ノート:横見浩彦

最新のコメント:5 年前 | トピック:多少手をくわえました | 投稿者:Nuonuonuo

「JR・私鉄全線全駅下車」の検証可能性 編集

初歩的な質問で恐縮ですが、横見氏が全駅上下車を成し遂げたのは、検証可能なのでしょうか? 杉原巨久氏は、「全駅に下車」でギネスブックに載っているそうですが、横見氏は載っているのでしょうか?

月刊IKKIの公式サイトでは、そう紹介されているようですが、中立的な観点から見て、これを出典として良いものでしょうか? --202.224.75.27 2011年1月15日 (土) 23:13 (UTC)返信

横見本人のHP(チャレンジ1万駅の2001年2月25日)の記録を見ると相鉄線 西横浜駅など半数の駅へは歩いて行ったとの記載があった為、一部を除き全駅下車を全駅乗下車と記載変更致しました。
また、上記HPを見る限り全駅下車ではなく全駅上下車と記載があります --風の辰 2011年6月19日 (日) 00:01 (UTC)返信

何よりも大阪のイベントで、本人および小学館の関係者から「全駅下車を行っていない」旨の発言が記されています。それを公式に否定した記述・記録がなければ「全駅下車」の記録認定は難しいかと思われます。

少なくともご本人は「羽田空港国際線ターミナル」および「成田湯川」両駅の下車はまだである旨主張されておられます。

このような状況にも関わらず、肝腎の横見氏は未だに公式的に「全駅下車の肩書を外そうとしていない」現状です…むしろ。 最近は以前に増して「全駅下車の肩書に頼った仕事」ばかりにも思えます。思えば彼が主張した全駅下車そのものが最初から 「自己申告しか証明するものが無い」程度でしたし、最初の著作から結構年月を経てますが一向にその証拠が出て来ません。

この展開と検証を放置しながら肩書は外さない彼の人間性を慮れば、然るべき時期に彼自身から何らかの確固たる物証を提示 して貰う必要があるかと思います。趣味の延長なら自己申告で済みますが、それを唯一の金看板に長年商売したのですから。--Anoneno03 2011年8月20日 (土) 17:52 (UTC)返信

相当横見氏に恨みがあるようですがw。そういう先入観&私情満載の編集は編集姿勢としてよろしくないのでは?そういうのを、「客観的でない」といいます。確かに全駅乗下車については、検証性に欠ける要素はありますが、全駅乗下車というものはそもそもそういうものです。もう一方のギネスに認定されているという方にしても、どうやってギネスが検証したのかが明らかになっていませんし。私情に基づいて特定の人物を貶める記述は、特に存命の人物については許されません。明白に悪意を感じる記述については、削除しますのでご了解願います。--Kone 2011年8月21日 (日) 02:23 (UTC)返信

→杉原氏は行った先々の駅で記念に駅のスタンプを押したそうです。スタンプがなかった駅は駅の看板や駅舎等の写真を撮り、それを1冊の本にまとめています。恐らくそういった物を提出したんではないでしょうか?

中立性の観点から見て本人自称の記録だけでwikipediaに掲載するのは如何でしょうか?--風の辰 2011年8月21日 (日) 11:02 (UTC)返信
肩書きや職業なんてものは、自称していれば十分でしょう。横見氏はサラリーマンではなく自営業者ですし。そのあたりは、家元や教祖と一緒です。本人がそう言っているんですから、それ以上の検証が必要とも思えません。そこに執筆者の考察を介入させること自体、WP:ORWP:V(ウィキペディアの方針に反する記述)というものです。確実なのは、横見氏がJR・私鉄の全駅を訪問したと申告しているということと、それを客観的に否定する確証もまた、ないということです。であるならば、その申告が明らかに虚偽であるという客観的に検証可能な確証が示されない限り、横見氏の申告を尊重すべきです。--Kone 2011年8月21日 (日) 11:58 (UTC)返信
常識的な自営業者であれば、単なる「全駅訪問」に過ぎないものを10年以上も「全駅下車と詐称して」肩書を名乗ったりはしないと思いますが(苦笑)。そんな程度の常識しかない人間の自己申告を尊重しろという貴殿の言い分こそ、世間の良識ある自営業者への冒涜に繋がりかねない屁理屈に過ぎないものであることを警告致します。--Anoneno03 2011年8月21日 (日) 13:04 (UTC)返信
趣味で全駅下車を達成した杉原氏なら兎も角、全駅下車を看板に仕事しているプロの横見氏であれば検証する必要は当然あるでしょう。逆にプロとして活動しているのであれば証明出来るぐらいの事をして頂けると思うのですが?
あと、HPの内にあるチャレンジ1万駅の記事(2001年1月25日)及びブログ記事(2010年04月03日~08日)とチャレンジ1万駅にあるルールブックを照らし合わせて見てください。どれだけ本人発言による信憑性が無いかが証明できると思います。--風の辰 2011年8月21日 (日) 13:11 (UTC)返信

