛 2004年8月30日 (月) 09:30 (UTC)

電磁波など

インターネットで検索したところ、「未確認電磁波・心理電子工学兵器による」マインドコントロールが存在するという主張があります。聞いたこともないのでにわかには信じがたいのですが、これについても記述する必要はあると思いますか?ちなみにこれは科学的に証明されているのでしょうか?138.243.201.4 2006年5月1日 (月) 12:15 (UTC)

「ビミョーな所」です。その主張の最も認知度が高い提唱団体としてはパナウェーブ研究所がありますね。電磁波過敏症と呼ばれる諸症状は米国を中心に研究されておりますが、日本の学界はまだ認知していない説だったかと。とはいえ電磁波過敏症は「電波による洗脳ないしマインドコントロール」とはまったく別の話で、眩暈や頭痛といった身体的症状を訴えるモノですが。いずれにせよ「認識できない物をあると言っている」や「超兵器っぽい」という辺りで強迫性障害統合失調症による妄想(あるいは妄執)の一種とみなされるかと。現状ではそのような超兵器や電磁波を投射して精神支配する装置の現物が確認されてる訳でもないので、今暫くは記述しない方がよさげです。夜飛 2006年5月23日 (火) 16:07 (UTC)

一節丸々削りたがる方へ

過去にマインドコントロール状態からの解放に関しての節を(繰り返し?)白紙化されているIPユーザーさんが居ます。

その度にリバートされてはいるのですが、何がそんなに彼ないし彼等を駆り立てるのか理解しがたいです。よって削除されたいと云うので在れば、まずノートでの議論を求めます。夜飛 2006年3月9日 (木) 12:02 (UTC)


すいません、どういう風にやり取りがなされるのか把握していないので、マイページとほぼ同じ内容をこちらのノートに書いておきます。 (ちなみに私は白紙化を繰り返しているユーザーではありません)

実は私自身、この問題には直接関わりがあり、「マインドコントロール」を口実とした拉致監禁の経験者の一人です。簡単ですが、その時の経緯を以下にまとめてあります。なお、この内容を印刷物にして発表し、拉致監禁の実行者である福音派新津教会・松永牧師も数冊所有していますが、10年経った今でも、抗議・コンタクト等はまったくありませんので、この内容は監禁側も認めているものとみなしてよいと考えられます。

http://ww36.tiki.ne.jp/~nida3/

この問題については、現在この時点でも、何人もの統一教会員がこの「マインドコントロール」という内容を理由として監禁を受けている最中です。2004年11月『現代』報道でも、監禁の結果、PTSDに苦しむ者、精神障害に陥った者、自殺した者までいることが書かれており、この行為が基本的人権を大きく損なうものであることは疑いを容れません。

さて、中立的、ということについて私の意見ですが、「マインドコントロール」の項目を概観したところ、幾つかの項目では出典が書かれないままSハッサン氏の論調がほぼ主流を成しています。 ※この「マインドコントロールからの解放」欄もその一つであるように見受けられます。 Sハッサン氏の論調については、すでに米国心理学会(APA)、米国キリスト教協議会(NCC)などによって、それが恣意的な内容であり、裁判資料として認められないという判断が下されています<光言社『「マインドコントロール理論」その虚構の正体』参照>。つまりこれらの論調は公平中立的内容と認めるには難点があるということです。

そればかりでなく、こうした内容がネットに流布された結果、新たな監禁の実行に至った例が出てきています。私自身、監禁被害経験者として統一教会の信者がこうした被害にあった際に相談を受けたり、調査・話し合いに行く立場ですが、監禁を実行に移した親から、ネットの「マインドコントロール」言説に不安を覚えて実行した、と告白されることがあります。

こうなると、「マインドコントロール」言説が、監禁によって基本的人権を奪う行為を助長する結果を生んでいるということで、私はこれが一種の差別語と同じであると考えざるを得ません。

監禁中、家族自体から何度も「あなたの目はマインドコントロールされた目」など、悪意ある言葉を投げかけられ、虐待的仕打ちを受け続けたことにより、私自身も監禁後、ストレス障害を通過、克服しなければなりませんでした。

誰あろう家族によって監禁される、この悲しみと怒りを家族にぶつけると、逆に「やはりこの子はマインドコントロールされている」と拒絶を受ける。これはあってはならない、最も恐ろしい人権剥奪の一つではないでしょうか。

経験者として、「マインドコントロール」言説がこの事態を引き起こしている現実に目を向けていただきたい、と切に願う次第です。

※「白紙化のユーザー」については存じませんが、こうした経験を持つ方ならば、情的衝動として反発し、即座に削除する行為に走ってしまうのかも知れません。

--以上の署名の無いコメントは、Hideo3会話投稿記録)さんによるものです。2007年5月10日 (木) 09:55 (UTC)

興味深いご意見、ありがとうございます。ただ、同事項はHideo3さんの個人的体験にも絡むことかつHideo3さんの会話ページにも同一のお話があるので、詳細なお返事はHideo3さんの会話ページにさせていただきたく存じます。とりたって、S.ハッサンの本の上でも、強制的に引き離された信者側が精神的外傷(トラウマ)を被る危険性についても言及していたため、その記述を追加しておきます。--夜飛/ 2007年5月10日 (木) 09:55 (UTC)

前川田井介さんの追記に関して

前川田井介さんが『マインドコントロールは一人でも出来る』というセクションを追加されましたが、率直に申し上げて余りに疑わしい内容でしたので、編集を差し戻しました。

記述を見ても、『誰かが異性を騙した』という話を大仰に言っているようにしか見えません。そのようなことがあったとしても、たまたまその人物がどこぞの信者だったということに過ぎないのではないか、と。そうではないというのなら、差し支えの無い範囲で詳しくお教え戴きたいと思います。精神科医が話したというのなら、その点も知りたいところです。

