ノート:ラバウル航空隊

最新のコメント:6 年前 | トピック:アブダミンではなくアテブリンではなかろうか | 投稿者:60.237.130.126

利用者:Su rootさんの作業報告 編集

  • 2007/01/21 「ラバウル航空隊の歴史と伝統」の項を新規で後半部に記入、Wikipedia記述ルールに則り、事典情報となるように注意した(感想や評価はなるべく排除し史実のみ)。参考文献も以前の人と異なるので分離した。
    • それ以前に書かれていた前半記述範囲[・ラバウル航空隊、・概要、・評価、・著名なエースパイロット まで]の記述は触れずそのままに残しましたが、概要・評価のところは事典内容ではなく意見になっているような気がするので、書いた文責ある人に雑誌記事文と比較、ご検討お願いしてください。--Su root 2007年2月17日 (土) 19:37 (UTC)返信

(2007.02.05 夜、記述競合発生のため文章が乱れたので一度戻しました)

  • 文責ある後半部の参考文献に、参照に使った『海軍戦闘機隊史』記入忘れ、追加しました。(su root 2007.02.10)
    • 後半部の参考文献に、参照で使わなかったはずの坂井三郎「大空のサムライ」が記入されていたので、エース・パイロット欄のある前半の参考文献へ移動させてもらいました。
  • ラバウル航空隊の歴史と伝統の項に長すぎるので分割を検討してください、という Wikipedia 表示がでたので、節の分割を検討します。(su root 2007.02.10)・・・竃馬さん修正されていました、お礼。--Su root 2007年2月17日 (土) 19:37 (UTC)返信
  • Wikipedia でコメントいただいたので、この「ラバウル航空隊」プロジェクトの後半部「ラバウル航空隊の歴史と伝統」について、もういちど、事典にふさわしくない意見内容や出版著作物文章の引用が含まれないことを吟味しました。引用ではないけれど物語風内容に陥り事典にふさわしくない個所は削除しました。そのうえで意見や評価に類似した表現になってしまっていた個所については削除・修正してみました。(su root 2007.02.10)
  • ラバウル航空隊の前半記述、長期間見てたのですが内容訂正されなかったので、休日利用して誤記修正しました。事典として事実中心に、不適切な出所不明な個人研究意見を削除修正しました。参考文献は、前半部分の資料は後半部分の参考文献を参考にした2次資料で特に分ける必要ないのでは?と考えています。支障ありましたらご指摘おねがいします。--Su root 2007年3月27日 (火) 08:31 (UTC)返信

セクション区切りを冒頭に作りました。表題は問題があれば御修正ください。--Snlf1 2012年2月3日 (金) 10:22 (UTC)返信

ルンガ沖夜戦その他 編集

>『東京急行』輸送任務の水雷戦隊駆逐艦が太平洋戦線における連合艦隊最後の栄光ある伝統を発揮、彼らはこの後もドラム缶糧食輸送の『ねずみ輸送』続行
この記述には事実関係が無いためPOVに見えます。またこの前の第三次ソロモン海戦についての記述もそうですが、referenceが長過ぎて「ラバウル航空隊」を逸脱しています。これらはそれぞれの項目が別に存在しているのでそれらへの参照とすべきでしょう。その他にも多々あるようで一度に指摘し切れませんが、以上整理を提案します。基本的に、本題と直接関係の無いまとまった内容を追加する際は、別項目の有無を調べ、それらへのリンクを張り必要ならリンク先を編集するようにしてください。Caspar 2007年6月13日 (水) 05:13 (UTC)返信

