ノート:国際連合/過去ログ1

最新のコメント:12 年前 | トピック:敵国条項について | 投稿者:ゴーヤーズ
過去ログ1 過去ログ2

国連は、同盟国が中心になって出した連合国宣言から発展的に組織された組織ですよ。直し返す気持ちは失せました。喧嘩するつもりもないし、論戦するつもりもないので、単純な事実ですから。それから、もう日本語のWikiPediaに参加するつもりもなくなりました。本当に喧嘩するつもりはありません。ただ、記述はまちがっていますよ。では。

Alliesの日本における訳語は通常「連合国」であって「同盟国」ではないのでは。だから「同盟国」→「連合国」と修正されたのだと思いますよ。もう少し主張に関して説明を加えた方がよいのでは。>上の方 Corruptresearcher

英語版を元に、公用語に関する記述を加えました。また、United Nationsの訳語の件に対して事実関係に関する追記等を行い、冒頭に記述するのは座りが悪いので別章を設けました。別ページにした方がよいのかもしれない… Corruptresearcher

「連合国共同宣言が、戦後に国際的な平和維持機構の再建することを明確に打ち出しており」という表現がありますが、共同宣言の 条文を見てもそのような記述は見当たりません。ほかの宣言と混同しておられないでしょうか?Corruptresearcher 2004年7月29日 (木) 01:37 (UTC)

連合国共同宣言は大西洋憲章に賛同する形式になっています。Poppy 2004年8月18日 (水) 09:29 (UTC)
しかし大西洋憲章の中でも「平和維持機構」の再建、を明言はしていないですよね。そう読めなくもない部分はありますが。ちょっと現状の文章では違和感があります。違和感といえば、この段落そのものに違和感があるのです。「その先見の明を称えて」とか、根拠となる資料があるんでしょうか。この部分を書かれたわけではないPoppyさんにお聞きするのも筋違いですが。根拠がないようならこの段落を削除したい。Corruptresearcher 2004年8月19日 (木) 11:44 (UTC)

United Nationsの訳語の件

United Nationsの訳語の件、見出しのタイトルまで「誤訳」とするのは中立的ではないと考えますので、「訳語」に戻しました。 文中では誤訳の可能性について触れているので、それで十分かと思います。 また、項目の最初にもってくるような話ではないと思います。これももとの位置に戻しました。 ご意見を伺いたく。Corruptresearcher 2004年8月14日 (土) 08:18 (UTC)

United Nationsの訳語について、「国際連合という言葉を初めて用いたのは外務省であり、当時の日本としては連合国という翻訳は些か抵抗があるとして、1956年に国連に加盟する際に、United Nations国際連合と意訳した経緯をもつ。」との文章が本文中にありましたが、「国際連合」という語を初めて用いたのは誰か、という点について根拠がないことと、初出時期についておそらく誤っているため、削除しました。調べたところ、少なくとも1947年(昭和22年)には国会において「国際連合国」ないし「国際連合」という語が使用されているようです(前者は「国際連合加盟国」の意か?) [1]。 また、おそらくはこれ以前にもマスコミ等でUnited Nationsについて報じられていただろうと推測でき、語の考案者が外務省である、というためには何らかの根拠が必要かと思います。Corruptresearcher 2004年10月6日 (水) 09:09 (UTC)

以前から気になっていたのですが、「国連の組織名として United Nations が採用されたのは、国際連合設立に尽力しながらも国連憲章調印の数週間前に亡くなったフランクリン・ルーズベルト大統領に対する敬意を表すために、 連合国共同宣言(Declaration by the United Nations)からとられたもので、1945年のサンフランシスコ会議の出席者全員によって合意された。」という文章の「ルーズベルト大統領に対する敬意を表すため」というのは、何かソースがあるんでしょうか?議事録や回顧録等、根拠となる文献がありましたらどなたかお教えください。Corruptresearcher 2004年10月6日 (水) 23:31 (UTC)

ソースがないようであれば削除しようかと思うのですが、いかがでしょうか。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 05:24 (UTC)
一応、信頼してもよいかと思えるソースがありました[2]Corruptresearcher 2004年10月17日 (日) 03:39 (UTC)

United Nationsの訳語について。Corruptresearcher様へ。

「国際連合」という語を考案したのは外務省の翻訳局です。「国際連合」という言葉が使用されているその国会答弁を、国会議事録でしっかり確認してみてください。国会議事録は国立国会図書館にありますのでどなたでも閲覧可能です。誰が初めて用いて誰が答弁したかが詳細に記されています。また戦後外交関係史、その他関連文献を参考にされてもいいと思います。初出時期については誤解を与える表現で申し訳ございません。確かに「1956年に国連に加盟する際に~」ではなく、戦後すぐの国連発足時の段階辺りで翻訳局の方で考案されていたそうです。

すみませんが、初出についてご存知なのであれば具体的に書いていただけると助かります。ご存知の情報は示していただいた方が効率的だと思いますが、いかがでしょうか。私が調べた限りでは、昭和22年8月21日の商業委員会で貿易廳長官永井幸太郎が発言しているのが初出のように思えます。また、外務省翻訳局で考案したという件、出典についてお教えください。本文にも参考文献として示した方がいいのではないかと思われますので。「翻訳局」は、明治期には存在しましたが終戦時には存在していなかったかと思います。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 05:24 (UTC)

御返答致します。Corruptresearcher様へ。

御説明するまでも無いとは思いますが、日本国として「国際連合」という組織に加盟する際に、国連憲章という「条約」を締結致します。「条約」は英文のままで告示されることはなく、外務省によって「日本語」に翻訳されて告示されます。この翻訳に関してはご指摘の通り「条約局」であったかも知れません。国連憲章は1956年 外務省告示138号の「昭和31年12月19日 条約第26号」に示されており、日本国政府として初めて「United Nations」の翻訳表記を正式に「国際連合」と採用して表記しています。まず第一点として述べておきたいのは、誰が最初に公の場で用いたという議論よりも、日本国として「United Nations」の翻訳を「連合国」ではなく「国際連合」という表記を採用したのは外務省であり引いて言えば日本国政府の裁量であり、加盟前後の国会答弁も含めて、日本の国連の加盟の際に「連合国」という表現では国民に抵抗があると言うことで「国際連合」という表記を採用したわけなのです。

また国会答弁に関してですが、こちらでも再度詳細を調べてみましたが、当時の国会の答弁での「United Nations」にはかなり様々な表現が用いられています。貴殿の記載の通りに「国際」という表現を国会で初めて答弁されたのは確かに御記載の通りであると思います。「国会議事録」で確認されると分かると思いますが、当時固まった表記方法はなく政治家、大臣以下各個人の判断表現で行われていました。そして第二点として述べておきたいのは、当時「国際連合」に近い表現は様々ありましたが、「国際連合」という表現を初めて翻訳して用いていたのは外務省の人間であり、その表現を聞いて各政治家が国会において答弁に使用していたものと推測されます。貿易廳長官永井幸太郎先生が個人的に自らの語学力で翻訳して表現し用いていたと言うのは考えがたいのではないでしょうか。