「ギネスに認定されているという方にしても、どうやってギネスが検証したのかが明らかになっていません」とありますが、 ギネス・ワールド・レコーズの検証について明らかにする必要はあるのでしょうか?ギネス記録は記録に相応しいか・記録に不備が無いか検証を行うので申請すれば100%通るものではありません。

ギネス記録は自称達成ではなく達成した確証と言うものが必要です。杉原氏は達成した確証を提出の上、申請してギネス認定を受けています。

ギネス記録の信憑性に噛み付く前に一度ギネス・ワールド・レコーズの項を読まれる事をお勧め致します--風の辰 2011年8月21日 (日) 11:15 (UTC)返信

杉原氏の事績については、客観的かつ厳密な検証が行われたであろうことは疑う余地はないと思います。ただ、そうした検証を経ていないことをもって、横見氏の事績を徒に貶める理由にはならないでしょう。申し訳ないのですが、最近加筆された内容については、横見氏を貶めようとする悪意を紛々と感じます。--Kone 2011年8月21日 (日) 11:58 (UTC)返信
それなら何故関係無いと思われる「2008年1月1日 横見浩彦ラジオ鉄道から横見とゆゆのラジオ鉄道に改名。」を削除されたのでしょうか?項目も別であり番組が続いているのであれば残すべきと思いますが?--風の辰 2011年8月21日 (日) 12:39 (UTC)返信
それは番組の事象であって、横見氏の事象ではありません。この番組は、改名を何度も繰り返していますが、それを全部ここに書くつもりですか?それはともかく、論点がまったくあさっての方向に行っているような気がしますが。--Kone 2011年8月21日 (日) 12:55 (UTC)返信
何度も改名していますが全部ではなく抜粋で十分でしょう。変更を全く載せないのも変だと思いますが?--風の辰 2011年8月21日 (日) 13:27 (UTC)返信
いいえ、思いません。では、何を載せて何を載せないか(抜粋)の基準を、中立的かつ客観的に示してください。私は、開始と終了(まだ終わってませんが)だけあれば、十分と考えています。改名の経過はリンク先の項目にあれば、すぐに見に行けるわけですから。--Kone 2011年8月21日 (日) 14:24 (UTC)返信

2005年に全駅訪問を達成したことと、2011年8月現在そのタイトル?を維持しているかどうかは別の問題です。例えば、故宮脇俊三氏は国鉄全線を完乗されていますが、死去後に新線が開業したからといって、その事績は価値を失うわけではありませんよね。これも同様です。--Kone 2011年8月21日 (日) 13:12 (UTC)返信