異議が出ないようなので修正を開始します。しかし見辛い。どう見てもラバウル航空隊ではなくてソロモン戦通史ですね。ソロモン諸島の戦いという項目が別にあるのをご存じだったようですが、それで敢えてこうした理由が不明。細かな雑学知識も多過ぎるので、出典・根拠不明のものは整理して行きます。Caspar 2007年7月5日 (木) 06:43 (UTC)返信
  • Wikipedia は様々な見解をもつ多くの人々の編集が歓迎されています。Wikipediaに投稿される人は、投稿記事文章はすべて後から他人により自由に編集されることを歓迎するのがルールで、他人に編集されることを嫌がる人はWikipediaの場に投稿していないでしょう。文章が得意な人、科学知識が得意な人、色々こねてよくするものだと思っています。投稿する前の確認事項では、著作権遵守(しかも、確認したい人は出典参照文献を調べられるようにする)とともに、事典にふさわしくない個人的な研究や意見評価、感想が混入しないこと、修正に際し事実を示す参照文献があること、小説・物語ではない事典の文章であること、中立的立場を逸脱しないこと、のようです。Wikipediaでは、著作権遵守しつつ読む人が検証可能なために複数の資料からみるように推奨されています。文章編集には複数の資料を調べて資料列挙が必要なようです。
  • ラバウル航空隊を事典記事に書くと長大な記述になります。物語風に修飾して書くと言い回し選択に個人的な意見や評価の表現を避けることが難しく、それはWikipediaでは禁止されていると知りました。日本語版のWikipediaのソロモン諸島の戦いの項目を見ました。記事には事典記事としては編集すべき個人意見や評価が入っている物語風のところがところどころあり、参考文献提示が多く欠けているのには気づきましたが編集訂正する複数資料は持ち合わせていませんし個人ボランティアでそこまでWikipediaに貢献はできませんでした。田中頼三元海軍少将については戦後かなり年月経た頃に米軍関係刊行誌にご自身が寄稿されたことを示す記述を古い出版本の中の引用で読んだことがあります。けれどもわたしはその米軍刊行本原本は入手や確認できておらず、あるいは他に引用文献として採用された資料本を複数種類は見つけていないので編集追記はできませんでした。
  • また、英語のWikipediaのソロモン戦記事をみたことがあります。良心的で、英語圏の人には研究者にも使えるほど検証可能であろう多数の第1級の参照文献とノートのマークがいっぱいで、記述小項目1つづつに参照が詳細についていて様々な人々が出典文献ページを検証することが可能で、本来あるべきWikipedia記事に印象をうけた経験をしました。できれば日本語版Wikipediaソロモン諸島の戦いも英語版Wikipediaのソロモン戦の記述のように豊富な参照文献付きに直したあとで(参考文献多いので翻訳そのままでよい)、こちらのソロモン関係の記述を削るのもよいとおもいます。
  • 最近もエアワールド誌で押尾一彦氏が連載されている記事などをよめば、ラバウル航空隊はソロモン航空戦、東ニューギニア航空戦そのものです。ラバウル航空隊は戦闘機だけではなく攻撃機隊、爆撃隊基地でもあり、戦闘機隊には輸送船団直掩が作戦の重要な任務の一つでしたので、私には市販本で実際の情報入手困難だったこの方向での拡張を期待しています。編集前には個人ページで自己紹介を記入おねがいします。--Su root 2007年7月7日 (土) 22:06 (UTC)返信
  • これからの編集に面倒にならないように一度大雑把に整理しました。参考文献やノートもWikipediaのテンプレートつかう形式に直しました。ずっと以前にだれかが書き込んでいてめざわりだった書籍の丸コピー文章部分は、念のためコメントアウトしておきました。よろしくおねがいします。--Su root 2007年7月9日 (月) 11:14 (UTC)返信
まず、熱意は解りますが、ここは「ラバウル航空隊」という一項目の編集について討議する場です。一般論を長々と書くのは控えて下さい。次に、「ラバウル航空隊はソロモン航空戦そのもの」という視点は興味深いですが、それ自体が独自研究もどきです。今更昔の形にリバートすべしとは言いませんが、戦域概観は飽くまでソロモン諸島の戦いを充実させて行くのが筋と思います。最後に、ところでルンガ沖夜戦と第三次ソロモン海戦への参照を削除したのは何故ですか? 参照程度はあっても良いと思いますが。ガダルカナルの戦いについて記述削除し参照にて置換された点については全く賛同します。同様の修正を実施しようと思っていました。Caspar 2007年7月11日 (水) 04:12 (UTC)返信

記述の中立性について 編集

気になる記述が散見されるため書いておきます。まず、この記事において「味方=日本軍、敵=連合軍」ではありません。敵も味方もなく只日本軍と連合軍があるだけです。例えば「我が軍が勇戦敢闘し大いなる戦果を挙げた」などという記述があったら論外だということです。「交戦の結果日本軍がこれこれの戦果を挙げた」等とするのが最低ラインでしょう。何故ならwikipediaは日本人限定の媒体ではないので、日本語を読める人でさえあれば、欧米人が読もうが東洋人が読もうが感情を害されず等しく客観的事実を汲み取れるので無ければ、そもそも項目として意味がないからです。手癖で書いてしまうのかも知れませんが注意してください。Caspar 2007年7月13日 (金) 08:33 (UTC)返信