外務省の誰が始めに考案したかはまだまだ調査の残るところではありますが、お互い色々と調べて参りましょう。また以上のような詳細な記載や出典も本文に載せてもいいのですが、広く一般的にお知らせしていくのは要点だけでよいのではないでしょうか。今後ともよろしくお願い致します。


本文中への記載についてはノートで議論した後でもよいかと思いますが、少なくとも、ノートでの議論中は出典を記載してください。でなければ検証が不可能であり、議論の意味がありません。また、外務省が翻訳した意図について、かなり確定的な表現で書いておられたので出典があるものと考えていたのですが、違うのでしょうか。また、戦後成立した国際組織としてのUnited Nationsに対する訳語として、「国際連合」以外の語が国会で使われた例がある、ということでしょうか?そうであれば具体例をお教えいただければと思います。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 06:35 (UTC)

Corruptresearcher 様へ。

自分の説明不足について大変申し訳ございません。今一度述べさせて頂きますと、自分の記述の主旨は『「United Nations」の翻訳にいて、戦後の日本は「連合国」ではなく「国際連合」という訳語を採用していること』を知って欲しいがために記述しております。そしてこれに対し『なぜ日本は「国際連合」という翻訳を考案して採用したか』という疑問について自分なりに記述させて頂きました。誰が最初に用いたとか、どこで用いられた等の詳細について出展など一つ一つ内容を深めていくことも重要だとは思いますが、自分が伝えたい点はこの一点だけでありますから、その他の記述の表現に正確さが欠けているのであれば陳謝致します。

また、記述の根拠として出展は何かを求められておりますが、どんな意図で翻訳されたかについては検証は不可能だと思います。何せ原爆投下についても非難するという声明は出すことができない日本政府ですから、本音の正確な検証となると本職の学者の間でも議論は尽きないと思います。ゆえに通説一般という形で記述させて頂きましたが、これが不正確と言うことであれば陳謝致します。

ここでは、知られざる知識を広く一般的に伝えていこうことを主眼とした「百科事典」サイトだと認識しております。Corruptresearcher 様がご熱心に訂正なさっておられることに深く敬意を表します。しかし、正確さを探求なさるのであれば、記述された文章に対し出展が無いから不正確と言うだけでいきなり削除をされるのではなく、Corruptresearcher 様の方からも「こういう根拠で間違っているため訂正する」と言った形で、はっきりと間違っているという根拠を示し証明されてから訂正なさって頂ければと思います。このサイトの多くの記述の中でも、中には出展がはっきりと存在しないものもあると思います。それがすべて不正確だからと言って削除されるのはどうかと考えるのです。如何でしょうか。

まず申し上げますが、他の記述が不正確だからといって、不正確な記述が一般に許されるわけでありません。我々は可能な限り、妥当な根拠に基づいた記述を心がけるべきです。また、私が議論もなく削除したかのような表現をしておられますが、具体的にはどの編集についておっしゃっているのでしょうか。私は修正前にノートで議論を行っているつもりです。最後に、対象としている記述部分ですが、公的な資料としての根拠がない、という点については了解しました。当初の表現では、公的な資料としての根拠があるかのような確定的な表現となっていましたが、推測の域を出ないのであれば私が修正した表現の方が適当かと思います。ただし、推測に基づく一通説にしても、具体的にどのような人がその説を述べているか、程度については記述が必要かと思いますので、どなたの説によるものか、引き続き出典の提示をお願いできますでしょうか。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 09:19 (UTC)

Corruptresearcher 様へ。
まず御修正について感謝申し上げます。
第一の御質問について

ソースがないようであれば削除しようかと思うのですが、いかがでしょうか。Corruptresearcher 2004年10月11日 (月) 05:24 (UTC)

以上のような方法は如何なものでしょうか?記載者の方に問い合わされるのが一番いい方法ですが、「ルーズベルト大統領に対して敬意を表して」というのも本当かも知れませんし、「修正」ではなく「削除」されるのであれば、議論を投げ掛けるということではなくCorruptresearcher様自身も、御自分の力でこの記載について検証し、はっきりと違うと判明した時にのみ「削除」は許されるのではないでしょうか?

第二の御質問について
再度述べさせて頂きますが、一般に政治に関する「逸話」というものはその多くは通説でしか存在しえません。従って記載について文献、論述、その他出展が存在しないものも多々あります。誰が唱えたとか、どこで聞いたと言うような詳細を正確に確認することは不可能です。自分がこの記載について知ったのも各方面からの「話」としてであります。しかし、それでも知られざる知識として広く一般的に伝えていこうというために記載させて頂きました。主旨を理解して頂けたら幸いです。

まず第1点ですが、通常、「ある事象が存在する」と主張する側に立証責任がある、というのが通常の議論のルールです。「ある事象が存在しない」と証明することは一般に不可能であるからです。一般には悪魔の証明と呼ばれ、あなたもご存知なのではないかと思うのですが。ただ、この件については尤もらしい話ではあると思い直したため、私も気が向けば探してみるかもしれません。が、立証責任は著者側にあるという点については念のため繰り返し申し上げます。日曜まで待ってみますが、その時点で出典が明らかにならなければ削除しようと考えています。この件、2ヶ月前にも本ノート中で提起していることを合わせて申し添えます。
次に第2点についてですが、それでは通説どころか、ただの風説、うわさ話の類いのように思われます。少なくとも、誰がそのように主張しているのか、について、現状では曖昧すぎるので、具体的な言及が必要と考えます。Wikipedia:言葉を濁さないもご参照ください。現状では最後に書かれているガイドラインに反していると考えます。しばらくは出典の提示をお待ちしますが、日曜の時点でご呈示がなければ、削除させていただきたいと思います。出典等が明らかになり、前述のガイドラインに抵触しないと考えられる状態になれば、再度加筆いただければ、と思います。ちなみに、あなたご自身はどこでその説をお聞きになったのでしょうか?「各方面」などとおっしゃらず、具体的にお教えください。曖昧さを排除した適切な表現を一緒に考えていくことは可能かと思いますので。--Corruptresearcher 2004年10月12日 (火) 09:36 (UTC)

Corruptresearcher 様へ。
御主張の程は重々承知致しておりますが、当方の主旨についても幾許か理解して頂ければ幸いでした。「逸話」が単なるうわさ話かどうか、今後は貴殿の方で今一度『なぜ日本は「連合国」ではなく「国際連合」という翻訳を考案して採用したか』について貴殿なりに調査し御検討下さい。この疑問に関して貴殿ご自身の調査による新たな記載をお待ち申し上げております。
以後この記載についての御判断は貴殿の御意向にお任せ致します。ありがとうございました。