なお、再度投稿された時に外部リンクを1つ追加なさっておられますが、こちらも意味不明です。本項目との関連を示していただきたいと思います(いずれにせよ、冒頭に置くべきとは思えませんが)。 -- NiKe 2006年3月15日 (水) 02:49 (UTC)

 Nikeさん

個人名を出さないで下さい。 私の書いた記事は、精神科医と宗教学者から聞いた事実です。議論の余地はありません。 そして、いちいちノートに書いたり、メッセージを送ったりしないで下さい。 私は非常に不愉快です。 2006年3月15日 (水) 17:45 JST 利用者:前川田井介 (履歴から署名付加 Clinamen 2006年3月15日 (水) 08:52 (UTC)

上記、NIKEさんの発言の利用者:前川田井介さんによる消去を復活。他者の発言を削除する権限はありません。また、当該の編集内容は自らハンドル名を名乗って行った編集ですので、誰が行った編集であるかに言及するのは、なんらマナー違反ではありません。ノートで疑問点を指摘するのも、むしろ推奨される行為です。これ以上発言の削除を繰り返した場合、コミュニティの合意いかんによっては投稿が制限される可能性があります。ご注意ください。Clinamen 2006年3月15日 (水) 08:52 (UTC)

精神科医の方から何を聞いたのか、宗教学者の方から何を聞いたのか、具体的なところをお教え下さい。そうでなければ「議論の余地はありません」と言われても、判断のしようがありません。 -- NiKe 2006年3月15日 (水) 12:31 (UTC)

小生もNikeさんの編集を支持します。残念ながら「マインドコントロールは一人でも出来る」の項は第三者が参照可能な、明確な論拠となる事象が示されておりません。ヘタをすると私的な妄想に基くスカラー波やコントロールインプラント等といったような「私は盗聴されている」論と同一視してしまいそうです。なお現行の「破壊的カルトのマインドコントロール」部分は小生が記述した所ではありますが、当時は調子に乗って書き散らした部分もあるため、一端整理したく思います。そのため問題部分を含めて一旦抹消の上で、更に他事賞との関連性を交えて「マインドコントロールはオカルティズム的なものではなく、人の精神の活動を精神医学的に歪曲する行為である」と云う方面での方向修正すらしたくあります。
なお小生がこの書き込みをするに当たり、項目が見難かったのでノートの見出しを若干弄りました。すみません。夜飛 2006年3月16日 (木) 12:26 (UTC)
「人の精神の活動を精神医学的に歪曲」という見方をした時、マインドコントロールの行為自体は一般社会で日常的に行われているという考えになると思います。それについてマインドコントロールとは何かで見解が述べられています。Gloomy 2007年1月13日 (土) 00:22 (UTC)
すみません、この節の問題は其処ではないんです。既に削除された節ではありますが、履歴を見て[3]頂ければご理解いただけると思います。--夜飛 2007年1月13日 (土) 05:04 (UTC)

デッドリンクの一時保存

リンクを下記に修正

「マインドコントロール」言説について

 前回投稿者の川嶋です。  (すいません、まだ投稿の仕方になれていないので、ここに記載しておきます)  ウィキペディアの「マインドコントロール」についての記載について、今回いくつか思うところを述べさせていただきます。  基本的には、ウィキペディアは正しい情報を得ていないために、偏った内容を記載する結果になっているのではないか、と考えられます。  ウィキペディア記事を一読しての印象ですが、この「マインドコントロール」についての記事を編集する段階において、リンクに示された桜井氏の見解などに惑わされて、重要な資料をナナメ読みし、あるいは一次資料の論旨に触れないままで、記事を書き進めたのではないでしょうか。

 本記事はMシンガーやSハッサンの主張にかなり影響されていることが見て取れます。  例えば「マインドコントロールに利用される人間心理」「マインドコントロールの手法」などの項目は、ほぼMシンガーらの理論の引き写しです。これらは読む側に、これが事実なのか、誰かの意見なのかという区別ができるようにすべきではないでしょうか。  「マインドコントロールからの解放」に至っては、引用文献を示さない単なる主観が示されているようです。最低限、引用文献が明示されない限り、これらの主観的内容はウィキペディアの基本方針に従って、削除すべきであると考えます。ウィキペディアは百科事典であり、正しい知識を得る場を目指している筈なのですから、これが主観ならば主観であると、読む側が正しく理解できなければなりません。

 Sハッサン言説は、統一教会入会時に起こる回心体験を「マインドコントロール」によるものとし、脱会させる際の強制説得行為を「マインドコントロールからの解放」と称していますが、この「マインドコントロール」はAPA関係者、NCCらの法廷助言書によって科学性の乏しい、単なる否定的価値判断にすぎないことが示されています。  その詳細は、『「マインドコントロール理論」その虚構の正体』という本に記載されています。このたび著者の増田先生にコンタクトして許可を得た上で、私・川嶋のホームページに同書の内容を新しく掲載させていただきましたので、ぜひご参照下さい。

http://ww36.tiki.ne.jp/~nida3/micon.html

 なお、ウィキペディアの論拠の一つになっていると考えられる、リンクにある桜井教授の見解「『マインド・コントロール』論争と裁判-『強制的説得』と『不法行為責任』をめぐって」では、APAが「マインドコントロール」に対して公式に否定も肯定もしていないと述べています。また桜井見解の後半にAPA助言書も掲載されているため、これを読む側は逆に、APA助言書を読んだ上で解説しているのだから、「APAは中立」という桜井氏の解説が正しいのだ、と錯覚しやすい形になっています。桜井見解がAPA助言書にオブラートをかける形になっているわけです。  しかし、APAによって「マインドコントロール」を否定する法廷助言書が出されていることは事実です。その際の結論は、何十もの論文内容を検討した結果出された妥当な内容であり、実際に裁判証拠として使われたものであり、助言者名こそ変わりましたが現在も有効です。