この分野の戦史関連記事に触れる機会や戦史記事調査機会がなくて気になるのだろうと理解しています。enemy (敵) は、軍としてその時代に戦うべく命令された相手軍で、悪人ではありません。wiki 記事では、主題に対する敵味方、戦略戦術布陣などで簡潔明確な表現理解のため以下の記事記述のような場合に enemy (敵) が使用されます。米海軍、日本海軍の action report 公刊戦史・戦闘詳報でも常用されました。
米軍軍事行動をテーマにする英文記事で、 WW2 当時の日本が enemy として記述されているために気分を害する人は少数派です。wiki 記事評価クラス基準ではこのために項目から客観的事実を読めない、項目として意味がないとはみなされません。また、当時の将兵が相手の弱さを嘲笑的に呼称して自らの強さを下品に自慢したのは事実なので、turky shoot (七面鳥撃ち) は wiki 記事に記述されても stub や論外にはされません。
wikipedia では次のような主要記事記述で enemy (敵) が使用されています。
Wikipedia が推奨する代表的な戦史記事
Battle of Midway は one of the best articles produced by the Wikipedia community です。
Wikipedia が B クラスと評価する主要な戦史記事
Battle of Iwo Jima
Battle of the Philippine Sea
Manfred von Richthofen
Aviation WikiProject (Rated B-Class)
Military history WikiProject (Rated B-Class)
古代戦史上の記述例
Caesar's invasions of Britain
WW2 連合国側の戦士関係の業績記事が記述される場合、敵 enemy は日本 Japanese, 連合国側に参戦する前のイタリア Italy, ナチスドイツ German として記述しています。
--Su root 2008年3月23日 (日) 12:44 (UTC)返信

記事改善についての提案 編集

本記事における問題点として、不要と思われる表記(「4空陸攻隊搭乗員たちはその写真を見ていた」等後述との関連において不要と思われる文)、書籍からの写しが疑われる言い回し(確認する書籍がないため本文文体からの推定。事実でなければこれは訂正します。)、意味不明な文、または見出し(「低速で数往復し写真撮影したが戦闘機に迎撃されず被弾し生還した。」「中攻 1942 春」など)等問題点が複数見られ、百科事典として改善の余地が多々あると思われます。
また、細かく参考文献まで挙げられておりさぞ努力されたのだろうとは思いますが、ウィキペディアは何ではないか"百科事典として適切となるよう体系的に整理し、文章による解説をしてください。また、100%真実だからといって、百科事典の項目に相応しいとは限りません。"とあるように、事実を箇条書き的に羅列する事は記事として正しくありません。
あまりに記事が長く、有志の編集では修正が困難かもしれません。百科事典の記事として他にも問題があるようですので、場合によっては削除の方針 ケースE: 百科事典的でない記事(百科事典的な記事に成長する見込みのないもの)も考慮に入れて議論する必要があると思われます。--124.110.84.193 2009年9月4日 (金) 14:43 (UTC)返信

たまたま目にしただけなのでコメントのみ。まず、書籍からの写しが本当に疑われるなら、ケースB-1で削除依頼を出す必要がありますが、その解説にあるように「原則として、侵害元が確認できない場合は削除されません」。意味不明な文書は例示されているようなものであれば編集での修正は容易と思われます。見出しは問題があると言っていいかどうか即断はできませんが、仮にあったとしても編集で修正可能です。それらを排除すると、記事が長いというのはケースEでの削除理由には当たらないと考えます。「世界の一体化」のように長い議論を経て修正された例もあり(ノート:世界の一体化参照)、時間はかかっても有志による編集での修正は困難ではないと思います。--Rollin 2009年9月15日 (火) 05:45 (UTC)返信

確かにここの記事は色々と問題があるのかも知れませんが、この上の節にある「ラバウル航空隊とはソロモン航空戦、東ニューギニア航空戦そのものです」というSu rootさんの見方は大変興味深く、また、航空作戦は特定の地域の戦闘や海戦にとらわれない性質のものなので、単純にソロモン諸島の戦いの戦役記事の中に組み込むのも難しいと思うのです。また、ラバウル航空隊が所属した南東方面艦隊は日本海軍の組織の中でもやや特殊な性格があり、中央の戦略指導に必ずしもとらわれない作戦指導をしておりました。また、南東方面艦隊設立前の組織にも様々に変遷がありました。ですから南東方面の戦いを概観する上で、南東方面艦隊(とその前身の十一航艦)の作戦を時系列的に追う事には個々の戦役とはまた別に意味があると思いますし、ここの記事は南東方面航空作戦の通史としての体裁はすでにとれていると思いますので、これをたたき台として南東方面航空作戦を概観出来るような記事にみんなの手で作り上げていけたらいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--codfish 2012年1月27日 (金) 12:37 (UTC)返信