正直申し上げて、あなたの議論のなさりようについて、極めて不快感に近い違和感を覚えます。結局最後まで、「貴殿なりに調査し御検討下さい」と、挙証責任を放棄して相手に押しつける姿勢は、ウィキペディアに執筆する態度として望ましくないと考えます。根拠がないなら無いなりに、早々に表現を取り下げていただけば済んだ話です。にもかかわらず、「国会議事録でしっかり確認してみてください。」「詳細な記載や出典も本文に載せてもいいのですが」「自分がこの記載について知ったのも各方面からの「話」として」等々、根拠・出典があるかのように匂わせつつ最後までなんらご呈示いただけないのはどういうことですか。失礼ながら非常に不誠実な態度だと申し上げざるを得ません。本件、私としては当初「そういうこともあるかもしれないし、与太話としてはよく耳にするが、いったい皆どのような根拠で喋っているのだろう」と感じていたに過ぎなかったのですが、今回の議論で「実は皆根拠もなく述べているのでは」という疑念を抱くに至りました。マイナス方向に関心が高まったので、今後何か調べるかもしれませんが、とりあえず当該部分は根拠なしとして削除すると思います。--Corruptresearcher 2004年10月12日 (火) 16:32 (UTC)
結局、「逸話」どころか虚偽の事実でした。また、訳語の件については「日本との関連」の項にまとめました。Corruptresearcher 2004年10月17日 (日) 03:39 (UTC)

傍から見てても変なことで議論してるね。どうでもいいじゃん。○チャンネルみたい。

どうでもいいことを真剣に議論するのが楽しいんじゃないですか(^^;--Corruptresearcher 2004年10月17日 (日) 03:39 (UTC)
>結局、「逸話」どころか虚偽の事実でした。 --というのは、1944年12月に公になった文書に記載されていて、「戦後」ではないからですか? それだったら、「虚偽」と言い切ってしまうのはちょっと言い過ぎではなかろうかと思うのですが。主張のポイントは、「戦後かどうか」ではなくて、「「連合国」という訳語に抵抗が予想されるために「国際連合」という語を採用した」ということなんでしょうから。もちろん、形式論理的には「戦後~」というのは「偽」の命題でしょうし、「なかった」ことを証明することは事実上不可能なことが多いので、何ともいえませんが、少なくとも、人口に膾炙している「敗戦」→「終戦」、「占領軍」→「進駐軍」という事実上の言い換えの例もあることだし、全く根拠のない主張だとは言い切れないのではないかと。私だったら、「~という見解がある程度支持されているようだが、積極的に裏付ける資料は見あたらない」くらいの記述にしますが。誰が言っているか、でウェイトをかけすぎるのもこの場にふさわしくないとは思いますが、高名な外交評論家も自らの見解(想像)として、そのように語っているようですし。[3]積極的に裏付ける資料がなくても、そのような見解がある程度流布していること自体、この項目に収める意義のある記載だと思います。220.209.111.5 2004年11月8日 (月) 15:49 (UTC)
すみませんが、ご趣旨がよくわかりません。1944年に外務省が翻訳するにあたって、どういう種類の「抵抗」を予想したというのでしょうか。また、件の外交評論家は、あなたがおっしゃるとおり、賢明にも「…だろうか」と断定を避けていますね。Wikipediaは事実を記す場であって、意見や憶測を記す場ではないと認識しています。--Corruptresearcher 2004年11月8日 (月) 16:16 (UTC)
「根拠のない見解である」という記述は overshooting であり、それこそ Corruptresearcher さんの意見になっていませんか、ということを申し上げているのです。「少なくとも「戦後」という部分に関しては事実ではない」といった表現に留めるべきではないかと。220.209.111.5
当該の主張は、「敗戦という状況下において、連合国という訳語を使用すると、戦前の国家連合に対する反感が戦後の国際組織にも敷衍されることを懸念して意訳した」という趣旨のものです。戦争中に既に「国際連合」という訳語が用いられていたのであれば、この主張全体が意味をなさないものになります。ですから、Overshootにはならないと考えます。もしそうではない、とお考えであれば、戦争中に既に「国際連合」という訳語が用いられていた、ということを前提にして、どのような主張をすることができるのか、お示しいただければと思います。--Corruptresearcher 2004年11月10日 (水) 03:55 (UTC)
「戦争下という状況下において、連合国という訳語を使用すると、交戦相手である国家連合に対する反感が予想される戦後の国際組織にも敷衍され(戦争後に向けた外交の自由度を不当に束縛す)ることを懸念して意訳した」220.209.111.5
これこそ220.209.111.5さんの意見になってしまっていると思います。元々の主張は風説として聞いたことぐらいはありますが、戦争中から「国際連合」という訳語が存在したことを前提に上記のような意見を述べている人が他にいるのでしょうか。--Corruptresearcher 2004年11月10日 (水) 04:24 (UTC)
いや、だから、こういう主張をしたい、といっているのではなくて、Corruptresearcher さんの確認された事実は、こういう主張を否定するのに十分な事実ではないので、表現を工夫されてはいかがか、と申し上げているだけなんです。1944年12月だったら、いくら日本国政府としても、戦争後も考えざるを得なかった時期だと思いますので、確認いただいた初出というのは、風説の「戦後」を否定したことにならないのではないかと思うのですよ。いわゆる「大本営発表」によって戦果を過大に見せたり、退却を転進とよんでイメージ操作を行うようなことは戦時下で普通に行われていた(個々までは多分広く合意を得られる事項だと思います)ので、同じ言葉をわざわざ訳し分けるにあたって隠れた意図があったかもしれない、というのは、他の事実と相俟って単なる憶測として片付けるにはちょっと大変なのではないか。私は、「戦争中に既に「国際連合」という訳語が用いられていたのであれば、この主張全体が意味をなさないものになります。」というCorruptresearcher さんの判断には同意できません。時期ではなく、意図(の有無)が問題の本質だからです。確かになかったことの証明は困難ですが、事柄の性質上、確かにあった、ことを証明することも困難です。(あったともなかったともいえないが、)事実として確認できる範囲ではこうである、というスタイルの記述にするのは、そんなにまずいでしょうか。220.209.111.5

インデント戻します。まず、この説の内容についての所見を述べますが、外務省が「連合国」と「国際連合」と訳し分けている対象は、確かにUnited Nationsという共通名称を持ちますが、憲章によって国際組織としての実態を備えて以降とそれ以前とでは実態として大きく違うものです(単なる同盟関係の諸国か国際組織か)。そして、国際組織の名称として「連合国」を用いるのは日本語の語感としておかしいと私には思えます。ですので、憲章草案の作成を機に「国際連合」という訳語を外務省が選択したのは比較的自然なことであると私は感じます。これがもし仮に、戦争中の草案作成の時点で国際組織の名称として「連合国」を選択していながら、その後のいずれかの時点で訳を変更した、ということであれば確かに不自然に感じます(私が資料を調べようとしたのは、この点を明らかにしようと思ったからです)が、そうではないわけです。したがって、外務省の意図を証明する特段の根拠がない状況では、私には憶測にしか思えません。