 また『「マインドコントロール理論」その虚構の正体』で紹介されているように、シンガーはこのAPAの判断を不服としてAPAを相手取った訴えを起こし、APA側の取り下げ云々はこの訴えに対するリアクションでした。しかしMシンガーの訴えは根拠のないものとして早々に否決されました。桜井氏は同見解書で、同書『虚構の正体』について何度かコメントを加えていますが、この流れは同書に明記されているので、桜井氏はこのことにあえて触れなかったものとしか考えられません。  そもそも桜井言説がいうようにAPAが中立なのであれば、MシンガーがなぜAPAを敵対視し、訴えなければならないのでしょうか。

 桜井見解はアメリカの助言書や判断を日本のそれに比較することを権威主義として毛嫌いしていますが、日本の「マインドコントロール」について判断を下す研究分野、特に地に足のついた調査研究は、APA助言書が示した科学的基準に照らして、脆弱な、偏ったものでしかありません。  後にAPAがMシンガー氏サイドから脅迫を受けて助言書を取り下げ、助言者が一連の関係者の名前に切り替えられた、という経緯をたどったことは、逆に「マインドコントロール」言説を世間に浸透させようとする圧力的組織の存在を示し、問題の深刻さを物語るものだと言えます。

 さらに桜井見解は、『虚構の正体』著者の増田先生が日本での裁判を担当した魚谷氏の「上司である」と断じており、また魚谷氏がアメリカの助言書を持ち出すこと自体が権威主義というマインドコントロール手法である、と言っています。こうしたことから、統一教会サイドが出す論拠や論旨に対しても、桜井氏は最初からマインドコントロール言説を信じた上で「マインドコントロールされた人々が出す論拠に過ぎない」という偏見のもとに、文字通り否定的な価値判断を下しているに過ぎない、ということが伺えます。

 また桜井見解は前掲書『虚構の正体』に載せられているAPAの助言書については言及していますが、続いて載せられているNCCについては無視しています。これは一見、学術たるものは五感で確認できる、調査統計などに基づいたものでなければならない、という学究的姿勢を示したものと解されます。しかしそれにしては、桜井見解自体が、APAが参考にしている幾多の調査結果に対して何もコメントせず、言説自体をほとんど思索・憶測に頼るような形で書かれています。学究的な論文たるものは綿密な、地に足のついた、そして適正なフィールドワークに基づくべきであり、桜井見解はその範疇から外れています。これではただのエッセイです。

 該当のウィキペディア記述が否定的な価値判断に基づく、デフォルメされた情報のみに立脚するとすれば、やはり訂正すべきではないでしょうか。

 またウィキペディアで解説されている、「解放後つづく症状」についても、いわゆる「マインドコントロール」が原因ではなく、強制的な改宗作業によるものである、という研究が、すでに『虚構の正体』で示されています。主観的な主張よりも、こちらの学究的な結論を載せる方が妥当であると考えます。


 また統一教会脱会のための強制説得は、ハッサンの「マインドコントロール」よりも、基本的生活要件などを脅かすことで恐怖心を刷り込む、などのやり方に基づく、「洗脳」に近いものであることも指摘されています。  Sハッサン自身、この強制説得に深く携わる立場であり、犯罪な拉致監禁集団CANと深く関わりながら、強制説得作業を行い、多額の謝礼を受け取っていること、また彼の「マインドコントロール」言説は、彼らの行っている人権侵害行為を隠蔽・正当化するための、恣意的な「主張」行為であることが、同書『虚構の正体』で指摘されています。ウィキペディア編集サイドはそのことに気付いているのでしょうか。

 現時点でウィキペディアの「マインドコントロール」解説は、Sハッサン言説を全面的に認めた記述となっていることが見受けられます。これは、彼ら強制説得サイドの「主張」を容認し、この人権蹂躙行為を弁護する立場に立つことを意味します。

 しかしこれらの、言うならばウィキペディアの不適切な叙述は、単に正しい情報の欠如に由来するものであると考えます。

 ウィキペディアの編集方針を鑑みた上で、この「マインドコントロール」言説によって人権侵害を被った個人として、これらの内容の削除、あるいは全面訂正を要請いたします。  このたび川嶋のホームページには、「マインドコントロール」を口実とした強制改宗の現実、また増田先生『虚構の正体』の重要と思われる部分を記載しておきますので、重ねて参考にしていただくようお願いいたします。

2007年6月3日 川嶋英雄 --以上の署名の無いコメントは、Hideo3会話投稿記録)さんによるものです。2007年6月3日 (日) 08:25 (UTC)

ちょっとコメント。マインドコントロールという概念がカルト問題や特定宗教団体などで社会問題化している手前、マインドコントロール関係の資料がそういったカルト問題や特定宗教団体を主題とした動向に集中してしまいがちな部分が根強いのですが、そもそも同語は手法の如何によらず人心を当人の思惑に関係なく誘導し決定付けるという性質のものであり、特定のケースに於ける手法を一つの例として示すことはあっても、それが全てだとする訳にもいかず、またそういったカルト問題や特定宗教団体とその付随現象のみによって語られる部分でもないと思います。--夜飛/ 2007年6月3日 (日) 08:36 (UTC)


コメントありがとうございます。 おっしゃることは理解できます。いわゆる私自身の動機は、基本的には人権問題を改善しようとする流れであって、「百科事典」を旨とするこのサイトには、枠組みとして対応しづらいものも多分にあるだろうと考えます。

しかし現実には「マインドコントロール」と検索して第一位にくるのはウィキペディアであり、この項目をみて不安になり、リンクを辿って確信犯的な監禁グループにつながり、実行へ至ってしまう、という流れがあることも事実ですので、経験者としては対応がどうあれ、声を上げざるを得ない、あるいは声を上げるべきだとの義務感を感じている、というのが実際のところです(あくまで検討な可能な枠内ではありますが)。