追記:とりあえず目についた部分の提案をします。

 ①記事導入部分の「ラバウル航空隊とは~」の「ラバウル航空隊」の定義ですが、ちょっと曖昧な気がします。戦史叢書などにもその名前が無いのでこれは俗称かと思いますが、いつ、誰が言い始めたのか、なんらかの解説が必要ではないでしょうか。個人的には軍歌ではないかと思うのですが…

 ②ラバウル航空隊#ラバウル航空戦とそれ以下に続くラバウル航空隊#ラバウル航空決戦 1944ラバウル航空隊#連合軍ラバウル迂回方針は重複している内容があり、解説の解説になっているような形です。セクションのタイトルもちょっとわかりにくいし、年表形式にするなら単純に年ごとにセクション分けをし、特記すべき項目は末尾にまとめて書いた方がすっきりするのではないでしょうか。
 ③記事の内容もそうですが、出典もちょっと多すぎるような気がします。雑誌の記事などからの引用も多く、雑多な羅列のように感じます。これでは読んだ方が出典を確認するのも一苦労です。公刊戦史など、信頼できる文献でフォローできる部分はなるべく一つにまとめて記載するべきではないでしょうか。個人的には個人の回想のたぐいは、1次資料がなく、それ以外では解説が不可能であるような特殊なケースを除いてなるべく使わない方が良いのではと思います。
 ④個人的にこのページに書かれている記事にずっと違和感のような物を感じております。それはラバウル航空隊を組織として見るか、エースパイロット集団として見るか、編集した人間によってまちまちな視点から記事の編集が成されたせいではないでしょうか。私は前者の視点に立つ者ですが、このページにどういう性格を持たせるのか、はっきりしなければならないのではないでしょうか。--codfish 2012年2月3日 (金) 05:02 (UTC)返信

さらに追記:ラバウル航空隊#連合軍反攻開始の1942年9月12日に行われた日本海軍機の攻撃について「日本海軍側は米軍機11機を撃墜し日本側の陸上攻撃機3機の自爆を報告。同日、米軍側は日本軍爆撃機10機と零戦3機とを撃墜と報告、戦功によりスミス大尉は少佐に昇進。あるいはこの直掩零戦隊15機を台南空零戦隊とし 、米軍側の戦闘機17機と交戦、日本海軍側は米軍戦闘機13機を撃墜し20機を地上破壊し、日本海軍側の陸上攻撃機の自爆2機、未帰還2機を報告。」とありますが、後半の「あるいは~」以下の解説が意味不明です。同様に、1942年11月14日の日本海軍機による輸送船団の護衛について「早朝から米軍機8波のべ100機による攻撃に対し、日本側は零戦のべ32機、水上機のべ14機が上空直衛に当った。輸送船員達に見えた限りでは朝から船団上空を護って米軍機を迎え撃ってくれたのは水上機だけで、身軽な多数の米軍戦闘機に包囲され簡単に撃墜されながら1機1機次々と突っ込んでいったと伝える。あるいは、同日同戦域で船団上空警戒にあたったのは基地航空隊および空母飛鷹の零戦隊であって、来襲したB-17および米空母機と空戦した、とする」とありますが、やはり後半の「あるいは~」以下の解説が意味不明です。事実がよくわからないから両論併記のような体裁をとったつもりなのでしょうが、航空作戦の損害や実際の部隊配備は公刊戦史や行動調書で確認する事ができます。戦闘経過については20世紀の戦争ですら未だに不明な点が多いのは事実ですが、それならば可能な限り資料の突き合わせを行い、それでも判明しなければその旨明記した上で解説を試みるか、事実がはっきりするまで記事にするのは控えるのが記事編集にあたるものの姿勢ではないでしょうか。このページが雑多な状況になっているのは、事実かどうかを吟味した形跡も薄い事柄を羅列しているからのように思います。どうも編集に関わった方々は出典さえ明記すれば何を書いてもいいと思ってらっしゃるのではとさえ思います。事実は一つです。両論併記はあくまでも検証が困難な事柄に留めるべきです。そうでなければ閲覧者をいたずらに混乱させるばかりではないでしょうか。

もう一つ、このページの記事は例えば「1942年 2月10日 千歳空分遣隊と高雄空陸攻隊で4空を編成。(森玉司令、宮崎飛行長、岡本飛行隊長)」のように各航空隊の基地展開の解説に人事に関する記載がありますが、「森玉司令」では誰だかわかりません。人事に関する記載を徹底するなら少なくともフルネームで、できれば当時の階級なども記載し、wikipedia内に記事があればリンクをはるべきではないでしょうか。個人的な意見としては、今言った事と矛盾するようですが、人事に関する記載はそれぞれの航空隊の記事を充実させれば良いと思うので、草鹿任一南東方面艦隊司令長官就任のような部隊全体に関わるような人事を除けば、このページであえて記載する必要はないように思います。--codfish 2012年2月3日 (金) 09:29 (UTC)返信