次に、Overshootか否かという点ですが、風説としてすら存在していない「訳の変更は敗戦前だったが外務省には国民の反感を避ける意図があった」という説に対してまでOvershootを懸念しなければならないという点、依然私には受け入れられません。が、仮にこれを受け入れるとするなら、ノートページで用いた「虚偽」という語は百科事典の表現としては確かに強すぎるでしょう。しかしながら、本文ページに実際に書いた語は「根拠のない」です。実際に敗戦前後を問わず外務省の意図を示す根拠はない(ありましたか?)訳ですから、問題のない表現だと考えます。

そもそも、この説を記入しようとしていた方は、記入に際して根拠を求めたにもかかわらず、説自体の根拠を示すどころか出典すら明らかにせず、非常に違和感を感じました。Web上を見た限りでも、根拠を示したものは見当たりませんでした。「根拠のない説」というのは非常に適した表現だと感じますが、いかがでしょうか。--Corruptresearcher 2004年11月10日 (水) 12:45 (UTC)

ですから、”風説”のポイントは、「意図があったか」であって、戦中か戦後か、ということにあるのではない、と繰り返し申し上げているつもりなんですがね。まさに、”風説”なので、1944年12月という時期のことならば、戦後を見通してなされてその当時になされたことが、風説としては「戦後」、として伝わってもおかしくない。
「国際組織の名称として「連合国」を用いるのは日本語の語感としておかしいと私には思えます。」というのは今となっては理解はできますが、逆に既成事実を受け入れているだけのものかも知れません。日本語の語感と言った個人差のあるものを持ち出すのことが適切なのかどうか分かりませんが、Corruptresearcher さんが、そのような語感を持つに至ったこと自体が有る意味、意図の実現とも言えるのかも知れません。それに、日本語で訳し分けることが自然なほど実体が異なるものであるなら、違う言葉で呼ぶ、すなわちそもそも原語が違っていてもおかしくないはずです。
評価の分かれるところですが、具体的な根拠はありませんが、そのような意図があってもおかしくないと思える状況はある(大本営発表、転進、終戦、進駐軍といった言葉のイメージ操作という広く認められている事実)一方で、事柄の性質上、有ることの直接的な証明を見いだすのは難しい状況にあるのだから、「存在証明ができない以上、ないのだ」というのは割り切りすぎだと感じられるのです。Corruptresearcher さんが否定できたのは、”風説”のうち、そのような配慮がなされたのは戦後である、と言う部分にしか過ぎないと私には思えます。
--例えば、「この語の初出は1944年12月であり、訳語の選択に当たって戦後に配慮がなされたというのは明らかに誤りである」という表現にされることで、より中立な表現になると思うのですが。220.209.111.5 2004年11月10日 (水) 15:09 (UTC)
で、まさに風説のポイントである「意図があったか」について、根拠がないですよね、と繰り返し申し上げているわけです。時期については、戦争中と戦後ではやはり外務省の動機付けが大きく違うと思います。この風説が流布しているのも、戦後の話だ、という前提だからある程度もっともらしく聞こえるだけで、戦争中から戦後を予期して外務省が意訳した、という話になるとかなり受け入れられにくくなるのではないかと思います。例として挙げられた加瀬氏にしても、この項目にこの説を挿入された方も、戦後の話であることを前提にしておられるようで、この説を唱える方の意図としては「戦後の話」というのがやはりキモになっていると思われます。また、私は「存在証明ができない以上、ないのだ」と言っているわけではなく、「根拠がない」つまり、「存在証明ができていない」と述べているだけです。「直接的な証明を見いだすのは難しい」とおっしゃいますが、もし本当に何らかの意図が外務省にあったのであれば、戦後の国際組織を「連合国」と訳した初期の草案であるとか、あるいは内部メモとか、さらには当事者の回顧録における記述とか、なにがしか出てきてもおかしくないと思います。現に加瀬氏の父上に至っては外務省関係者ですが、にもかかわらずその加瀬氏ですら推測として述べざるを得ないというのはどういうことなのか。とここまで長々と書きましたが、提案しておられる文案は受け入れられる表現です。この表現を採用させていただいて終わりにしませんか、と提案しようと思っていたのですが、Kinoriさんが新たに議論を提起しておられるので、それが片付くまで待った方がいいですかね…--Corruptresearcher 2004年11月11日 (木) 11:34 (UTC)
「受け入れられる表現です」とのお答えをいただき、ちょっとほっとしております。逆に、相違点もはっきりしてきたように思いますので、新たな原資料などでも見つからない限り本文での記載にまで影響を及ぼすものにはならないと思いますが、まとめさせてください。
(1)現状、「意図があった」という明白な証拠は議論の場に提出されていない。これには同意します。
(2)Corruptresearcher さんが確認された限りでは、1944年12月に当時の外務省が公に作成した文書があり、これが(戦時の同盟関係にとどまらない)現在の国際機構につながる意味での United Nations を訳出したものの初出とみられる。ここで、既に「国際連合」の語が訳語として使われている。これも、確認の労をとられたことを多としこそすれ、議論にしようとは思いません。
(3)ここで、Corruptresearcher さんは、ご自分の判断として、「戦後の話だ、という前提だからある程度もっともらしく聞こえるだけで、戦争中から戦後を予期して外務省が意訳した、という話になるとかなり受け入れられにくくなるのではないか」と書かれています。ここは判断が分かれるところで、私は、ご確認頂いた1944年12月という時期であれば、”戦後を予期して”何らかの action がとられることは十分ありえるとおもいますので、 「受け入れられにくくなる」とは思えません。この時期に起きたことが、風説のような厳密な根拠に必ずしも立脚しないレベルでは「戦後」として広まっていても全くおかしくないと思います。極端な話、意図が明確にあったはずだ、と言う立場から、同じ事実を基にしても、「事実はこうであったが、これが曲がって伝わっているものと考えられる」という記述が成り立ち得ると思います。(それが現状を反映してふさわしいものだといっているわけではありませんので念のため。)要は、戦後だから風説として尤もらしく聞こえるのだ、というのはCorruptresearcher さんのご判断に過ぎないということを note させていただきたい。
(4)「「戦後の話」というのがやはりキモになっていると思われます。」と書かれていますが、上で書いたような意味なら、時期としては戦時下であっても、全く同じように成り立つと思います。極論すれば、この風説を吟味するに当たって、1944年12月という時期は、広い意味の戦後と呼びうる時期に至っている(と見なすことができる)のではないかと思います。1942年なら、また少し事情が違うかも知れませんが。
(5)「もし本当に何らかの意図が外務省にあったのであれば、戦後の国際組織を「連合国」と訳した初期の草案であるとか、あるいは内部メモとか、さらには当事者の回顧録における記述とか、なにがしか出てきてもおかしくないと思います。」これは確かにごもっともな意見ですが、一応反論しておきますと、ないからといって、意図がなかったとまで言えるのか、あるのに見つかっていない、あるいは”意図”の延長として語っていない、ということだって考えられ得るわけで、ない、と言ってしまうと抵抗があります。あったことを支持する、明確な証拠は知られていない、ことには同意できますけどね。
(6)これは、他のよい例を思いつかないので繰り返しになってしまいますが、戦時下あるいは戦後直後の日本国政府によるイメージ操作としてよく挙げられる、「大本営発表」による戦果の誇大発表、事実上の敗走を転進を呼び変えたこと、敗戦に代わり終戦、占領軍に代わり進駐軍という言葉を一般的なものとして使ったこと、といった例を Corruptresearcher さんがどう判断されるのか、ぜひ伺いたいと思います。これらを考え合わせると、意図があるのかないのか neutral とはとても言えないのではないか、というのが私の感想です。つまり、直接的な証拠はないが、伝聞証拠、状況証拠と呼べば呼べるようなものがないわけではない、というのが現状ではないかと。十分とは言えないが、存在の蓋然性の指摘、くらいには達しているのではないか、ということなわけです。(だからこそ、風説として生きながらえているわけでしょうが。)要するに、「あったかも知れない」ということを前提においてもよい位の状況にあるのではないかと。それだけに、「根拠がない」というのは、割り切りすぎではないかと感じられるということです。もちろん、これは私の判断ですので、違った判断がなされることもあり得ることは理解できます。
まあ、結局、抑制した表現に留めておけば、幅のある中でどういった判断をとるにしても、そこまでは認めるしかないよな、というものになるのに、というのが私が申し上げたかったことでした。220.209.111.5 2004年11月11日 (木) 15:23 (UTC)
とりあえず、表現直してみます。何か問題があれば。もう論点も出尽くしているとは思いますが、お求めなので。「大本営発表」等について、類似の事例があるからといって一般化していいのかどうか、ちょっと疑問があります。「大本営発表」はまさに大本営の行動であって、外務省ではないですよね。それとも、日本の官僚機構にはそういう通弊がある、という一般化でしょうか?それに訳語の話ではないですよね。「進駐軍」は誰の訳なのでしょうか?ちょっと興味があります。これが外務省の訳であれば、そこに共通の意図を想像する人もいるかもしれませんね。ただ、私自身は、以前は若干外務省の意図を疑ったことはあるものの、憲章草案の検討当初からこの訳語を使っているということを今は知っていますし、直訳すればいいというものでもないとも思っていますので、たとえ「進駐軍」の訳が外務省によるものであっても、他に類似の事例があるから、ということは私自身の判断基準にはしないと思います。ちなみに、純粋な興味なのですが、United Nationsという語をAlliesと同じ意味で用いている例ってそんなに多いんですかね。ほとんどの場合、日本語の「連合国」に対応する英語としてはUnited NationsではなくAlliesが用いられているみたいなんですが。英語圏の人間でもAllies=United Nationsだったことをしらなかったりして…--Corruptresearcher 2004年11月13日 (土) 12:59 (UTC)