もとより悪意的な「荒らし」などの意図はもっていませんので、この声・要請に対して、ウィキペディアとしてどの程度、枠内での対応が可能なのか知りたい、というのが私の現在の最も興味関心事項であると言ってよいかと思います。 ですので、しばらくは記事中に直接書き込むのも控えて、定期的にノートに文章を書いてこちらの意向を伝える程度で、あとは夜飛さんの判断にお任せしようと考えています。

現時点では、個人の主観の次元なのか、証明された客観的な事実なのかが不明瞭な記述が混在しており、そうした部分には再整理の必要があることには同意いただけると思います。 例えば「マインドコントロールの手法」として6つ挙げていますが、「どこそこの誰それの主張によると」「誰それの学説に従えば」などの文章は必ず一言あるべきではないでしょうか。

またリンクにもあり、記事中に何度か言及がみられる桜井見解なども文字通り統一教会オンリーの内容であり、逆に夜飛さんが言われる、特定宗教団体とその付随現象に特化した内容が多いのではないか、という印象を受けます。

もう一つ、今後さらに私個人のサイトに『「マインドコントロール理論」その虚構の正体』内容を整理・アップして行く予定ですので、(ご参照の上で)参考文献の一つに加え、あるいは記事中に内容を反映していただきたいと希望いたします。

ということで主旨に合わない部分についてはその都度、言っていただければ改善できるように努力しますので、よろしくお願いいたします。 --川嶋 2007年6月6日

Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありませんをお読み下さい。そもそも、あなたが『間違いを糾す』ことを許せば、それに対する反論も許さねばならなくなりますし。 -- NiKe 2007年6月6日 (水) 02:40 (UTC)
統一教会について特に詳述できる、ということでしょうかね?「キャラバンの珍味売り」や「野の花会」、最近の裁判の結果や文鮮明氏の出自についてならば、出典付きでいくらでも私が追記しましょう。永遠に完成しない「日韓トンネル」も題材として詳述したいところです。最初正体を隠した勧誘、ビデオセンター、2days、7daysのプロセスについて詳述することは、この項にとっては有益でしょう。もちろん両論併記で。--Album 2007年6月6日 (水) 03:30 (UTC)
(>Hideo3さん2007年6月6日 (水) 11:31分)小生としては、現象として観測可能な対象が特定宗教団体に限定されるからといって、ある汎用的概念を特定宗教団体に絡む(双方の?)視点のみから記述することは妥当ではないと考えております。ただ「温く広くWikipediaに関係すること」を好む小生としては、マインドコントロールの記事のみに注力するつもりもなく、ことによるとHideo3さんのご期待には添いかねるかもしれません。小生としては「たまたま過去に興味を持った社会的現象」の一つ(敢えて主観的な重み付けをするならば、「何処のメーカーの鉛筆が最も使い易いか」という問題と同程度)であり、たまたま資料としての書籍を所有し読んだ事がある程度に過ぎません。なお統一教会関連では「マインドコントロールとは何ぞや」ということが裁判上の一つの焦点とはなっているのですが、結果としては「手法の如何に問わず、その動機と結果に於いて人権を侵害している」という一つの裁判結果も出ており、これをもって同件がそもそも「マインドコントロールという手法を述べるに足る一つのケース」として扱い難い問題を含んでいるとも思います。もし「マインドコントロールとは何ぞや」ということを科学的に述べたいということであれば、それは心理学や精神医学のみによって扱われ、カルト問題や宗教問題から切り離して考えるべきかと考えます。もっとも社会学的側面から見ればマインドコントロールはカルト問題や宗教問題の延長で現象が観測されておりますので、こちらは不可分なのですが…その場合は心理学や精神医学とは切り離して、一つの社会現象としてのみ扱うべきかと考えます。して社会現象として記述するのであれば、ことの是非は別にして、これに対して公式に発せられた現象は、それらに対しての批評を抜きにして整理され記述される必要があります。ことの是非を問うことは、観測者・記述者の仕事ではないためです。--夜飛/ 2007年6月6日 (水) 08:38 (UTC)
(>Albumさん2007年6月6日 (水) 03:30 (UTC)分)その辺りは「マインドコントロール云々の」と言うよりも、統一教会の活動として、世界基督教統一神霊協会の項に記述したほうが良いと思います。それらの活動は統一教会の方針としてか、または各々の勧誘者の方針として行われた活動であり、マインドコントロールの介在は付随的要素(置き換えても大意が変わらない)であると考えられるためです。もっとも、既にそれらの活動内容に関しては既に同項で幾分記述されてあるようですが。出展があっても、項の主題に添わない記述は「百科事典的ではない(整理されていない)」ために記述すべきではないと考えられます。--夜飛/ 2007年6月6日 (水) 08:38 (UTC)
2days、4days、7days、21修などは、マインドコントロールの最適な代表例ではあるのですが・・・。つまり統一教会の表立った活動そのもの、というよりも、それらマインドコントロール(本項目)を経て「ニコニコにっこり二千円です!」と食口(シック:統一教会信者)がホタテ珍味の販売活動に駆り立てられる原因そのもの、なので項目外にする必要は無いのですが・・・。・・・まあ一書をもって統一教会を擁護する動きが「もし、あるならば」、多書をもってバランスをとりましょう、ということです。--Album 2007年6月7日 (木) 16:18 (UTC)

いろいろ書き込みありがとうございます。 すいません、まだ初歩的な仕組みがいろいろ分かっていないのですが、 夜飛さんが管理人で、Nikeさん、Albumさんは参加者という立場なのでしょうか? あるいは何人か共同管理という形で進められていて、Nikeさん、Albumさんがサブ管理者のような立場なのでしょうか。

とりあえず一言申しあげると、私の理解が正しければ、Nikeさんの『間違いを糾す』というのはウィキペディアの性質上そもそも認められないことであり、「検証可能範囲で事実と違うと認められた場合に正す」程度でしょう。議論・反論などが飛びかえば収拾がつかなくなってしまう、というのは十分おわかりであると思いますし、そのような意図はありません。前述してあるように、当分は自分で本文をいじるのではなく、管理人サイドに検証の材料となる情報(また個人サイトに少し拡充しましたのでご参考下さい)を提供し、良識を期待するという程度であります。

