削除した部分 編集

以下の部分を削除しました。削除した理由は次の節に記載しました。 コメント等あればお願いします。

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量子論の世界で事象が確率的になるのは、なぜか? その理由は、数学の確率論からわかる。すなわち、「それぞれの量子は、たがいに同等で区別がつかない」ことである。たとえば、二つの電子は、たがいに区別がつかない。一方のエネルギーが高く、他方のエネルギーが低いとしても、一瞬後には、一方から他方にエネルギーが移ったかもしれないから、エネルギーによって識別することもできない。特に、よく知られた例として、電子の衝突がある。二つの電子AとB が衝突したあと、電子CとDが離れていく。AとBのどちらがC(またはD)であるかは、まったく判明しない。さらにまた、Cは、AとBのどちらでもないかもしれない。なぜなら、Aが消滅して、かわりの電子が発生したかもしれないからだ。

量子がたがいに区別不可能であるということは、量子の世界が本質的に確率的であり非決定的であることを意味する。古典物理学の世界では、物質はたがいに区別可能だからこそ決定的なのであり、量子力学の世界では、同種の量子はたがいに区別不可能だからこそ非決定的なのである。

量子のこの特質は、シュレーディンガーの猫の問題において鮮やかに現れる。崩壊するアルファ粒子は、量子であるがゆえに確率的であり非決定的であるが、現実の猫は、マクロの世界の物質であるがゆえに非確率的であり決定的である。量子はたがいに区別不可能なものであり、真空中において発生したり消滅したりするが、猫はたがいに区別可能なものであり、真空中において発生したり消滅したりしない。この両者はまったく別の世界の事象であって、たがいに等価ではない。両者は確率としての値だけは等価になるが、それ以外のことが等価になるわけではない。

ミクロとマクロの世界ははっきり区別される。その違いは「対象が確率的に発生したり消滅したりするものであるか否か」つまり「対象の存在が確率的であるか否か」ということだ。(何らかの大きさの違いが理由になるわけではない。)

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削除した理由 編集

削除した部分では、「量子論の世界で事象が非決定的に起こる」理由を「それぞれの粒子は、たがいに同等で区別がつかない」こととしています。これは正しくないと思います。異存のある方はコメントをお願いします。

「それぞれの粒子は、たがいに同等で区別がつかない」ことによる帰結のひとつは、統計の問題です。個々の粒子の区別がつけば、マクスウェル-ボルツマン(Maxwell-Boltzmann)統計に従います。一方、個々の粒子の区別がつかないならば、ボーズ-アインシュタイン(Bose-Einstein)統計もしくは、フェルミ-ディラック(Fermi-Dirac)統計に従います。

例えば、二つの電子は、互いに区別がつきません。電子の衝突を考えた場合、二つの電子AとBが衝突したあと、電子CとDが離れていくとします。このとき、AとBのどちらがC(またはD)であるかは、原理的に、わかりません。このため、AがCで、BがDの場合の確率振幅と、AがDで、BがCの場合の確率振幅を足して、確率を計算する必要があります。

「量子論の世界で事象の発生が確率的になる」理由は、よくわかっていません。現象が確率的になることは、実験結果からわかったことです。わかっていることは確率が確率振幅の自乗に比例することのみであり、それは量子力学の基礎原理のひとつです。別の何かの原理から導くことはできません。「重ね合わせの原理」を実験結果と結びつけるために「確率解釈」が必要となります。ですので、どうしても「量子論の世界で事象の発生が確率的になる」理由をあげるのであれば、「重ね合わせの原理」となります。


「現実の猫は、マクロの世界の物質であるがゆえに非確率的であり決定的である」という記述は、 シュレーディンガーの猫の問題を誤解しているように思えます。もし、現実の猫が決定論的なのであれば、 シュレーディンガーの猫の問題は解決しています。「現実の猫が確率的で、非決定論的なのではないかという 疑念」がシュレーディンガーの猫の問題の本質です。

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