連盟との連続性について

>「国際連合の前身は、1919年~1946年まで存在した国際連盟である。」 これ、断定的な表現過ぎやしませんか。国際連合の成立直後、国際連盟と”並立”していた時期もあったはずだし。 うろ覚えで恐縮ですが、国際連合が国際連盟を真に”引き継ぐ”組織ということになるのか、問題となったことがあったように思います。(ICJで判例が出ているか?)

国際司法裁判所や仲裁裁判所等での判例は存じませんが、条約上連続していないのは確かですね。表現を変えてみました。Corruptresearcher 2004年11月6日 (土) 02:40 (UTC)

United Nations という語について

枢軸国側に対抗する勢力を United Nations と呼んだのは ローズヴェルトであったとされています。なぜ、その言葉を選んだのか、について、どの本だったか記憶が定かでないのですが、(アカデミックな、とあえていっておきます)国際政治史の本で、アメリカ合衆国の名称である、the United Sates of America との類似性を意識していた(はずである)という記述を見かけたことを覚えています。私自身はこの点が、ローズヴェルトの、国際協調主義に見えながら、実は自国中心主義を巧みにまたしたたかに追求している外交姿勢を象徴しているように思え、特筆の意義ありと思えます。ま、私の”感想”は別にしても、日本語に訳してしまうと見えないけれども、実はこういう言葉なんだ、というのは事実レベルで記載しておく意味があるように思います。なら、United Kingdom だって一緒だ、というご意見もあるようですが、Kingdom は日本語の「王国」との意味の広がりの違いを意識することはあまりありませんが、nation とか state はそうではなく、一体どういう意味合いなのか、自体が(少なくとも日本では)議論となりうる言葉ですから。nation state (=国民国家)って言葉だってありますからね。nation と state を入れ替えるだけで指すものがあれだけ違っている(実は違っていないのか?)のは、書いておく意味はあると思うのですよ。時間が余りないので本をひっくり返すことは今はできないんですが。

可能であれば出典と共に書かれるとよいかな、と思います。ちょっと前に出典があるかのような主張をしながら結局出典を出されなかった方がいらっしゃったので、少し疑心暗鬼になっています。申し訳ない。あせることはないと思いますので、出典が見つかったら書いていただければ。--Corruptresearcher 2004年11月7日 (日) 07:28 (UTC)
先ほどの投稿者です。出典とおっしゃいますが、