私の論旨はシンプルです。 現在日本では「マインドコントロール」語を口実に監禁が行われており、この「マインドコントロール」語ゆえに、監禁現場で基本的コミュニケーションすら疎外されてしまい、その結果、精神的に深刻なダメージを引き起こす例が多い。 このことをお伝えしたいだけです。

またAlbumさんは統一教会の活動については造詣が深いということですが、2004年11月「ゲンダイ」の記事は読まれたでしょうか。これは統一教会をすでに脱会した方が、のちに重いPTSDで苦しみ、監禁の不当性を訴えているという内容です。 ちなみに2001年にはエホバの証人に対してキリスト教牧師が関わった監禁・強制改宗行為があり、こちらは監禁を行った側が民事敗訴して賠償金を払っています。私の投稿も、こうした流れに触発されています。脱会された人であっても、他宗教の方であっても、その話をネットで見たりするだけでも、私はある共感、心の痛みを持ってそれを理解せざるを得ません。あの環境を通過したのか、、、と。それは紛れもない事実です。ですので、「統一教会を擁護する動き」ではなく「監禁の不当性を訴える動き」と表現するのが正しいのではないでしょうか。

また私見ですが監禁をなくすことは、必ずしも「統一教会の擁護」につながりません。私自身監禁中に何十人もの脱会者と話し、脱会した経緯・動機などを曲がりなりに理解しているつもりです。脱会は脱会なりに、きちんとした理由があるものです。監禁をなくせば(現実に文字通りの監禁は減りつつあるようです)、いわゆるソフト化がすすみ、違法ではない程度に教会員をソフトに説得する、という流れができていきます。軟禁であるとか、日数をあらかじめ約束して期限内に話を終わるとか。。。そうした場合に、北風と太陽の例えは、こうした場合にも有効であり、脱会者はむしろ増えるかも知れない、と私は考えています。

もちろん経験者として、この酷い行為だけはなくなってほしい、というのが動機であり、私としては人権的アプローチにならざるを得ませんので、やはり当面はノート欄での訴えで、本文への反映を期待する、ぐらいのスタンスをとるつもりです。 以上、ご理解いただけましたでしょうか? --利用者:川嶋 2007年6月15日

やや誤解があるようですが、各項目に管理者は存在せず、単に任意の編集者が好き勝手に参加できるのがWikipediaです。小生とAlbumさんは単純に一編集者としての権限のみで、NikeさんはWikipediaの管理権限を有しているけど、特に直接的には本項の編集に積極的にはタッチしていない…といった感じでしょうか(権限に認識違いがあったらすみません)。Wikipediaにおける管理者に関してはWikipedia:管理者をご覧下さい。なお「マインドコントロールを理由とした監禁で損害賠償が認められた」というケースに関しては、むしろ監禁の項こそ相応しい内容かもしれません(誤認による監禁?)。Wikipediaは百科事典である以上、実際のケースを例に挙げるにしても、その現象の本質がどこにあるかを見極め、適切な個所に整理して収納することこそ正しい在り様かと存じます。小生としても「他の様々な項への編集に(気紛れに)参加している」という状況でもあるため、上に述べた通りHideo3さんの期待には添いかねる次第です。確かに、信奉しているものから(例え善意だったとしても)無理やり引き離されて心に傷を負ったり、或いは予め心理的に操作されていたために状況に柔軟に対応できずに酷いショックを引き起こしてしまったりした人には、心情的には哀れみなり心身の健康を回復できることを祈らずにはおられませんが、それはそれとして小生の個人的な感情であり、その感情をWikipedia上に書くつもりもありませんし、その同情的視点に基づいた記述で埋め尽くすつもりもありません。あくまでも客観的かつ公正・中立に、また個人的感情は抜きにして記事にしたいと考えております…現象への感想を抱くのは、個人の自由に委ねられるべきだと思うが故に。--夜飛/ 2007年6月15日 (金) 14:33 (UTC)

 そうですか。思ったより複雑な仕組みだということは分かりました。やはりしばらく仕組みを理解した上で、徐々に話し合い次元で進めていければと思います。

 ただ一つ言わせていただければ、私が訴えている心の傷というのは、信奉している内容を失う、あるいは「マインドコントロール状態」から準備なく引き抜かれたために心の喪失感を味わう、という次元の話ではありません。他ならぬ自らの家族から監禁されたことによる、深い心の傷です。これはもう、経験しなければ分からない傷であり、監禁後に信仰を保っている、保っていない、その両方で、この心の傷に苦しむ人間が一定の割合で出てくる(家族関係が悪い場合には頻度が高いようです)ということです。現時点で「マイコンからの解放」欄では、ディプログラミングの実行者であるSハッサン氏の言葉(のみ)を引用してありますが、これはやはりミスマッチと思います。  すでに「カルトの元メンバーを苦しめているのは、ディプログラミングによる強い屈辱感と罪悪感といった精神的な外傷(トラウマ)であり、カルトのメンバーであったとかなかったとかは関係がないという結論が出された(ジェームズ・ルイス、デビッド・ブロムリー『カルト脱会シンドローム』一九八七年、APA)」  という研究結果があるので、そちらを載せるのが正しいと考えます。 --利用者:川嶋 2007年6月27日

