| この「文禄・慶長の役」には下記のような選考・審査があります。有用なアイデアが残されているかもしれません。この記事を編集される方は一度ご参照下さい。 |
| この記事は論争のある話題を扱っています。記事に重要な変更を加える際にはその前にまずここで議論してください。また、情報を追加する際には完全な出典を明記するようにし、出典のない/ありそうにない情報はタグをつけるか除去することを検討してください。 |
韓国の三大捷が「閑山島海戦」と「幸州の攻防戦」および「晉州の攻防戦」とありますが、これら三つの戦闘は、韓国の三大捷ではなく、「壬辰倭乱の三大捷」もしくは「壬乱三大捷と呼ばれるものです。韓国史の三大捷は「薩水大捷(サルスデチョップ)」と「龜州大捷(キジュデチョップ)」と「閑山島海戦」です。韓国人もしばしば間違われますけどね。2009年2月9日(月)
--以上の署名の無いコメントは、61.76.75.218(会話/Whois IPv4 ・ IPv6)さんが 2009年2月8日 (日) 15:51 (UTC) に投稿したものです。返信
現時点の最新版に「李氏朝鮮による応永の外寇以来の朝鮮半島国家との戦争であった」の記述は適正でしょうか。出典には『歴史評論第573~578号p86,1998年』とありますが、インターネットがまだ当たり前ではない、20年以上前の知見です。1998年時点の研究を出典とするのは疑問があるし、米大学のスオープ准教授(中国軍事史)がいうように「日本と朝鮮の間の戦争だとの見方はやめるべきだ。明を中心とした東アジアの支配体制・秩序への秀吉の挑戦。これは日本と中国の戦争だ」との見方のほうが今や定説では?「明はすぐに兵を送ることができなかったが、朝鮮の要請ではなく、自分の利益のために参戦した」(スオープ、朝日新聞2006年6月28日夕刊文化面)のだそうです。朝鮮とも戦闘はしていますが、主敵として戦ったのは明と見るのが自然でしょう。--180.57.162.49 2020年9月27日 (日) 17:55 (UTC)返信