ローズヴェルトが United Nation の語を提出したこと、

ローズヴェルトは United States of America という国の元首であったこと、

nation と state の語は指す意味内容において、重なり合う部分を持つ、内容について議論のある言葉(あるいは technical term)であること、

nation state という一般に使われる言葉があること、

nation とstate を入れ替えると、United Nations の語が United States となってしまうこと

には出典は不要でしょう。ローズヴェルトの外交姿勢云々は別として、「United Nations という言葉は、その言葉を提出したローズヴェルトが大統領をつとめる国の名称に極めて似ている」というのは、出典抜きの事実として認めて頂けても、と思うのですが。これ、英語版の百科事典なら書く意味ないかもしれませんが、非ヨーロッパ語版には書いておくべきだと思うのですけど。220.209.111.5 2004年11月7日 (日) 07:47 (UTC) (さきほどはFEPが不調で署名をあきらめました。失礼しました。)
United Nationsという原語は既に記されているわけですから、ことさらに「類似している」などということを書く必要があるか疑問です。そもそも、英語圏の人間であれば特段United Statesとの関連を意識せずに考えつく語なのかもしれませんし。日本人でこういう主張をする人はいるのかもしれませんが、英語圏でこういうことをいう人がいるのでしょうか?いずれにせよ、私は一般論であれば特段書く必要はないと思いますし、書くのであれば誰が主張していることなのか、明記するべきだと思います。--Corruptresearcher 2004年11月7日 (日) 08:00 (UTC)
だから、誰が主張しているか否かに関わらず、一般的なことであっても、気がつきにくいことだからこそ、書いておくべきだと申し上げているつもりなんですが。(私自身、どちらの原綴も承知していたつもりですが、それこそ無意識的には気がついていたかも知れませんが、真正面から書いてある記述にぶつかって、ちょっとびっくりしたことを覚えています。)間違いではないし、中立的な観点から問題になるような記述でもないと思うんですけどね。確かに、「特段United Statesとの関連を意識せずに考えつく語」かもしれませんし、そこにローズヴェルトの外交姿勢のようなものを読み込むのは深読みで、典拠を必要とする記載かも知れませんが、... 外国語の学習は、native speaker が無意識的に身につけるものを、意識的に獲得するものだというではありませんか。例えば、Wikipedia の「表現主義」では、表現主義(expressionism)と印象主義(impressionism)が語形の上でも対立している、なんて記載があるんですけどね。これも一般的で、記載するに値しないことだと思われますか?220.209.111.5 2004年11月7日 (日) 14:36 (UTC)
私としては「なお、日本語の訳では明瞭ではなくあまり意識されないが、"United Nations" の語は、アメリカ合衆国の正式名称 "United States of America" に酷似している。」という記載では、アメリカ合衆国が特段に強調されている印象があります。出典の必要がない(と思われる)「字句の用法」について述べるならば、「United」と「Nation」を含む国々の名称を一通りあげておくのが適切に思われるのですが、いかがでしょうか? YuTanaka 2004年11月7日 (日) 15:23 (UTC)

インデント戻します。私には、なぜUnited Nationsについてのみこのような語句の類似性を記さねばならないか依然疑問です。United KingdomについてもUnited Statesとの類似性を記さねばならないのでしょうか?ことさらにUnited NationsとUnited Statesについて類似をとりあげる、ということにやはり既に何らかの意図があるわけで、であるならばその意図、上で書かれている言葉を使えば「深読み」部分に関連した主張についての出典を述べた上で、その「深読み」についても触れるのが自然だと思います。酷似しているかどうか、のみであれば、各人が判断すればよいことであって、百科事典として記載すべき内容とは思いません。「酷似している」のみ記載しても、読者はとまどうだけだと思います。時間をかければ出典はおわかりになるようですから、何も焦る必要はないと思うのですが。--Corruptresearcher 2004年11月7日 (日) 20:25 (UTC)

>United KingdomについてもUnited Statesとの類似性を記さねばならないのでしょうか? --私は記したっていいと思いますよ。歴史的な前後関係からいえば逆でしょうけど。「イギリス」の英語による正式国名、そこから独立した「アメリカ合衆国」の正式国名は、日本語の話者にとっては必ずしも自明ではないと思いますので。それをどう判断するかはともかく、日本語に訳してしまうとわからなくなるものの原語が(実は)似ている、なにか因果関係があるのかないのかわからないけど、というレベルで十分だと思います。
ちょっと話を戻しますが、出典って、何の、どんな出典を求められてられているのか、実はちょっとわからなくなってきています。私自身は、読んだ人が判断できるよう材料をきちんと提示しておきたい、と思っているだけなんです。訳してしまうとわからなくなり、英語話者にとっては自然に自主的に判断できることであっても、日本語の話者にとっては自明ではないと考えられるからです。(その意味で、「酷似」はやや主観的な表現かもしれません。)で、私が探し当てることができるとすれば、「似ている」ということを(若干の補足説明はあるかもしれないが)活字になっているものに書いている、だけのものです。論文ではなく、大学レベルの教科書か解説書、入門書のたぐいの記述だったと思います。残念ながら一次資料とかではありません。「深読み」部分については、書いてあったことなのだか、書いてあったことを元に自分が考えた感想なのだか、今となっては判然としません。「アメリカ合衆国が特段に強調されている」とすれば、それは発案者がアメリカ合衆国の大統領だったからです。
そこにどんな意図があったのかどうかは問題ではなくて、新しい国際組織のための名前を発案したと言っているが、自分の国の名前によく似ていましたね、ということだけを、事実として英語に明るくない日本語話者にもわかるようにしておきたい、ということです。程度はともかく、類似性自体は、特に典拠を必要とせずに了解いただけるレベルのものだと思います。
もし、”出典”が、他の材料も使ってローズヴェルトの外交姿勢や外交観を大々的に論じたようなものならよかったのかもしれませんが、私が読んだ記憶のあるものはそうではありません。また、当事者が語ったり、書き残しているようなものでもなく、単にそういう見方もある、ということの例にしかならないと思います。逆に、そういう見方もあり得る、ということだけだったら、典拠を必要とするようなものでもないような気がするんですよね。これが、ローズヴェルトはこういう意図でこの名前を使った、という記述だったら、典拠は必要でしょう。ただ、ローズヴェルトが考えたと言うことになっている名前は(彼の意図はともかく、傍目からは)彼の国の名前と似ている、という記述を加えておきたいのです。それを国際連合について思いを巡らす人に対して、なるべく inputになるようにしたいのです。そのinputに応じて、そこに意味を読み込むかどうかは、あるいは無視するのか、むしろ読者に任せたいと思います。220.209.111.5 2004年11月8日 (月) 15:31 (UTC)
Wikipediaは、「そういう見方もあり得る」という意見を述べる場ではないと認識しています。個人的な意見を述べる場ではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかをご覧ください。出典はアカデミックなものだったのではなかったのでしょうか?--Corruptresearcher 2004年11月8日 (月) 16:29 (UTC)
(類似性の説明はともかくとして)語句の説明は欲しく思っていたのですが(Organization、Unionなどに比べると理解しにくい語のため)、説明するとなると「United」「Nations」の個別の単語について類似している固有名詞をあげるだけでは不十分な可能性が高いように思えてきました。例えば、国名に「United」がつくものには、メキシコタンザニアアラブ首長国連邦もありますが、これらの国々の「United」の日本語訳は全部異なり、読者はますます混乱するかもしれません。憶測で『「United」と「Nation」を含む国々の名称を一通りあげておくのが適切に思われる』などという意見を述べてしまったことをお詫び申し上げます。YuTanaka 2004年11月8日 (月) 17:42 (UTC)
社会科学的な内容の場合、完全に価値自由であることは不可能です。客観性を重んじるのであれば、証明は出来ないがある程度の根拠のある推測・推論は、限界を明示した上で収録し、読者の判断に委ねる方が百科事典として望ましいあり方である場合があるかと思います。その意味で、記述に含めるかどうかは別ですが「そういう見方もあり得る」という事実を意識しながら記述することが求められていると思っています。限界を示さずに書けば問題ですが、根拠ははっきりしないが広く信じられていると認められていること、は、そういうものとして収録する方が、内容を豊かにする場合があるのではないでしょうか。また、私自身は、語の類似性そのものは客観的であり、独自の見解に立脚したものではないので「個人的な意見」に留まらないと思っているのですが。「個人的」でないことを立証する(他の人がそのような論を立てていることを示す)ためだけにでもにソースを探さないとだめですかね。それこそ年単位での時間を要しそうなので、ソースなしでも書けそうな部分に絞って早く内容を提供する方が、Wikipedia に資すると思ったのですが。「一般論であれば特段書く必要はないと思います」と以前書かれていますが、繰り返しになりますが、日本語話者にっては自明ではないと思いますし、類似性の指摘そのものが国際連合という題材について日本語話者が論じる場合に意義あるものと思っています。
なお、「アカデミック」の語については若干 misleading な言い方をしてしまったのかもしれません。申し訳ありません。一応、それ(国際政治史ないし国際機構論)を専門にしている学者が専門分野の著作として学問的内容を書いたものだろうと判断したので、そう書きましたが、論文でなかったことは確かです。
また、YuTanaka さんの「これらの国々の「United」の日本語訳は全部異なり、読者はますます混乱するかもしれません。」は、どういう意味でおっしゃっているのか、よく分かっていません。ここの項で書かれるのが適切かどうか、は議論があるかもしれませんし、独自の調査結果を披露する場ではない、という意味ではもしかしたら場違いなのかも知れませんが、興味深い、それ自体 informative で、私自身はどこかでまとめてくれていたら大変助かる思う内容ではないかとむしろ思いますけれども。(別の場所でアクセスしているので、議論の継続性を示すために、正式の署名のかわりに代用します→)220.209.111.5
ウィキペディアは辞書ではなく、百科事典です。ですので、語の類似性の指摘にとどまるのであれば、それは記載するべきではないと考えます。別プロジェクトであるウィクショナリーであれば意義があるかもしれません。類似性の指摘の背景に、おっしゃっているような歴史学上意味のある主張が存在するのであれば、それを出典とともに記すべきと考えます。それであれば百科事典的な記述になると思います。繰り返しになりますが、辞書ではないので、語の類似性のみの指摘はなじまないと考えます。--Corruptresearcher 2004年11月10日 (水) 04:05 (UTC)
ご意見よく分かりました。私自身は、観察される類似性それ自体が他の一般的に認められている事情と相俟って「歴史学上意味のある主張」の存在を示唆するのに十分なものと考えており、その意味で出典は必要でなく、語の類似性の指摘そのものが百科事典的価値を有すると考えていたのですが、ご理解を得られないようですね。(存在そのものはより補強的な典拠を必要とするかもしれませんので、「歴史学上意味のある主張」そのものを出典なしに書いてしまうと確かにまずいでしょうが。)220.209.111.5