ですが、故宮脇氏は死後に新幹線開業なので達成するのは物理的に無理ですよね?一方、横見氏は御生存ですよね?なら新駅に行くことは可能ですよね?全駅下車の看板を掲げたプロですから。--風の辰 2011年8月21日 (日) 13:32 (UTC)返信
ですから、「2005年に」と書いているわけです。2011年現在、積極的に新駅訪問を行っていないからといって、(検証可能性はともかく)2005年に全駅訪問を達成したという事実は動かせないものです。それは、2011年の状況とは無関係です。2005年時点で例えば七戸十和田駅は開業してないわけですから。--Kone 2011年8月21日 (日) 14:24 (UTC)返信
端的にいうと、全駅乗下車には統一された決まりがあるわけではありません。各人が各人のルールに則って実行し、各人の良心に基づいて申告をしているわけです。横見氏には横見氏のルールがあり、杉原氏には杉原氏のルールがあるわけで、どちらかが正しくて、どちらかが正しくないという性格のものではありません。それを鑑みれば、全駅下車から横見氏に関する記述を削除されたのは、暴挙というほかありません。--Kone 2011年8月21日 (日) 14:45 (UTC)返信

ですから2005年に全駅訪問したと『本人が申告している』ことも『事実』(申告した事実であって、訪問した事実については疑わしいが)であれば、現在タイトルの維持を放棄していることもまた『事実』です(本人が発言済)。事実の記述に対して、悪意という主観を織り交ぜて編集することの方が「悪意」でしょう。 よい事も悪いことも「事実」は「事実」として表記されることが客観であり、またそれらを加味して第三者がどのように判断するかもまた客観なのです。 --123.230.25.164 2011年8月23日 (火) 18:08 (UTC)返信

事実だけでなく、事実の解釈に対しても出典が必要となります。存命人物の記事でもありますので特に注意を払ってください。--Muyo 2011年9月12日 (月) 01:24 (UTC)返信
IP変わってますが、202.224.75.27です。長らく留守にして申し訳ありません。皆様の議論には感謝しております。
しかしながら、議論の焦点が分散しておられるようですので、下記に節を設置し、仕切り直しとさせていただきました。別の議題については、それぞれ節を設置して御願いいたします。
なお、この編集に伴い、諸氏のインデント設置、一行改行の削除や、カッコを全角に変える、などの細部の手直しをさせていただきました。ご了承ください。--202.224.75.219 2011年12月14日 (水) 05:39 (UTC)返信

「全駅訪問」は適切か?(仕切り直し) 編集

IP変わってますが、202.224.75.27です。この節での議題は、

  1. 2005年に、横見浩彦氏が、当時の日本国内にあるJR私鉄全駅乗下車を達成した」というのは、「検証可能な事実」なのか?
  2. 2005年に、横見浩彦氏が、当時の日本国内にあるJR・私鉄の全駅訪問を達成した」というのは、「検証可能な事実」なのか?

の2点のみです(他の議題については、別途、節を設置してください)。念の為に明記しておきますが、その後の新駅の訪問については、この節では論議しません。

さて、1ですが、これは著作に「●●駅まで歩いた」、「~歩いていたらクルマが乗せてくれた」と明記してありますので、答えは「否」です(ただし、その後に再訪問し、乗車&下車している事が検証可能であれば別です)。

次に、2ですが、「Wikipedia:検証可能性」に則れば「不可」です。Wikipediaの記事には、Wikipediaの基準を満たす必要があります。従って、「自己申告」は無効なのです(しばしば誤解されますが、Wikipediaで大事なのは「事実」ではなく「検証可能かどうか?」です)。

そのほかにも、「Wikipedia:中立的な観点」、「Wikipedia:独自研究は載せない」、「Wikipedia:出典を明記する」などの条件があります。これらを満たせない限り、本当は事実であっても「自称全駅乗下車」、「自称全駅訪問」でしかありません。--202.224.75.219 2011年12月14日 (水) 05:39 (UTC)返信