たしかに構成から大きく整理し直す必要があるように思います。
(1)「ラバウル航空隊」の定義ですが、さしあたり手元の渡辺洋二『遥かなる俊翼』文春文庫2002年では、ラバウルと周辺基地に展開した数多くの海軍航空部隊を意味することは、戦史をかじったものの常識としています(293頁)。渡辺も、陸軍機の存在は認識してマイナーな存在として触れていますが。起源は気になります。
(2)現状の半端な年表形式は好ましくないでしょうね。概要節はあるものの、そこから先が一気に細かくなり過ぎて理解を妨げている気がします。せっかく出典付き情報があるのを削るのは最小限にとどめるとすると、文章形式で通史を解説して、細かなことは記事末尾の年表に落とすというのが手かもしれません。草鹿任一などの軍人記事でよく見られる年譜節の感じで。
(3)史料批判を要する個人戦記類の利用は補充的にすべきというのは同意見です。メジャーな題材なので資料不足に困ることも無いでしょうし、二次的な戦史解説書を使った方が情感を抑えた事典的解説に仕上げやすいのではないでしょうか。
(4)事典である以上、組織としての扱いになるでしょうね。歴史書や戦記小説であればエースパイロット列伝の形式も良いのでしょうが。
(5)両論併記のことですが、一般論から入れば、Wikipedia:中立的な観点というルールからすると基本的に両論併記が望ましいようです。また、矛盾する資料がある場合にWikipedia執筆者が突き詰めた検討の結果「結論を出す」ということは、Wikipedia:独自研究は載せないのルールに抵触する危険が大きくなります。「事実は一つ」ということに関してはWikipedia:検証可能性というルールもあり、うかつに「真実はいつも一つ!」とは言えません。
ただ、そもそも記事に書くことかの取捨選択が不十分で過度に細かなことまで書いてしまっているから、些細な争点が表面化しているという指摘は同意見です。あまり細かな話は削り、あるいは個別の戦闘記事として独立させて処理することが必要でしょう。codfishさんが作成中のルンガ沖航空戦のほか、映画フィルムのある1944年1月17日の空戦あたりは独立記事にする特筆性がありそうです。
(6)編制関係のことに関しては、編制の推移をまとめた節があると便利かもしれないと思います。各航空隊の人事までは、よほど特別な事例以外立ち入らなくていいでしょうが。なお、たしかに人名は初回はフルネームが欲しいですが、資料に名字しか書いてないことも多々あるので、努力事項かなあと思います。--Snlf1 2012年2月3日 (金) 10:19 (UTC)返信
早速のお返事ありがとうございます。ラバウル航空隊の定義に関しては私も、渡辺洋二氏の「ラバウル上空の完全勝利」の序文に書いてある記述が最も簡潔に言い表していると思っていました。ただ、せっかくなので、一度深く掘り下げて調べてみたいと思っております。また。両論併記の件はなるほどおっしゃる通りで、「事実は一つ」という言葉は論争の種になりかねませんね。ただ件の記述はあまりに無責任で、もう少し正確な記事にできるはずですし、他にも飛行第68戦隊のラバウル進出時の事故に関する解説も、ただ雑誌の記事を引き写しただけなのではないかというくらいいい加減な記述に見えます。どこから手を付けたらいいのかと思うほどですが、まずはそうした裏付けが容易に取れる記事から修正、加筆しようかと思っております。その他、出典も明記されず、しかも曖昧でどう見ても事実とは異なる記述も削除、もしくは修正する作業も一つ一つやっていこうかと考えております。全体的な記事の再構成に関してはもう少し時間をかけ、他の方の意見も織り込んで皆で編集していく方向で考えております。もし今後また何か意見がありましたら、どうぞお聞かせください。また、可能であれば記事改善作業にも参加いただけたら助かります。--codfish 2012年2月3日 (金) 15:50 (UTC)返信

アブダミンではなくアテブリンではなかろうか 編集

アブダミンという薬がどういうものか気になったので調べたが、検索結果では出てこず。実在した薬であるのか怪しいと思い調べたところ、おそらくアテブリンの間違いであると推測されるので修正した。 ま、薬の名前なんてどうでもいいことなのだろうが、せっかく調べたので。なお、出典は個人のサイト[1]だが、しっかりと文献から調べられているのでアテブリンがラバウルで使用されていたマラリア治療薬であることには間違いないと思う。--60.237.130.126 2017年7月19日 (水) 13:34 (UTC)返信

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