訳語の件等、まとめ方

お話中のところ脇から編集してすみません。国際連合は誤訳だという説はかなり広まっていますので、その説を紹介することには意味があると思います。私の手元には吉田康彦『国連改革』(集英社新書、2003年)があって、このことを力説しています。

それはそれとして私が思うに、ウィキペディアで対立説を紹介したり、ある説を批判したりするときには、相手の文の「中」や「後」にそのつど批判を入れるのではなく、段落を分けてまとめ書きすべきです。そうしないと複数人が全然反対の見地から一つの文に手を入れることになり、文がもつれ、加筆のたびに振り子が大きく揺れます。われわれの目標は現在の知識水準を要約することであって、外交史の真実を見極めることではないのですから、併記になる方が良いのです。Kinori 2004年11月11日 (木) 09:04 (UTC)

章を立てました。この件、「訳語」(Kinoriさんの文案第1〜3段落)と「United 〜という語の類似性」(同第4段落)とに分けられると思うのですが、一つずつ片付けませんか(マルチタスクが苦手と言う個人的理由もありますが)。で、まず訳語なんですが、文献がなかなか示されないことに不満を感じておりましたが、解消されました。どうもありがとうございます。一般には段落を分けた方がよいですが、出典もわからない風説に一段落割くのはどんなものかと思っていました。最初の文案では出典が書かれていませんでしたが、Wikipedia:言葉を濁さないに従い、「国際政治学者(でいいのでしょうか?著書での記載にしたがっていただければ。)吉田康彦は、彼の著書「国連改革」の中で…」と書いた方がいいと思います。中国で「連合国」と訳している、ということもその中で述べているのでしょうか?であれば好都合ですが。また、外務省側の出典も書いておいた方がいいかと思います。もしこれでよろしければ、とりあえずKinoriさんの文案の1〜3段落を若干修正して書いていただいて、もし修正したい点があれば私とIPさんが修正してみる、ということでどうでしょう?IPさんに異存がなければ、それでお願いできますか?>Kinoriさん--Corruptresearcher 2004年11月11日 (木) 09:48 (UTC)
若干気になったので念のため伺いますが、吉田氏は「外務省が戦後意訳した」という件を著書の中で書いておられるのですよね?単に「United Nationsは直訳すれば連合国だ」という話ではなく。--Corruptresearcher 2004年11月11日 (木) 11:07 (UTC)
何度もすみません。「外務省が戦後意訳した」という件について出典があるのであればパラグラフを分けて紹介することに賛成ですが、単に「United Nationsは直訳すれば連合国だ」を紹介しているだけであれば、「外務省が戦後意訳した」の件についてパラグラフを分けることには依然反対です。直訳すれば連合国、については既に現在の文案でも紹介されていると思います。編集前にこの点だけ確認させていただきたく。--Corruptresearcher 2004年11月11日 (木) 11:18 (UTC)

確かめてみたところ、意訳したのは「敗戦時の外務官僚の知恵だった」とあります。それと別のところで、初出が1944年12月の条約集であることを示しています。吉田氏は、連合国ではなく国際連合になった理由を、日本人が「国際」という言葉を好むから、また、国際連盟が念頭にあったからではないか、と推測しています。吉田氏に関するかぎり、「戦後」とは書いていません。本を読んでいながら、私は記憶違いをおこし、戦後だと勘違いしていました。

吉田氏は英語の The United Nations という言葉は国ぐにのことであって機構を意味するものではないとし、フランス語では「機構」を付けた l'ONU、スペイン語で同じく la ONU と言われると紹介しています。中国が連合国と正確に訳しているとも評しています。

私はこの説を誰が言い始めたのかを知りません。言い出したのが吉田氏にしても、他の誰かにしても、2003年より前に出ていた可能性は高いように思われます。もし他に主唱者がいる説だとすると、本文に「吉田康彦が云々」と書くのは誤解を招く表現になり、まずいと思います。この事情を知っている人が書いてくださればまったく問題ありませんが、そうでなければ言葉を濁しておきたいです。Kinori 2004年11月11日 (木) 13:36 (UTC)