ウィキペディアにおいてある事柄が「検証可能」というのは、その事柄を取り上げた信頼できる情報源が存在することをいいます。「●●駅まで歩いた」、「~歩いていたらクルマが乗せてくれた」という記述をもとに「全駅乗下車」「全駅訪問」が本当かどうか検証しようとするのは、すなわち何らかの情報をもとに独自に正確性を検証しようとすることであり、それこそがまさに独自研究に該当するものです。また、記事の記述対象者自身が公表した出典は、扱いに注意が必要な場合もありますが、出典として無効になるわけではありません。したがって横見さんの全駅乗下車や全駅訪問に対する疑問・否定については何か信頼できる情報源で取り上げられない限りウィキペディア上で書くべきではありませんし、Wikipedia:検証可能性に照らし合わせて「自己申告」が無効になることはありません。--Muyo 2011年12月14日 (水) 06:16 (UTC)返信
IP変わってますが、202.224.75.27です。
まず、Muyo氏にお答え頂きたいことがあります。それは、最初に私が提示した疑問、すなわち「月刊IKKIの公式サイト(『新~』版、及び旧版)は出典となりうるか?」です。
さて、私の考えですが、横見氏サイド(『鉄子の旅』シリーズや自著・サイト、小学館等)は、「Wikipedia:信頼できる情報源#情報源」に出てくる一次資料(「自伝など」)に該当すると思います。従って、自己申告に関しては「注意深く使用す」る必要があると思います(当該節には、
  • 「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です」
と明記されています)。また、「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」や「Wikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源」、「Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合」にも注意する必要があると思います。
それと、Muyo氏は、
>「●●駅まで歩いた」、「~歩いていたらクルマが乗せてくれた」という記述をもとに「全駅乗下車」「全駅訪問」が本当かどうか検証しようとするのは、すなわち何らかの情報をもとに独自に正確性を検証しようとすることであり、それこそがまさに独自研究に該当するものです。
とおっしゃっておられますが、矛盾する記述が(同一著者によって)明記されているのは「検証可能な事実」であって、「独自研究ではない」と思います。
余談ですが、同誌の『ボブとゆかいな仲間たち』の紹介ページでは、著者のパンチョ近藤氏のプロフィールについて「Wikipediaより引用」と明記されています。--210.199.109.235 2011年12月15日 (木) 13:39 (UTC)返信
月刊IKKIの公式サイトの記述については小学館が公開しているサイトであり、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源にある「信頼できる出版元から公刊されている一次資料」に該当するものと考えます。正確性についてはひとまず置いておきますが、「信頼できる情報源でないので出典として使えない」という主張は成り立ちません。
「矛盾する記述が(同一著者によって)明記されている」とのことですが、「矛盾している」と直接的に主張している情報源は何ですか? 別々の記述を自分自身が合成して得た「矛盾している」という考えに基づいて編集するべきではありません。くどいようですが、全駅乗下車や全駅訪問に対する疑問・否定を直接的に述べた信頼できる情報源をお示しください。--Muyo 2011年12月18日 (日) 13:01 (UTC)返信
IP変わってますが、202.224.75.27です。以下、横見氏の著作に関しては、文庫版の『JR全線全駅下車の旅』(KKベストセラーズ、2009年3月5日)を元にしております(ちなみに、私の持っている物は初版です)。なお、引用が多い為、もしかすると著作権に絡んで特定版削除、と言う状態に陥るかもしれません。その点についてはMuyo氏の判断に委ねます。
まず、現段階でMuyo氏の発言で同意できるものは、
「横見さんの全駅乗下車や全駅訪問に対する疑問・否定については何か信頼できる情報源で取り上げられ」ていない、と言う点です。
完全に見解を異にしているのは、小学館(月刊IKKIの公式サイト)の扱いで、これは完全に真逆な解釈です。そもそも、『鉄子の旅』で横見氏が小学館作品に登場するのですが、これは「実録漫画」と謳っているものの、実態は「事実を基にしたギャグマンガ」であって、横見氏の公式記録に関しては「信頼できる出版元から公刊されている一次資料」に該当するとは思えません(横見氏は、文庫版の2頁から3頁にかけての「はじめに」で、「(『鉄子の旅』は、菊池氏と横見氏の鉄道旅を)コミカルに描いたノンフィクション漫画」と紹介しつつ、すぐに「情報漫画というより、完全にギャグ漫画として定着するという笑えない悲劇」とも述べています)。横見氏をタレントに喩えるなら、小学館はスポンサーとか事務所に該当するような、利害の一致した(あるいは利害の多くが重なる)組織であり、中立・公正とは思えません。
私の見解では、Wikipediaで「全駅上下車(あるいは全駅訪問)」を掲げるには、以下のどちらかを満たす必要があると思います。
1.中立的な第三者機関であり、なおかつ権威のある組織が認定する(例:ギネスブック)。
2.横見氏サイドが、全駅での「横見氏入り」の駅(ホーム)の画像を公開する。
それから、これはMuyo氏の「存命人物~」と言う指摘に関して、私が誤解しているのかもしれませんが…そもそも、横見氏はWikipediaに載せる(項目を作る)目的で旅をしていたのではなく、「自らの内なる衝動」に駆られて旅を続けた訳ですから、「Wikipediaの基準に満たないから(全駅の件を)載せない」としても、感情を害する事は無いと思います。
それと、1995年(文庫版206頁)10月26日(文庫版261頁)、JR全駅制覇の最後の段階において、電子手帳を紛失した旨が記載されています。これは、「これまでの下車の記録をすべて打ち込んだ大切なもので、これをなくすことなど絶対にあってはならない」(文庫版263頁)とあります。結局、この電子手帳は「見つかった」と言う記述はありません(同頁にて、駅の窓口や交番に問い合わせた旨、記載有り。この日の段階では届けられていなかった)。これほどまでに重要な証拠が無い状態で、どうやって小学館が検証したのか、私には疑問です(ただし、「文庫版あとがき」の285頁に、「文庫版化にするにあたって(中略)紙面の関係上、巻末の下車データ(中略)、写真の一部を割愛せざるを得なくなった」との事なので、データは電子手帳のみでは無かったように思われますが、そうなると263頁と矛盾する気がします。264頁では、「紛失のショックは大きく、一睡もできなかった」とありますし)。
「矛盾している」と直接的に主張している情報源は何ですか?
については、次の節(#資料)に一覧を提示します(現在、鋭意ピックアップ中です)。--202.224.75.103 2011年12月21日 (水) 13:43 (UTC)返信