すみません、その『カルト脱会シンドローム』という書籍なのですが、出版はどこになりますでしょうか。APAという略称ではちょっと判断付きかねますが、本の内容が確認できず、どれほどの妥当性があるかも判断できません。故に「そちらを載せるのが正しい」というご意見も到底受け難い部分があります。少なくともハッサンの書は一般の書店で入手可能なので、入手可能な資料にちなんで記述しました。どちらかというと、その書籍が一般入手可能なら、その書籍に基いて併記させたほうが良くありませんか?もちろん、統一教会そのものの現象のみに限定させずに…ですが。--夜飛/ 2007年6月27日 (水) 12:24 (UTC)
「検証可能性」の要諦は、「誰もが満足に検証できること」です。その『カルト脱会シンドローム』なる冊子がどこで手に入るのか(あるいは、どこでどのように手に入れたのか)教えて欲しいものです。まさか、某統一教会関連書店ではありますまいな。
ともかく、暴走行為をしておいて、「逮捕されて心が傷ついた」と訴えても仕方がありません。積極的に信者に嘘を付かせて物売りをさせていたのは誰なのか、よくよく思い出して欲しいものです。買えば運勢が良くなる???・・・詐欺師が逮捕されたのと同じことです。珍味を買ってくれた人は善意なのに、売っている人間は嘘ばかりです。嫌な思いをしてあたりまえ。監禁されたほうはつらいかもしれないが、監禁せざるをえなかった方は、もっとつらいのです。あまったれはやめてください。「自業自得」とはこういうときのためにあるのです。--Album 2007年6月27日 (水) 14:29 (UTC)


ルイス&ブロムリー『カルト脱会シンドローム』について補足説明いたします。 以下長文なので正常にアップされるか少々不安です。

 APAとはアメリカ心理学会の略であり、詳しい説明はすでに外部リンクにある、櫻井秀義氏「『マインド・コントロール』論争と裁判-『強制的説得』と『不法行為責任』をめぐって」53pでなされています。

 『カルト脱会シンドローム』は本ではなく論文で、

Lewis, James R. and Bromley, David G. , The Cult Withdrawal Syndrome: A Case of Misattribution of Cause? Journal for the Scientific Study of Religion 26, 4 (1987) pp. 508-522.

 これも櫻井秀義氏の同論説文51ページ真ん中あたり、67ページに言及されています。

 残念ながら詳しい邦訳はないようですが、JSTOR(Journal for the Scientific Study of Religion)は日本の主な有名大学に配本されているので、蔵書として見ることは可能です。

 なお、「The Cult Withdrawal Syndrome」で検索したところ、JSTORのサイトに要約が掲載されていたので、以下に和訳文を示します。これだけでは些か隔靴痛痒の感がありますが。。。


<要約>  新宗教の反対者は、入会者が高圧的なマインドコントロールにかけられるということを主に主張している。この議論を支持するために用意された1つの重要なタイプの論拠は、これらのグループの元メンバーが、「カルト」での心理学的に有害な習慣に起因するところの特有の心理学的な症状を示す、ということである。そのシンドロームの1つのバージョンが、ConweyとSiegelmanが呼ぶ「情報病」である。  これに対して、社会学的方法論に基づく説明は、新宗教の元メンバーがある感情の混乱をもつなら、まず第一に、脱会したプロセスの力学から生じたと考えるだろう。  論文における宗教団体の154人のメンバーに関する調査データは、これらの二者択一の説明について調査するのに使用された。ConweyとSiegelmanの「情報病」の報告者とそれらが特定した兆候の間で、関係性は全く見つけられなかった。対照的に、 脱会の形態とこれらの症状の間で強い関係が見つけられた。 このデータは、「情報病」とラベルされた感情的混乱の原因が、グループ経験よりむしろ、脱会の過程によるものであることを示唆している。


 なお私が直接言及しているのは増田善彦氏『「マインドコントロール理論」虚構の正体』の次の文章です。

 「結局カルトの元メンバーたちを苦しめているのは、ディプログラミングによる強い屈辱感と罪悪感といった精神的な外傷(トラウマ)であり、カルトのメンバーであったとかなかったとかとは関係がないという結論が出されたのです(ジェームズ・ルイス、デビッド・ブロムリー『カルト脱会シンドローム』一九八七年、APA、18頁)」

 これは書店に行かずとも次のサイトでほぼ全文閲覧可能ですので、ぜひご一読下さい。

http://ww36.tiki.ne.jp/~nida3/masuda/a04.html

 また何度か言及された「月刊現代2004年11月号」の記事「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」でも、監禁が重いPTSDを引き起こしていることが何度もあからさまに記述されています。これも以下のサイトで読めますのでぜひご覧下さい。

 http://www1.cts.ne.jp/~qubeleyh/gendai.htm

 私の知人にも何人か監禁経験者がいますが、監禁が心的外傷を引き起こしていることは常識であり、彼らがお世話になる精神科医も、そもそもそのことを前提に治療・指導に当たっています。もちろん、その精神科医自身が信仰を持っていようと持っていまいと、その前提は変わりません。  例えば、監禁が心的外傷を引き起こしている論拠として日本語の内容では、図書館などで見られるものとしては、「臨床精神医学」(アークメディア)2000年10月号「A case report of PTSD caused by coercive deprogramming from a religion」などがあります。監禁経験者に対しては、こうした内容を基に、精神科医の治療がなされているわけです。

