ノート:牧野忠敬

最新のコメント:14 年前 | トピック:なぜ附役の名まで書くのか | 投稿者:笑太夫

なぜ附役の名まで書くのか 編集

  • 私がここで主張したいことの第一は、自分で調査・発見したことのウィキペディアは発表の場ではないということです。

ヘイホークリボー さんは、牧野忠敬の附役の名を書かれました。この記載について疑問に思います。まずヘイホークリボーさんは、今後、理想論としては、すべての藩主の附役の姓名を書く考えがあるのかどうかを、うかがいます。もし、牧野忠敬の附役に限定して、2人を書くならば、附役として特別な働きがあったかどうか、特筆性があるかを、伺います。

長岡藩には、他藩から移籍した家臣は、少なからずおり、長尾氏が特別な例ではありません。また長尾氏の附役就任は、重臣・加判級の人事ではありません。藩主忠敬の側近は、側用人・用人・小姓頭・御筒頭・刀番をはじめ大勢いたはずですが藩主の名と並んで、2人の附役だけを目立たせてというか、ギラツカセて書くのか理解に苦しみます。側近の家臣は、他にもたくさんいるのに、重臣・加判級でもないこの2人だけを書いたのでしょうか?。

長岡藩政史料集や、長岡の歴史を読んでも、長尾氏や九里氏が藩主忠敬の附役として、特別な働きがあったとする具体的な記述は、ありません。もし、その他の文献にあったら、是非とも教えてください。 --今泉総一郎 2010年3月19日 (金) 17:04 (UTC)返信

全くの部外者ですが、全くその通りだと思うので削除しときます。ヘイホークリボー氏の記事を見る限りでは削除するのにいちいち断わりいれる必要ないのでは?。--笑太夫 2010年3月21日 (日) 15:15 (UTC)返信

ページ「牧野忠敬」に戻る。