資料 編集

横見氏の著作に関しては、文庫版の『JR全線全駅下車の旅』(KKベストセラーズ、2009年3月5日)を出典とし、「文庫版」と表記します。また、菊池直恵氏との共作に当たる『鉄子の旅』については「旧鉄子」とします。

  1. 文庫版30頁 - 横見氏独自のルールについて明記されている。「必ず列車を使って乗るか降りるかする」と記載、また、「乗る」だけも「下車」として扱う、と宣言。
  2. 旧「鉄子」第4巻第32旅
    1. 163頁 - 横見氏独自のルールについて、4点が明記されている。「1.降りた駅では必ず改札を通る」、「2.駅の訪問には必ず列車を使う」他。
    2. 168頁 - キクチさんのセリフで、横見氏独自のルールについて説明あり。「他にも、「駅は鉄道に乗るためにある!」から車やバイクや自転車を使っちゃダメ!」。
  3. 文庫版50頁~52頁 - 押角駅での待ち時間は2時間。もったいないので隣の駅まで歩く。「乗るか降りるかすればいいわけだから」と記載されている。途中、ダンプカーに拾われ、岩手和井内駅で降ろしてもらう。

その他の例については、現在、鋭意製ピックアップ中です。しかし、1と2-1は明らかに矛盾しています。また、2-2と3も同様です。

なお、揚げ足取りのようですが、旧「鉄子」第4巻第32旅(163頁)のルール3は「同じ駅名でも鉄道会社が違えば別の駅とする」ですが、これを厳格に当てはめると、国鉄の駅でJRに変わったものは、再訪問(再乗下車)の必要があると思います。一応、168頁でキクチさんのフォローらしきもの(複数の路線が乗り入れている新宿駅を挙げている)がありますが、単行本化の際に、ルールの文章を再吟味する必要があったと思います。ちなみに、第5巻第38旅(121頁)では、欄外で連載時の横見氏の年齢を44歳とし、単行本化の際に43歳に修正した旨、断り書きがされています。その様な些事を修正するぐらいなら、もっと他の大きな点を修正するべきでは?と思えます(当方の所有している旧鉄子は、第4巻が2007年7月20日第4刷(2005年9月1日初版第1刷)、第5巻が2007年3月5日第2刷(2006年5月1日初版第1刷)です)。