 なお、統一教会員への監禁は正当的な行為である、といったご意見もあるようですが、その論旨の前提に、事実と違う部分がみられるようです。  まず監禁の実行者自身が「絶対的善」たり得ないということです。  例えば、Xさんがある日、道ばたで殺人犯に出逢ったとします。Xさんは義憤に駆られて殺人犯を殴打し、その相手は傷を負い、あるいは死傷しました。このときAさんは傷害罪・殺人罪に問われるか、問われないか。事実は、明らかに有罪です。法治国家においては、この殺人犯を逮捕し、裁く権利を持つのは公権力のみです。これを無視して個人的義憤から制裁行為を行った場合は、私刑(リンチ)と言います。  統一教会員への監禁の場合、実行者は公権力者ではなく、また思想に偏りのない自由な立場の人間でもなく、プロテスタント系キリスト教会畑の、一部の確信犯です。彼らが、信者の家族を「セミナー」に参加させ、不安な思いを煽り、子供への愛情に付け込んで監禁を教唆し、高額の謝礼を受け取った上で、準備したマンションに監禁、脱会作業をすすめるという流れが、20-30年間に確立されてきたものです。(例えば、私の場合は4ヶ月の監禁作業に対して480万円の謝礼でした。また監禁実行時に指示を出していたのは、親族ではなく、教会所属の第三者でした)。  またこの場合、監禁する側の内面は斟酌に値しません。どのような人に対して、どのような動機から行われたとしても、監禁は犯罪であり、刑法違反です。これを安易に斟酌することは、リンチを認め、法治国家の法治たる由縁を覆すことにつながります。  また、監禁を監禁と潔く認識した上で弁護しようという意見があるようで、これはある意味感謝します。大抵は「いや、監禁ではない。親子の話し合いなのだ」と認識論で誤魔化そうとしますので。  なお重ねて繰り返しになりますが、この書き込みにおいては、統一教会の活動面に対する「擁護」など全く考えておりません。私の動機はただ一つ、あのおぞましい、どこからどうみても間違っている監禁行為を無くしたいだけです。これさえ達成されれば、他のことは全く私の興味関心外です。  また監禁する側の親の気持ちにも言及があるようですが、事実私自身もマンションにいた数ヶ月間で、50人前後の脱会者の心境や家族関係についてインタビューし、理解する機会を得ました。監禁現場で繰り広げられるドラマはまさに十人十色であり、とても一言で括れるような内容ではありません。もし監禁の実態に触れない立場の人から安易な括り発言があるとするならば、極力避けるべきであると考えます。 --利用者:川嶋 2007年7月18日

示していただいた資料を斜め読みして直後…ということでナンなのですが、利用者:Hideo3会話 / 投稿記録さん(一応、Wikipediaにおける全ての編集と発言はログオンされているアカウント名に集約されますので、Wikipedia IDを基準としてお話をします。→Wikipediaにおける署名)の述べられていることは、部分的にカルト問題や統一教会の問題と不可分な要素を含みつつも、その一方では必ずしもマインドコントロールという概念が、精神医学上の結論が出ていない仮説的なものである点で、裁判上や強制脱会問題などで「鶏が先か、卵が先か」的な、または「腹が下った原因は、今朝飲んだ牛乳か、昨日食べた卵掛けご飯なのか、さっきから効き過ぎている冷房の所為なのか」的な非常に微妙な部分を残していることが伺えます。
ただ、こういった仮説の応酬が続いている問題は、それだけでも十分に中立性への配慮が普段以上に求められる問題でもあり、また「監禁があったから心理的に傷付いた、だからマインドコントロールとみなしての監禁は不当だ」ということに関してはマインドコントロールが監禁の理由付けにはなっていても、マインドコントロールが存在するかしないかは別の話で、件のAPA関連でもマインドコントロールという手法が「存在が科学的に証明できない」とみなしているだけで、「存在しない」とはなっていないかと…悪魔の証明みたいなもんですし。また示された資料に拠ればAPAは積極的に断定を避けたなどの論文も提出されている旨([4]P.7)が記載されており、こういった問題において専門家とされる人たちも、実は専門的にこれらを検証していないなどの問題も浮かび上がってきます。このため、むしろこれらを論拠に論を膨らませることは極めて危険な行為だと感じずにはおられません。
その上で話を戻すと、強制脱会問題に関しては逮捕監禁に当たる行為が行われた場合に、これの不当性の有無を論じることはできますが、逆にその不当性の有無をもってマインドコントロールが介在していたか否かを論じることはできない(茹でた大豆をすり潰して絞った汁から豆腐ができるが、豆腐を絞っても大豆は作れない)と小生は考えます。そのためこれをマインドコントロールの項で事細かに述べても、マインドコントロールの説明にはなりません。むしろそれは監禁の項で述べられるべきケースではないのでしょうか。
他方、そういった強制脱会の場に於いて脱会を希望する家族から脱会を請け負う団体への金銭の授受があったとして、それは出した側と受け取る側が納得ずくであるならば(Hideo3さんの心情は別として)、それを問題とすることはできません。金額から見れば確かに平均労働者年収と比較しても大層な額ではありますが、それはあくまでも相対的な価値観の問題であって、出した当人が結果に満足しているなら問題にすることすらできない額かもしれません…もっと益体無いことに大金突っ込む人もいる訳ですし。その点で具体的な金額は意味を成さない性格のものだと考えます。
脱法行為は理由の如何によらず認められないのは同意します。ただ、それにも程度問題があり、それを判定するのは司法の仕事であって、個人が主観で判ずるものではありません。例にしてもHideo3さんが結果として亡くなっている訳でも、強制脱会していなければ殺人を犯して回っていた訳でもない点で、不適切な喩えだと思います。なおHideo3さんの現在の境遇に関しては「不当監禁だったと文句を言う自由がある」状況にある訳ですし、それはある意味では個人としての自由な状態にあると思います。
もっともその自由は、Wikipediaが「百科事典を編纂するプロジェクトである」ということで、この場を使うことには幾分の制限が発生する自由でもあり、その点で「必ずしも百科事典として事物を説明する上で必要ではない記述を記事中に盛り込むこと」も制限される性格のものではありますが。斯様な理由のためマインドコントロールの項に於ける現状の記述は必要十分なバランスを保った記述であり、残念ながらHideo3さんの主張を過剰に取り入れることに否定的にならざるを得ません。なぜならそれらは監禁の項で述べられる性質のものであると考えられるからです。
ただ、Hideo3さんは強制脱会(強制改宗?)における資料を精力的に収集され、またそれらの情報に広く目を通しておられますし、その点で一つの独立した項を記述できる能力をお持ちだと思います。例えば「世界基督教統一神霊協会と宗教監禁問題」のような独立記事を作るのもいいかもしれません。Wikipedia:五本の柱に示された中立性検証可能性独自研究の除外のいずれをも満たしたならば、それは一つの素晴らしい記事になると思います。「監禁され傷付いた」という個人的な感情はひとまず脇において、挑戦されてみては如何でしょうか(体調悪くて文章にまとまりがなく、長々と書いてしまいすみませんでした)。--夜飛/ 2007年7月18日 (水) 13:32 (UTC)