言い出したのが誰にせよ、吉田氏も述べているのは確かなのでしょうから、それを述べるのに問題があるとは思えません。もしどうしても気になさるなら、「この訳語を選択した経緯について、例えば吉田氏は著書…の中で〜と述べている」と書けばよいだけだと思います。この表現であれば一例を示しただけだと言えますよね。ここを濁してしまってはただの風説になってしまい、百科事典的な記述にならないと思います。出典を記すとともに、その出典が記述している範囲のことだけ書けばよいと考えます。--Corruptresearcher 2004年11月11日 (木) 13:50 (UTC)
とりあえずIPさんが気にしておられたところだけ先に直しました。もしさしつかえあればご意見いただくなりrevertしていただくなり。--Corruptresearcher 2004年11月13日 (土) 13:06 (UTC)

この説は、自分の印象でも、戦後と戦中では話が全然違ってきます。また、吉田氏が言う「意訳」とよく言われる「誤訳」とでは意味が異なります。そして、ネット上で流布しているのは、圧倒的に「戦後」「誤訳」ですよね。そういう中で、「戦中」「意訳」と書いてある吉田氏を代表例にするのは、大変申し訳ないことです。いいかげんに紹介した自分を恥じております。検索で得たところでは、「戦後」「誤訳」で別の評論家の著作が挙げられそうなのですが、読まずにそれについて記事を書く度胸はありません。私からの編集は遅れます(月単位で)。とりあえず段落分けだけしておくということで、どうでしょうか。Kinori 2004年11月13日 (土) 14:24 (UTC)

前にも書きましたが、出典がはっきりしている説はたとえ説自体の根拠がなくとも段落を立てて書くことに賛成です。しかし、出典がはっきりしない、風説と言うべきものを、段落まで立てて書くのには反対です。「両論併記」はWikipediaの趣旨から当然ですが、出典の有無等によって扱われ方のレベルに差があってよいと考えています。前には書きませんでしたが、そもそも出典がはっきりしない風説は書くべきではないと考えています。風説の類いまでちゃんとした扱いで載せるのがはたして百科事典的なのか、という疑問です。しかし、この説、比較的流布はしており、ただ載せないだけでいても再度書き込まれるだけであろう、ということから、今のような形で記載しています。数ヶ月の話であれば、別段急いで段落分けせずとも、出典がはっきりしてから分けてもいいように思います。--Corruptresearcher 2004年11月13日 (土) 15:28 (UTC)
Corruptresearcher さん、修正ありがとうございました。おかげさまで、お調べいただいた事実の証明力に見合った記述になったと思います。
やはりここで意見が分かれるようなのですが、私は、ある出来事について風説がある程度広まっていること自体が、収録する意義をもたらしているんじゃないかという具合に感じます。風説を出典のある見解のように書いてしまうとまずいでしょうが、広まっている風説について、その根拠のなさ、限界、理解の不足、事実誤認をきちんと指摘しておくのは、きわめて百科事典的--啓蒙的--な行いと思いますが。逆に、(活字になる際の一種のスクリーニング機能が低下している昨今、)たとえ出典がはっきりしている説であっても説自体の根拠がなければ、収録すべきではないと思います。パラグラフの分け方については、全体の中での記述の重み、記述の量、読みやすさなどから判断をしていけばよい話で、結果として風説か否か、と関わってくるかもしれませんが、とりたててそのことを判断基準にしなくてもという気がしますけれど220.209.111.5 2004年11月13日 (土) 15:47 (UTC)
前半部分は現状の表現に対する批判ではない訳ですよね。現状でも風説が存在する事自体には触れつつ、その内容のあやまりを(IPさんの認識ではその一部を)指摘している訳ですから。また、根拠がない説でも、「だれだれがこういう説を何々の場でこれこれの立場からとなえている。背景にはこれこれの議論がある。しかし、この説についての明示的な根拠はない。」という記述は百科事典的だと思います。特に、「だれだれ」がWikipediaに記載されているほどの人なら特にそうです。説が虚偽であっても、誰々がこんな背景でこんな議論を唱えている、というのは百科事典的な事実ですから。しかし、この場合でも、「これこれの説がある。」という部分とその他の部分とをパラグラフを分けると表現が百科事典的ではなくなると思います。今回の場合、説自体について語るべき情報が少なすぎ(唱えている人、唱えられている場所、時期、背景等)、一つのパラグラフに分けて書くと、非常に頼りない感じがします。ですので、説についての情報(否定的な情報ではありますが)を加えて一パラグラフにしているわけです。もし語られるべき情報が十分あり、一つのパラグラフに書いても表現上おかしくなければいいと思うので、情報としての出典を書いて一パラグラフに、と申し上げています。また、やはり「言葉を濁さない」のガイドラインは尊重されてしかるべきだと思います。--Corruptresearcher 2004年11月13日 (土) 16:01 (UTC)
>前半部分は現状の表現に対する批判ではない訳ですよね。--その通りです。念のため220.209.111.5 2004年11月14日 (日) 11:18 (UTC)
了解。もちろん、他のできる人が速やかに改稿してくだされば有難いです。Kinori 2004年11月16日 (火) 00:18 (UTC)

本部について

ジュネーブ欧州本部の記述が無いのは何故ですか?

  • そう思うならご自分で書いてください。--2006年7月21日 (金) 01:35 (UTC)

敵国条項について

この前の会議で敵国条項って廃止されることになったような記憶があるのですが、どうだったでしょうか?その記述があっても良いかと思います。ただ、私はハッキリとした記憶がないのでどなたかお願いします^^; --222.150.7.104 2005年10月26日 (水) 16:37 (UTC) 何度か提案されていますが、国連憲章の改正は総会にかけるなど手間暇がかかる割りに、既に死文化しているを条項を形式的に変更するだけで実質的な意味がないの行われていません。、

表現

表現がかなり偏っている所が多々あったと思うのでWikipedia:避けたい言葉に則り修正します。Treue 2005年10月30日 (日) 08:21 (UTC)

人物について

2007年11月1日に皇太子徳仁親王が、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任されました。一応名誉総裁ですので、この場をお借りし、人物として記載可かどうかをご意見賜りたく記します。
ソース1:皇太子同妃両殿下の主な式典におけるおことば
◇皇太子殿下のおことば(仮訳)・第1回アジア・太平洋水サミット開会式
平成19年12月3日(月)(大分県・ビーコンプラザ フィルハーモニアホール):下段辺り
ソース2:時事ドットコムのニュース記事
皇室に関わる人物であり、また国際的な記事内容に関わる為、慎重に対応をした方が後々無難に編集できる事と鑑み、皆さんのご意見を宜しくお願い致します。--でるで 2008年1月7日 (月) 07:10 (UTC)

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