また、横見氏は単行本表紙・背表紙では「旅の案内人 横見浩彦」と書かれており、菊池直恵氏より扱いは小さいのですが、奥付では両者同位置であり、これにより共著(地位が同じ)と解釈しています --202.224.75.103 2011年12月21日 (水) 13:43 (UTC)返信

少なくとも、2-2と3が矛盾としているというのは間違いなく誤りです。岩手和井内駅から列車に乗車したという記述がある(やがて下りの最終となる岩泉行の列車がやって来た。ここから列車に乗ることにより、岩手和井内は「制覇」となる)[1]ためです。私自身は、氏の行動には興味がありませんし(訪問した日時が明記されている部分は、同時代資料として出典とすることはある)、この項目を編集するつもりもありませんが、冒頭の定義文は、私なら「1995年にJR全4636駅(当時)を訪問したと自著に記している」(私鉄も同様。もっとも、私は氏が私鉄を全駅訪問したという著作物は読んでいないので、こうは書きませんが)とするでしょう。全駅を「制覇」したかどうかは検証できませんが、刊行物に著したことは検証可能だと考えるためです。「なになにを達成した」という記述が信憑性・説得力を持つにいたるかどうかの境目は、結局は本人のパーソナリティに拠るものではないかなあ、と漠然と思います。--Alexander Poskrebyshev会話2015年9月13日 (日) 17:30 (UTC)返信

脚注 編集

  1. ^ 横見浩彦 『JR全線全駅下車の旅』 ワニ文庫 P-173 ISBN 978-4584392737、54p

結局のところ、「ラジオ鉄道」はまだ続いているのか 編集

岐阜放送はこの通り、放送終了と表示されていますね。他局も調べろ? そこまでする気は起きません。横見さんの熱心なファンの方にお任せいたします。--Alexander Poskrebyshev会話2016年11月3日 (木) 20:32 (UTC)返信

製作のバーディ企画が倒産して公式サイトもありませんがhttps://web.archive.org/web/20150619235958/http://www.birdy.co.jp/seisaku/radio/yokoraji/yokoraji.htmlに最終回の記載、最終回の配信で2015年3月って 言ってますね--Anicos会話2017年4月23日 (日) 15:14 (UTC)返信

多少手をくわえました 編集

朝日新聞に記事が載っていたので加筆してみましたが、それにあたっていくつか意見を述べておきます。

  • 「JR私鉄の全駅訪問」の部分の要出典
    • 当時、取り上げられた記事を求めていたので出典をつけました。
  • 「トラベルタイター」
    • ノートでは今まで議論はなされていませんが、「トラベルライターは職業か?」との疑問により要検証Templateが貼られたようですが、この語をネット検索するだけでも求人サイトなど多数ヒットするため職業として確立していると考えますのでTemplateは剥がしました。例え職業なのか疑義があるとしても独自の「肩書」を名乗られてる方はいらっしゃいますのでそう称しているならそのまま書いてもいいかと。
  • 1997年の出来事
    • 鉄子の旅 第6巻を出典として、AFP通信のインタビューで語った父の危篤の知らせを受けたのは「北陸の廃線になる鉄道」と今まで記載されていましたが、朝日新聞の記事では「南部縦貫鉄道の野辺地駅」とあり、これは青森県です。鉄子の旅は読んでいないのですがこれは漫画が間違っているのかこの部分を本文に書いた方が間違えたのかどちらなのでしょうか。

過去にも議論されていますが、横見氏の偉業とされる全駅降車か訪問については独自研究にはあたらない検証などをされた方は今までいないんですかね。--Nuonuonuo会話2018年8月30日 (木) 13:09 (UTC)返信

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