体調を押してまで色々議論に付き合って頂き感謝いたします。

監禁について私個人で記事を書くというご提案、ありがとうございます。これについては、かなり摩擦係数が高い状態です。理由は下のようです。
1)ウィキペディアの細則についてまだ不慣れである。
 Wikipedia ID の話なども、まだ正確には理解できていません。。独立した記事を書くには、まだ少し荷が重いと思われます。
2)当事者であり、あまりに問題に近すぎる。
 私が率直に書くと、人権問題として力こぶを入れて書かざるを得ないので、そもそもウィキペディアに相応しくなくなってしまいます。

また精神衛生上悪いのも事実です。やはり第三者から客観的にみて書いてもらうべきではないか、という思いが強いです。。

かなり時間をかけて徐々に、ということなら書けるかも知れませんので、考えてみます。
なお、これまで論の中で、何度か「検証可能性」についての言及がなされていましたが、現時点で「マインドコントロール」項目は、まだ検証不可能な主観的意見が混在しているのではないかと思われます。
前述のAPA(米国心理学会)関係者による法廷助言書においては、「シンガー、ベンソンの用いているデータは証拠文献がなく、検証ができない」(議論1、C1項目)との指摘がなされています。この指摘が意味することはお分かりだと思います。
たとえば心理学の資格がある人間であれば、適切なリサーチを行わず単に主観的意見を述べても、それは検証可能な事実とみなされるのか。。。ということを考えた場合、「マインドコントロール」について書く際には、それぞれの事柄に対してそれが確認された事実なのか、主観的な意見なのかを分かるように書くのが、ウィキペディアとしてとるべき態度だと考えます。
ですので、本文記事中の単なる主観的な意見の自粛は、改めて「要請」としてここに記しておきます。

--利用者:川嶋 2007年8月12日

お返事ありがとうございます。時間に関しては、Wikipediaには締め切りが事実上無い(紙製の出版物であれば印刷に回す面で必然的に締め切りが発生しますが、そこは常に最新の状態が閲覧者に送信されるウェブベース百科事典ゆえの強みといえましょう)ため、幾らでも掛けて構わないと思います。問題の現象に近すぎるという面では、確かに当事者として冷静な判断をし難い面も多々あるかとは思いますが、これは時間を掛け他との共同作業という流れで回避できるかもしれません。ただ、書くことで精神的に参って健康を害してまでして書いて欲しいとまでは思いませんけど(流石にそこまでお願いするのは失礼とか何とか云う以前に、非人道的でしょうし)。
検証可能性に関しては、検証できないことを出典を示すことや、ある(偏った)特定言説を出典付きで示すことは可能ですが、そこで全体的な中立性(その各々の論に対して、否定も肯定もしない)という難しい問題もあり、AB相反する二つの論があったとして、これを併記することは可能でも、Aの論をBの論を元に攻撃するのは少々中立性の上から難があるため難しい所です。情報は常に後世の情報で更新されるべきですが、その双方の可否に決着がついていない以上は、ある論が存在したらその出典を示して要約を書くしかない性質の問題かと。
ちなみに署名ですが、『~~~~』(半角チルダ記号4つ)を編集中の文章に入れれば、自動的にログオン中ユーザー名に時刻付きの署名に変換されます。編集中画面の左上・右から2番目にある をクリックすれば、この記号が自動で挿入されますので、是非利用してみてください。--夜飛/ 2007年8月12日 (日) 08:34 (UTC)

スピリチュアルとマインドコントロールの関係

関連性が指摘される人物・事件などありますか? 近年日本国内(特に芸能界・スポーツ界・政界・財界)ではこれが蔓延しているという情報もあります。

Wikipediaは特定事物・団体・個人を糾弾したり喧伝するためにあるわけではないので、そのような質問をするには不適切です。質問サイトなどに投稿してください。--夜飛/ 2008年9月8日 (月) 09:08 (UTC)

カテゴリについて

本文中に創価学会のことなんか一つも出てこないのに何でカテゴリになってるの。それと、「ホームオブハート」なるカテゴリも赤リンクで、当のHOHの項目もないしMASAYAにすらこのカテゴリが付されていない。なんか意味あるのか。両方カットしておいたから、復帰される方は本文を信頼できる情報源で増補するなりなんなりするように。岸本元--218.221.79.148 2013年7月7日 (日) 02:17 (UTC)


記事のあり方について

こんなん見つけたんだけど

マインドコントロール理論を批判する http://www7.ocn.ne.jp/~murou/scope/scope1/interview.html

要約すると、海外ではとうの昔に時代遅れとされているとの事。サイト主はジャーナリストのようだし、 ページ内に登場する、ディプログラミング(Deprogramming)、脱会カウンセリング(exit counseling)、 アイリーン・バーカー(Eileen Barker)などはいずれもこの記事の英語版に言及があるので信憑性もそれなりにあるのかもしれない。 てか、現在の日本語版の記事には未だにまともな資料が無いにもかかわらず、敏感な問題を扱うこの長文の記事に対して「検証可能性」のタグが無く、 反対論の存在や主張の記述すら全く無いのに「中立的な観点」のタグが無い事には戦慄さえ覚えるよ。 いっそのこと現在の記述は破棄する事も視野に入れ、英語版の翻訳をベースにしてしまったほうがいいんじゃね?(元ウィキペディアン)240F:68:1A55:1:502F:DBE3:D2B0:FEA0 2014年7月20日 (日) 08:02 (UTC)

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